そうだ!地球全部が舞台なんだ〜っ!!! 何者でもない表現家☆ 川崎 尚哉さん🌏

2018年のGW。仏教の世界観との出会いで人生が変化!『表現の場』を創る人。川崎 尚哉さんにインタビューさせていただきました。

【川崎 尚哉さんのプロフィール】

出身地:東京都

活動地域:関東地域

主な経歴:映画専門学校を卒業後、海外で演技を学ぶ。帰国後、即興演劇も含めた演技を学び先輩と共に“舞踏”の要素を取りいれた新しいカタチの演技で舞台に立つ。プロとして活躍中。

また、産業カウンセラーや株式会社の設立、イベント、ワークショップなど数多く開催、番組制作も行う。現在は、活動の幅を、起業向け研修や講師、スクール事業にまで広げる。

延べ1600人ほどに演技ワークショップを通じ「演じることの楽しさ」を伝える。

記者:川崎さんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?

川崎 尚哉さん(以下川崎、敬称略):現代はお寺と神社と芸術がバラバラになってしまったので、それを1つにしていく事ですね。

アートを切り口に、思考と心を結びつける。感じる、舞う、唄うことを通し、バラバラになってしまった人間を取り戻していきたいです。

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Phote by Yuka.M

一番の大きな出会いが仏教の世界観でした。

仏教と芸術は元々同じ領域にあった事は僕の体感としてあったのですが、さらにもう一つ入ってきたのが『神社(神道)』というキーワードでした。

あえて僕の感覚を言葉にすると、伝える・言葉にする・教育するのが仏教の世界観。シンプルにいうと思考の世界。

祈る・感じる・感謝するというのが神社の世界観。こちらは心の世界。

思考と心をつなぐ架け橋が芸術です。

今はなんでも分けて考えてしまうから、人間が迷子になっているように感じています。

記者:それを具現化するために、川崎さんはどのような目標や計画を立てていますか?

川崎:表現する時には必ず場所が必要で、僕はずっとその場所を作りたいと思っていました。色んなアーティスト達が出入りする『創造の場所』を作りたいんです。

地域のプロ・アマ問わず、お寺に集まる仕組みが作れたら、地域のアーティストの『表現の場』になるんじゃないかと考えています。

また、アーティストが自分たちの表現の場として使うだけでなく、何かが生まれる起爆剤にもしていきたいですね。お坊さんがお寺は『失敗してもいい場所』であり『チャレンジの場』だと言っており、僕もそれに大賛成なんです。

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Phote by Yuka.M

お寺でイベントやライブをやってみました。コンテンポラリーダンスに近い感じです。

他には、楽器演奏、絵を描く、踊ることもやっていきたいです。

自分が本当に楽しいと思う事をやっていこうと思っています。

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記者:その目標や計画に対して、川崎さんは現在どのような活動指針を持ってどのような活動をしていますか?

川崎:表現活動のなかで想いがあるアーティスト30人くらいのコミュニティ作りやお寺・神社・芸術を融合したコラボ企画のイベントができたらいいですね。

計画としては、1年に数回、地域フェスをやるんです。祭りの復興ですね。

祭りをして、そこで普段表現できない感情を思い切り出すんです。

『本当は自分はこういう人間なんだ』というのは感情を出す事によって思い出すんです。思い出す事によって、このままでいいんだと感じる人が一人でも増えたら嬉しい事ですね。


記者:そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

川崎:自分ができる事って演技しかないんだと思っていたけど、演技だけじゃない事がわかったんです。

この事を手放すきっかけが仏教との出逢いです。

仏教観がお坊さんの在り方を通し伝わってきました。仏教の概念の中に悟りがあり、その悟りは何かというと『手放し続けること』で到達する境地なのかもしれないと思っています。

生まれた時は何も着てなくて、成長していく中で服を着ていってしまう。

勝手に似合うだろうと思い込んで色々着こんでいく。その思い込みの服を1枚1枚脱いでいく作業が『手放す』事で、脱いで裸になる事が『悟り』のプロセスです。これは役作りと同じなんだなと思いました。

素晴らしい役者さんは、役作りで一回悟りのプロセスを経て、自分を手放した後で服を選んで着ていくんです。


以前は、舞台を降りてしまうと「自分には価値がない」と思っていたんです。伝わらないと思っていたし、伝えられないとも思っていました。だから怖くてしがみついていました。極端に言うと、馬鹿にしていたんです。『どうせこいつらにはわからないだろう』と。

人前で表現する事でしか伝えられなかったもどかしさが、仏教と出会った事で、『舞台を降りて違った形で表現しても大丈夫なんだ』というヒントをいただきました。

記者:その発見や出会いの背景には、何があったのですか?

