伝統と現代を繋ぎ、新たな人形の在り方を表現する 人形師 中村弘峰さん

創業から103年続く中村人形の4代目として活躍する中村弘峰さん。江戸時代からの伝統技法を活用しながら、現代アートとの融合をすることで、現代における人形の在り方を再構築しています。現在、日本橋高島屋美術画廊Xにて12月10日まで「中村弘峰 個展 MVP(MOST VALUABLE PRAYERS)」を開催しています。既存の枠に囚われず、新たな創作領域を開拓し続けいる中村さんにお話を伺いました!

中村さんプロフィール
出身地:
福岡市
活動地域:福岡市
経歴:東京藝術大学大学院修了
個展2018 「MVP (MOST VALUABLE PRAYERS) 日本橋髙島屋S.C. 美術画廊X/東京
2018  「Tiny spirits」 現代陶芸釉里/福岡
受賞
2016 第3回金沢・世界工芸トリエンナーレ コンペティション部門 優秀賞2013 第60回日本伝統工芸展 初入選 新人賞受賞 
座右の銘:おかゆ食っても、いいもんつくれ

「誰かが誰かを想う、もっとも純粋な祈りを形に」

Q1.今はどんな夢やビジョンを持っていますか?

中村さん(以下、中村) 僕は代々続く人形師の家に生まれ、僕で4代目です。3歳の息子がおり彼が継げば5代目ということになります。
僕の夢は、曽祖父から続く伝統、ひいては人形文化や日本文化を、次の世代にちゃんとした形で引き継ぐということです。例えるなら僕は、駅伝の第4走者でしかないと思っています。
ですので、実を言うと死ぬまでに自分が何か大きなことをやり遂げようとは考えていないのかもしれませんね。
ただ、今の日本の人形文化は後継者も少なく、衰退の一途をたどっているので微力ながら盛り上げていきたいとは思っています。
日本の伝統工芸には興味がない人が多いのも事実なので、それに対して、どう興味を持ってもらうかが大事です。そのためには、作家は信念を持つのはもちろん、作品に「楽しい」「おもしろい」と思えるユーモアがないといけないと考えています。

記者
 今の人形の業界はどう見ているのですか?

中村 一部の音楽家や料理人もアートと接近し、新しい価値を作り出しています。そういう意味で今や現代アートは世界のあらゆる事象を含むものになりました。
だから僕は第一に人形師であり、そして、次に同時代のアーティストとも対等に話ができるアーティストにもならなくては、と思うようになりました。人形や工芸など限られた領域だけで戦っても状況を変えるのは難しいです。日本の人形を現代のアートの中に繋げていくことが僕の代でやるべきことだと感じています。

Q2.夢を実現するために、どんな目標計画を立てていますか?

中村 最終的な目標としては、この現実の世界を僕の人形の世界に丸ごと写すことです。それは、かつて江戸や明治に活躍した人形師たちがやっていたことと実は同じで、彼らは皆、身の回りの人物や風俗を題材に人形を作りました。ただ、長い年月の間に古典の風俗をそのまま写した人形が作り続けられ、作品と見る人との間にどんどん時代的な差が広がって来たように思います。
ですので、僕は再び人形師が身の回りのものを題材にしっかりとした技術を持って人形を作ることが今、必要なのではと思いましたし、このシステムを組めば、ずっと人形を作ることができるなとも思いました。
題材は今回のシリーズのスポーツ選手のように、現代のどんな職業でもいいです。どんな職業にもカッコイイ人たちがいます。職業に上下はないと思っていますので、僕自身、最近は飲食関連の方に憧れや、刺激を受けたりします。
だから例えば、板前さんの人形でもいいですし、工事現場のショベルカーを運転する人でもいいかもしれません。黄金のショベルカーを操縦する人の人形をつくったとしたら、それはそれでおもしろいしカッコイイだろうなと思います。

この世の中のあらゆる職業を、純粋な英雄性を持たせて人形にしていけたらいいですね。この時代を映した人形の世界をつくることで、現代が荘厳され、あらゆる人にとっての応援歌にも人間賛歌にもなると考えています。

現代アートにも様々な解釈がありますが、作品のルックスと同等以上にコンセプトを重視するという点におもしろさがあると思います。いかに今までの価値観を転換させ新しい価値を生み出すか?
極端に言えば、昨日までガラクタに観えたものが5億円の値がつくものに観えるようにするにはどうしたらいいのか?そのカラクリにはアーティストの持つコンセプトが大きな位置を占めています。

僕は当初、伝統工芸の人形はコンセプトを作品の中心に据えることは難しいと考えていました。素材の良さを引き出し作品のフォルムや色で新しいものを提示することしか考えていませんでした。
しかし、本来、日本の人形とは、身代わりや魔除けとして作られ始め、雛人形や五月人形は子供の健やかな成長を願う祈りの形象化です。それは、言い換えるなら誰もが持つ純粋な祈りというコンセプトであり、そのためのカタチです。

古典の人形が急にコンセプチュアルなアート作品に思えて来たのです。であれば、僕もこの日本人が生み出した素晴らしい人形というものの持つコンセプトを現代の人々に伝わりやすいようにアップデートしたいと思いました。
今回の個展「MVP(Most Valuable Prayers)」は、日本の人形の本来的な在り方を、そして、人間とは何かを問うものにしたいと思っています。親が子の成長を願う気持ちはきっといつの時代も変わりません。かつて、桃太郎や金太郎、太閤秀吉などの英雄像が五月人形の題材になったのは、健やかでたくましく成長してほしいという人の心の表れでしょう。それが現代ではどうか?おそらく、その人の心というものは変わりはしないけれど、英雄像は時代によって変わります。
現代における英雄像はアスリートに置き換えられるという仮説を立てて、今展の軸としました。そして、同時に目に見えぬ人の祈りの不変性をスポーツプレイヤー(Prayer)に託しました。「変わりゆくもの変わらぬもの」この思考を持って人形を未来永劫、進化させ続けていきたいです。


Q3.どんな活動をして、どんな活動指針を持っていますか?

