写真を通じて台湾と日本の架け橋に 写真家ジェニー鈴木さん

台湾から来日し、現在は東京を拠点にフリーで活動する、写真家ジェニー鈴木さん。様々なジャンルの写真を得意とし、夫婦や子供、家族の笑顔を撮り続ける傍、芸術家・アーティストたちの作品など様々な媒体で活躍しています。近年では、写真を通じて台湾と日本の架け橋になるべく活動をし、温かい笑顔が魅力的なジェニーさんにこれまでの道のりを伺いました。

 

ジェニー鈴木(Suzuki Janny)  さんプロフィール
出身地:台湾高雄市
主なプロフィール
1997年台湾より来日。
2003年日本大学芸術学部写真学科を卒業後、写真家:泊昭雄氏に師事。その後、制作会社勤務を経て独立。
2007年ジェニー スズキとして雑誌、商品広告、書籍を中心に写真活動始動。
2017年スタジオ兼写真館をオープンし、現在は夫婦や子供、家族の笑顔を撮り続ける傍、芸術家・アーティストたちの作品撮影など、幅広い分野で活動。
最近ではイベントの企画等も手掛け、写真を通じて台湾と日本の架け橋をするべく両地で行われる活動を実践中。

 

自分の写真のスタイルが確立されていくことを嬉しく思っています

記者:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

ジェニー鈴木さん(以下、ジェニー 敬称略)
台湾の大学を卒業した後に来日し、日本の大学に入学したことをきっかけに写真の道に進むことになりました。それからずっと日本にいます。
商業カメラマンとしての仕事の依頼が多いのですが、最近では私の写真の雰囲気が好きでお願いされることも多く、とても嬉しく思っています。
被写体関係なく自分が撮りたいものを撮って、その写真が売れて、生活ができると一番嬉しいですね。
最近では、写真をただ撮るだけでなく、全体のプロデュースもやりたいという気持ちも出てきています。
一つの作品を作るときもスタイリストさんがいて、物を集めている人がいて、スタイリストさんやヘアメイクさんもいて、スタッフが協力しあってから一枚の写真が撮れるのですが、もっとスケール大きくして、写真だけでなく全体を統括できる仕事もしたいと思っています。

記者:ジェニーさんが得意な被写体はどのようなものですか?

ジェニー:一番最初はインテリアと物と料理がメインでした。
子供が5年前にできて、周りのクライアントさんもちょうど同じ時期に子供ができて、「自分の子供を撮ってほしい!」と言われるようになりました。
子供を撮るうちに、人を撮るのが楽しくなって、「私はこれから人を撮ります!」って宣言しちゃったんですよね。(笑)
そこから依頼がどんどん来て。
そのうちに、「人を撮るの上手いですね!」って言われ、そのときに「そっかー、自分は人を撮るのが上手いのか。」と客観的に見えてきて。(笑)
その後人を撮るようになって、取材の依頼も多くなりました。
アナウンサーや俳優や女優、モデルさんも多く、今では物と人の割合が5:5で仕事をしています。
そのうち、撮影の拠点がほしいと思うようになり、スタジオを構えました。

記者:写真の仕事をしていて嬉しかったことは?

ジェニー:フリーで始めた頃、雑誌の仕事のときに、初めて自分の名前が載った時が嬉しかったです。
最近は、広告の写真で自分の名前が載ってない写真でも、ジェニーさんが撮ったんじゃないかと言われることも多く、写真の雰囲気とスタイルが確立されているのが嬉しいです。

記者:現在、どのような活動指針を持って、活動をしていますか?
ジェニー:アンテナを張ることを一番意識しています。
仕事の関係で毎回新しいスタッフと出会うのですが、その方から紹介をもらったりしている中で、自然にご縁がくる感じがします。
名刺交換の機会も多くありますが、人との出会いを大切にしていることで、さらにご紹介やお仕事をいただくことが多いですね

師匠の写真に一目惚れして、プロの道へ

記者:夢やビジョンをもったきっかけにどのような出会いや発見があったのですか?