川崎:ちっちゃい頃から『自分なんて生きていて良いんだろうか?』という問いの中にいました。

幼少期に身に着けてしまったのが『自分には価値がないという思い込みの服』だと思います。

幼稚園のお遊戯会の時、4,5人で決められた振り付けをやる時に、違う事をしてすごく怒られた事があったんです。その辺から『表現しちゃいけない』と思うようになったと思います。

小学校の時の自由研究で、すごく面白いものを作って張り切って学校に持っていったら、翌日、木端微塵に壊されていたりもしました。

当時、味方になってくれた大人はいなかったように思います。

何があっても傷つかなくて、バカにされないよういにする為の方法が『人と違う事をやる』でした。

舞台は他の人が真似できないから、『いよいよ武器を手に入れた!』と思ったんですけど、やればやるほど自己探求なので、めちゃくちゃしんどいし、鬱になったりもしましたね。

記者:自己探求なんですか。

川崎:自己探求ですね。余計な想いや感情がでた瞬間に『俺じゃない。』と目を背ける事はしないで、全部受け止めていく『これも俺だ。』と。

そうやって服を脱いでいく作業、つまり悟りに向かうプロセスは一生続きますよね。悟りに向かっていく時に、『自分は何者だ』と言う通過点があって、その先に『何者でもない』があるんです。


舞台の上で我を超える感覚を2回味わっています。それまでは生きている実感を体験するのは演技しかないと思っていました。だから演技を手放すことも怖かったですね。俳優じゃないとも言いたくありませんでした。生きることを放棄するように感じていたんです。

結局、『なんにも信用していなかったんだな』という自分とも改めて繋がりました。

まずは自分の気付きを促すのが『言葉』なのかもしれないと思っています。

『言葉』って本来、自分と繋がる為に出していくものだと思いますね。

舞台を降りても『地球全部が舞台』だと捉えられたら、何をしていても表現だと気づいたんです。仏教や神社の世界と出逢い、演技以外にも方法があるかも?と思えたのが大きかったですね。なんだか自由になれた感じです。

『誰もが自由に表現したいけどできない』と思っていたけど、舞台に降りるも降りないもない。どこでも表現できる。つまり、地球全部が舞台なんだということに気付きました。

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Phote by Mobius

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記者:新元号『令和』になったことも含め、最後に読者の方へメッセージをお願いします。

川崎:『令和』は、分けていたものをいよいよ一緒にする時。そんな気がしています。

令を零 ゼロとみて、何者でも無いゼロ、世の中がリセットされ繋がり直すワンネスの世界の入口の時代だと思います。

頭の中の思考から心の感覚・感情へシフトしていく時。

自分の中で起こっていることすべて自分にしか感じられないし、自分にしかできない!

感じきった先に本当に人と繋がれるワンネスがあるから!

記者:川崎さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!

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川崎尚哉さんの情報はこちら

川崎さんの詳細プロフィールはこちら↓↓↓PROFILEnaoya kawasaki/俳優 1971年生まれ 子供の頃は目立つのが好きな「お調子者」 しかし 人と比べられ、同じよ08art-labo.com

川崎さんのFacebookページはこちら↓↓↓川崎 尚哉川崎 尚哉さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録して、川崎 尚哉さんや他の知り合いと交流しましょうwww.facebook.com

川崎さんのnoteはこちら↓↓↓708 kawasaki|note「あなたの人生に深く関わりながら生きたい」 私の中に流れている想い。本当はみんなに伝えたい。けれど自信がなく言葉に責任を負note.mu

【編集後記】画像9

今回取材させていただいた澤田(写真右端)大藤(写真右)稲垣(写真左端)です。川崎さんのソフトさがとても印象的でした。「カッコつける癖がある」と川崎さんから最初に共有があったことで、場がとても和んでいった感じがありました。そして、川崎さんの芯が観えるような深い出会いに感動しました。これからのご活躍を応援しています!

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