中村 初代が残した我が家の家訓があります。

「おかゆ食っても、いいもんつくれ」

これはたとえ貧乏になっても仕事に妥協せず、最善を尽くせということです。
裏を返せば、いいもんをつくればいいのであって、いい人形だけをつくれとは言っていないのです。そのおかげで、人形だけではなく、いろんなものに挑戦していいという自由を与えられている気がします。
肝心のいいもんとは何なのか、それはそれぞれの代で自らが追求することなのだと思います。

記者
 中村さんが思ういいものとはどんなイメージですか?

中村 品格が高いかどうかですね。
品格が高いか低いかは、根が何か大きな歴史であったり、人間の感情や本質と繋がっているかどうかで変わると思っています。
なので、僕が短絡的に考えたアイデアはなかなか作品と呼べるものにはならないと思っています。底が浅くなるし、なぜその作品をつくるのか理由がない場合はつくらない方がいいとも感じます。そして、その前になかなか手が動かない。

色一つとってもアクリル絵の具なのか、天然素材の絵の具なのかで、全体の落ち着きや深みが変わって来ます。最近はあまり新しい技法や素材は使っていなくて、江戸時代の技法を用いるようにしています。長い歴史の中で生成されてきた模様や色、かたちを選び、僕はそれらのバランスだけを調整していると言えるかもしれません。作品の中の一つ一つの要素は自分が生み出したものではないけれど、それらが組み合わさることで新しいものが生まれるということがとてもおもしろいです。ただ、そのバランスの調整次第では品格が落ちたなと感じることもあるので気をつけてはいます。


Q4.その夢を持つようになったキッカケには何がありましたか?

中村 僕はもともと、跡継ぎとして実家に戻る前提で東京藝大の彫刻科に進学したのですが、そこで世間が広がりました。藝大に入ってくる人は、ほとんどがアーティストになりたくて入学してくるので僕は家業の跡継ぎというマイノリティな存在でした。そして、人形や伝統工芸というものはアートの中では少し劣ったもの、クラスの低いものという見方があることも感じました。正直それは、悔しかったですね。
そういうことも、伝統を受け継ぎつつ、現代のアートにも通用する作品をつくりたいと思ったキッカケかもしれません。

実は、僕は作品を作る際の裏の設定があります。それが「江戸時代の腕のいい人形師が現代にひょんなことからタイムスリップして来たら何をつくる?」という設定です。

江戸の人形師は現代の我々の世界の何に興味を持ちどう表現するんだろう?

そういった発想から、洋犬の木目込み人形やアスリート、スニーカーのシリーズも生まれました。これらのシリーズは古典の目を持って現代を見るということで、今目の前にある当たり前のものが、新しく感じられます。現代がまるで夢のように観える設定なのかもしれないですね。


Q5.その設定の背景には、どんなことがありましたか?

中村 幼い頃から父に「お前は4代目の跡継ぎ。だけど超一流になれないなら継がない方がいい。意味がないから、他の仕事をした方がいい。」と言われて育ちました。オーバーな表現ですが父なりの中途半端にやるなという意味だと思います。

記者 超一流となると、ハードルが高く感じますし、人形師以外の職業も選択肢にはあったと思います。人形師を選択したのはなぜですか?

中村 僕は保育園の卒園文集ですでに「人形師になりたい」と書いていました。他の職業に就くということを考えたことがありません。その上で、実は作るものを父から「ああしろ、こうしろ」といわれたこともありません。自由を与えられているからすごくやりたくなったんだと思います。
我が家は代々続く人形師ですが襲名はありません。そして、人形しかつくっちゃダメとも言われず、むしろ先代、先々代と違うものをつくりなさいと言われて育ちました。
程よい縛りの中で自由を与えられると人は存分に力を発揮できると思う。だから、「超一流の人形師になりなさい」という言葉は、そのまま自然と「アーティストになりなさい」という言葉と同義に思えるようになりました。

何をつくってもいい、もしそれで生きていけるのなら、超難問だけどやってみようかなと思います。

記者 中村さんの活動に対する情熱や思いをすごく感じました。本日は貴重なお話、ありがとうございます!

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中村さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

●インスタグラム
https://www.instagram.com/hirominator2.0/?hl=ja
アカウント@hirominator2.0

●中村弘峰ホームページ
https://www.hiromine-nakamura.jp/

●株式会社中村人形ホームページ
https://www.nakamura-ningyo.com/

【編集後記】

今回、インタビューを担当した五十畑、風見、清水です。

人形の歴史だけでなく、作品ができる背景やブロックチェーンのお話など、幅広く話してくれた中村さん。
現代にも対応する柔軟な心を思っているからこそ、人形を受け取る側のことを思い、生み出されている数々の作品に多くの人が感動すると感じました。

これからの活躍も応援しています!

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