プラナカンに導かれ歴史を学びアジアをつなぐ Cafe Malacca経営 田畑 葵さん

アメリカ留学時に出会った一つの食器をきっかけに、普通の会社員からカフェオーナーに転職。海外に出たからこそ気付いた日本の価値を感じながら、国を超えたつながりをつくる田畑さんにお話を伺いました。

田畑 葵(たばたあおい)さんプロフィール

出身地:京都府

活動地域:大阪府大阪市中崎町

経歴:高校卒業後、米国文化に興味を持ちサンフランシスコの美大へ留学するが、中華系東南アジアの同級生に影響を受ける。シンガポール旅行で立ち寄ったプラナカン博物館で、中華系移民家族プラナカンの文化を知り感銘を受ける。帰国後企業に就職するが、カフェオーナーの誘いをうけ退職。2015年7月より、東南アジア風カフェマラッカの運営を始める。

現在の職業:Cafe Malacca 共同経営者

座右の銘:月月火水木金金

Q:カフェのコンセプトは何ですか?

田畑さん(以下 田畑 敬略称) 
「大人のためのカフェ」です。たとえば結婚して子供のいる人でも、ひとりになって自分を見つめなおしたり考えを整理したり、非日常の時間は大切だと思うんです。

自分を見つめなおしたり、自問自答したり、自分で考えを整理して帰ってもらえるようなお店にしたい。

なるべくこのコンセプトを守って静かな雰囲気の中で時間を大切に過ごしていただけるように心がけています。なので経営面からすると厳しいところはありますが、最近は団体様やお子様連れは、心苦しいですがご遠慮いただいていることもあります。本当に色々なお客様がいらっしゃるので、たくさんトラブルもありますが、コンセプトを大事にできるようにルールを作ったり工夫しながら運営しています。あと、店名の由来になるのですが、マレーシアとシンガポールの間に「マラッカ海峡」という国際色豊かな物流の重要な拠点があります。周辺地域は過去にポルトガル・イギリス・オランダなどの支配を受けて中国系とインド系の移民がたくさんいて、旧日本帝国も進出していた場所です。その地名をとり、様々な国の人や文化が交じり合う場所となるようにという思いを込めています。

Q:現地の文化を大切に取り入れている印象を受けるのですが、この東南アジア風のカフェを始めたきっかけは何ですか?

田畑 大学時代に遡りますが、アメリカの美大に留学した時に中華系の東南アジアの子たちと、とても仲良くなったんです。普通の留学生よりも英語が上手で、お金持ちの家の子だと思うのですが、日本人がもっている人づきあいの常識などが似ていて素朴で親しみやすく、その出会いが東南アジアを意識するきっかけになりました。
日本に戻って数年後、シンガポールに旅行した時に「プラナカン博物館」に行く機会があり、以前からなんとなく気になっていた食器が、プラナカンのものだということがわかりました。アジアや中国の模様を使いながら、ピンクやペパーミントグリーンなどの鮮やかな色彩で、とても素敵なんです。
その後、ちょうど転職を考えていた時にカフェ経営のお誘いがあり、プラナカンをテーマにやってみようということになりました。

※プラナカンとは
マレー半島が欧米の統治下にあった15世紀後半から数世紀に渡り移住した主に中華系移民たちの末裔。定義は諸説ある。中華系の商人たちがマレー系女性と結ばれ、中国と東南アジア、ヨーロッパの文化を融合した独自文化を作り上げたといわれる。参考:Wikipedia プラナカン

Q:留学の経験もあり多様な歴史や文化と出会う中で、どんな発見があったのですか?

田畑 一つは留学時代のクラスメイトが、中国人だけれど東南アジアの国籍で中国の人ではない、ということが不思議で衝撃でした。彼女たちは複数の言語と文化を理解して国境を自由に行き来します。日本では親戚も日本人で皆日本語を話しますが、向こうでは普通に国をまたいで親戚がいたりします。日本は島国なので他の国に行くということが当たり前ではないですが、彼女たちは教育のためにシンガポールで育つとかが当たり前の世界で、カルチャーショックでした。日本で生活していたら会わないような人にたくさん出会えたことが大きかったです。
もう一つは、戦争に関する衝撃が大きかったです。アメリカに4年半いた後に、香港、シンガポール、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどを旅行で回りましたが、現地の博物館に行くと、だいたい日本人の居た跡が残っているんです。マレーシアのペナン島には今でも日本人が上陸した時の自転車が置いてあったりするんです。今でも行くのが大変なところなのに当時は、どうやってそこまで行っていたのか、どんな気持ちでそこにいたのか、などを思うと歴史の授業では習わない近代史がとても気になってきました。