ジェニー:台湾では芸術大学を卒業して、日本語の学校がきっかけで来日しました。
一番最初は留学で日本語だけ勉強して帰ろうかと思っていましたが、日芸(日本大学芸術学部)の写真学科を受験をしたら受かって、後4年間日本にいることになりました。
大学3年生の時に、雑誌を作る会社の編集部に内定したのですが、就職直前になってその仕事が無くなり、どうしようかと思って就職活動している時に、写真雑誌で師匠の写真を見つけ、その写真に一目惚れしました。
アシスタントを募集していたのですぐに電話をして、師匠の事務所で仕事をすることになりました。
約2年間仕事をしましたが、忙しい毎日でした。
仕事は厳しく大変でしたが、師匠の写真が好きだから頑張ろうと思いました。
師匠の事務所を退職して、写真を続けることに迷いもあり、一度写真を離れて半年間自分探しをしました。
日本料理屋さんでバイトをしていたのですが、「やっぱり写真やりたい。」という気持ちが強く湧き上がってきて、今度は大きい広告制作会社に入りました。その後、結婚を機に独立して、今に至ります。

台湾へ帰るより、日本にいたいという気持ちが先にありました

記者:その発見や出会いの背景にはどのようなことがありましたか?

ジェニー:日本語学校を卒業する前に、「もうちょっと日本にいたいな。」と思いました。
日本にいるためには留学するか、就職するかしかなく、大学に行って勉強をすることになれば、家族も日本にいることを許してくれるだろうと思い、日本にいるための口実を探していました。
そんなときに、本屋さんに行って日芸(日本大学芸術学部)の写真学科があることを知り、そういえば台湾の学生時代の授業の時に写真を褒められたことを思い出しました。
当時は日本にいたいという気持ちが先にあって、日芸を受験し、受かって、日本に滞在することが決まったときに、「運命かな」と思いました。

記者:日本の印象はどのようなものですか?

ジェニー:19歳で日本に来て、今は日本に来て22年で日本にいる期間の方が長くなりました。今では日本が生活の一部になっています。
日本の一番好きなところは程よい距離感ですね。
台湾の人はサッササッサと心の中に入っていくんです。
日本には遠慮という言葉がありますね。
台湾はお節介な人が多く、勝手に人のためにやっていて、そこまで干渉しなくてもいいじゃんと思うことが多いです。
ちょうどいい距離感が私にはあっているんだと思います。

写真はないものから創っていくもの、そのために感性を大切にしています

記者:写真は感性ってジェニーさんがおっしゃっていますが、ジェニーさんにとって感性とはどのようなものですか。

ジェニー:私たちの仕事はないものから創っていく感じですね。
広告の世界もそうですけど、お客さんにどういうイメージをもたせたいのか、そのイメージをどういう風に創っていくのかがすごく大事で、そのときに感性がとっても大事になります。センスではなく感性ですね。
私はたまたま写真の仕事をしていますが、普通の事務の仕事をしても感性がとても大事だと思います。
感性は常識も含めていると思っていて、人の仕草やニュアンスなど気配りなどですね。この人と仲良くしたいと思ったら絶対傷つけたりしないじゃないですか。
自分の子供に教育するときにいつも考えることは、子供が私の言葉一つで変化していくことが見えて、とても怖いんですよね。私が怒ると、怒るし。
他のお母さんが子供の接し方をみていると、その人たちの感性がそのまま子供に伝わることもわかります。
感性という言葉がすごく大事かなと思います。

記者:本日は忙しい中で、貴重なお時間をいただきありがとうございました!

 

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ジェニー鈴木さんの詳細情報についてこちら↓↓
●HP:www.jannysuzuki.jp
●instagram: @sjanny_monophotography
●スタジオ:www.daybydaystudio.jp

編集後記
インタビュー記者を担当した岩永と池田です。
今回ジェニーさんのスタジオにお邪魔し、素敵で居心地がよい空間で、ジェニーさんの温かいおもてなしに感動しました。
話を伺いながら、写真を通して追及してしている感性が、子育てなど生活の中で生かされて、ジェニーさんのスタイルが確立されていることを感じました。これからも日本と台湾での活躍を応援しています!

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