記者 現地でそれをリアルに感じたのですね。

田畑 
本当に。どこに行っても戦争の歴史とつながって日本人がいたという跡が残っているんですよ。けれど戦争のせいでプラナカンの文化が廃れたとも言われていて、自分の好きな文化にそういう形で自分の国が関与していることも知り複雑な思いもありました。祖父が戦争に行っていた世代で直接の交流はほとんどなかったのですが、海外に行っていたという話は聞いたことがあるので、余計に身近に感じるのかもしれません。
ほかにも、日本の治安の良さや生活の便利さなど、海外に出たからこそ気付いたことも多く、日本の素晴らしさ美しさ、日本人としての誇り、プライドのようなものを強く意識するようになりました

日本の素晴らしさや美しさに気付いて誇りを持ってほしい。

日本では西洋やアメリカがカッコイイという風潮があり、アジア人なのにアジアを嫌がったりするのは変だなと思います。あと、必要以上に西洋人にへりくだっていることも多い気がして、それもおかしいと思っています。

記者 
戦後の教育の影響も大きいかもしれませんね。

Q:これからの夢は何ですか?

田畑 カフェに関してはプラナカンのスイーツを使ったアフタヌーンティを始めます。東南アジアの文化は知らない人が多いので、興味を持つきっかけをつくれたらと思います。そこから実際に現地に旅行に行ってもらったり、繋がりが生まれてくれたらいいなと思っています。
あとは店の4階に、昔の映像を流したり歴史や文化を学べたり、私設美術館のような場をつくりたいという構想もあります。
海外に行くと日本のいいところが見えると同時に、

日本の人は平和ボケしているなと思うことがよくあります。

例えば国によっては英語が喋れないと職に就けなかったり、生活レベルも全く変わってくるので、危機感や闘争意識がすごかったりします。治安も日本のように安全ではありません。
違う国に行くと、日本人ということを意識する機会になります。日本に帰ってきて日本を好きというと「愛国心」とか変に受け取られることも多いですが、そういうことではないんです。日本という国の素晴らしさや、自分たちの当たり前と思っているようなことが当たり前ではないことも自覚して、もう少し歴史を知ったり、生きる必死さや国際的な感覚をもつ必要はあると感じています。

Q:夢に向けての計画はどのように立てていますか?

田畑 元々はカフェで食事を出すだけの予定で、現地に知り合いなどもいなかったのですが、東南アジアから日本の旅行中にわざわざ立ち寄ってくれるお客様もいるんです。現地の人がやっているのではないのに「ちゃんと再現しようとしてくれているのがいい」と好印象で応援してくれる人が多いんです。そういう方々がまた日本に来た時に、お菓子の型を持ってきてくれたり、写真をくれたり、プラナカンの食器の窯元を教えてくれたりして、現地に行く時も助けてもらったり、本当にありがたいです。
また、Instagramの発信をみて、プラナカンの伝統を残したいと活動している人たちが連絡をくれたり、プラナカンのビーズ教室をしている人と繋がったり、このお店をきっかけに様々な繋がりができています。3年半で本当に色々なことがあったので、これからもこういった繋がりを広げていきたいと思います。

Q:最後にひとことお願いします。

頑張っているときは、頑張っていると気付かない、そういう時に結果はついてくるんだなと思っています。

田畑 20代の頃は本当に恵まれていてそれが当然のように思っていたところがありましたが、その分いまとても苦労しているのかもしれません。だからこそわかることがあるし、伝えられることもあると思います。まわりにどう思われるかとかは気にせずに。いま色々なことが繋がってきてやっと今までの経験を活かせているので、留学させてくれた亡き親にも本当に感謝しています。
記者 そう言いきれることがとても素敵ですね!大切な言葉をありがとうございました。

********  田畑さんに関する情報はこちら ↓↓↓ ********

Cafe Malacca(カフェ マラッカ)大阪 中崎町
https://www.cafemalacca.com/
人気メニュー:海南チキンライス、ホワイトコーヒー、アイスカチャン(東南アジアかき氷)など

【編集後記】
今回インタビュー記者を担当した、福田と小池です。カフェオーナーとしての冷静な姿とは対照的に、とても感情豊かでチャーミングかつ、日本人としての熱い思いを持つ田畑さんのお話に聞き入ってしまいました。日本人の誇りをもち、国をつなぐきっかけ作りを共にしていきたいと思いました。今後ともご活躍応援しています。

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