「三味線と共に人生を歩む」三味線・民謡の安田 勝竜さん

「僕は津軽三味線奏者ではなく、一人の三味線奏者です」と言う安田勝竜さん。違う分野とコラボレーションするなど、形に囚われず活動されています。三味線を通してどこまでも自分と向き合い続ける背景には、人間の生きる力に対する深い思いがありました。そんな安田さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地   福岡県
活動地域   福岡県を中心に、お呼びがあればどこへでも。
経歴   幼少の頃より祖母の影響で民謡・三味線を学ぶ。16歳の時、一挺の津軽三味線との出会いをきっかけに、澤田流家元 澤田勝秋氏に師事。 以後、独自の世界観を展開。
2006年〜三味線・ヴァイオリン・ピアノのトリオ「95strings」としても活動。又、九州近海の離島学校にて公演。
2016年〜フラワーアーティストの猪俣悟とのライブパフォーマンスユニット「桜組」結成。東京ドームで開催の世界蘭展特設メインステージにてパフォーマンスを披露
現在の活動および職業   民謡・三味線
座右の銘   足るを知る

三味線奏者でなくても影響力を与えられる人間になりたい

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

安田 勝竜さん(以下、安田)   芸のスタイルを完成させて、自分の曲を弾きたいと思っています。三味線も津軽三味線を扱っていますが、僕にとっては「津軽三味線奏者」ではなく一人の「三味線奏者」です。三味線を通して、自分と向き合い続けてきました。有難いことに、そんな僕にたくさんの応援や演奏のオファーをいただいています。まだまだ未熟ですが多くの方のご支援のお陰で、今ここに僕が居るようになっています。

   民謡と三味線をただ好きでやってきたので、次に続くレールを全く作っていない状態で、それで良いとも思っています。もちろん僕の演奏を見て希望されるなら、惜しみなく教えます。ですが生徒さんには自分のやりたいことを思いっきりやって欲しいと思っています。ただ三味線や民謡を楽しんで欲しいのです。今、島村楽器さんで三味線を教えています。ここで純粋に三味線を楽しむ生徒さんを見て、なおさら楽しむことの大切さを実感するようになりました。

   今は自分の未熟と向き合いながら、一歩ずつ進んでいるので、芸のスタイルの確立に焦ってはいません。同年代の人たちが活躍している時に、僕の歩みはまだまだかもしれません。けれど年を取って皆さんが表舞台から降りられてた時に、僕はまだ舞台の上で輝いている、そんな生き方をしたいです。

   演奏する環境によっては三味線奏者は個性を出しすぎることが良くないことがあります。けれど個人として三味線に向き合った時は、三味線の技術だけではなく、一人の人として影響力を発揮できるようになりたいです。最終的には三味線を手にしていない僕自身であっても求められ、人の心を動かすことができるような人に成長できれば最高の境地です。

名指しで入ってくる仕事が有難い

Q:「三味線奏者でなくても影響力を与えられる人間になりたい」ことへ向けてどのような目標や計画をお持ちですか?

安田   40歳まではたくさん失敗をして、恥をかく覚悟で生きてきました。着物を着て、三味線を持って舞台に立つことは、やはり責任が伴います。そしてそれは平坦な道のりではありませんので、生涯三味線とともに歩んでいく道だと思っています。

   今もたくさんの方たちからCDを作って欲しいと、嬉しいお声を頂いていますが、ただ未熟な今の状態を切り取って形に残すのは本意ではないので、申し訳ないですがお受けしていません。自分を磨いて、早く皆さんのご要望に答えたいです。そしてこれからも名指しで入ってくる仕事が一つでも増えていけば有難いです。

形ではなく本質を残す

Q:その夢やビジョン、目標計画へ向けて、どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?

安田   老いた時のことを考えます。若くて体力がある時だからできる演奏を維持していくのではなく、年を取るほどに磨くことができるスタイル、それが本物だと思っています。

   そのために練習の仕方も分けています。曲の練習と、楽器の扱い方の練習です。楽器の扱い方の練習の時に、本質を見極めることに向き合っています。音一つとっても、最高の音を出すにはどうすればよいのか。和楽器の世界にいると特に実感しますが、日本はそのままの形を残すことに重きを置く文化です。けれど大切なのは、形を作る本質の方です。なぜその形でないとならないのか、大事な本質とは何なのか、それを見極め、本当に大事な本質を学んでいきたいと思っています。

三味線で生きると決めた

Q:「三味線奏者でなくても影響力を与えられる人間になりたい」と思うようになったきっかけや出会い、発見は何ですか?

安田   三味線を仕事にして、これで生きていくと決めた時です。それまでは基礎がなっていなかったですし、腕前を誤魔化して演奏していました。けれど、20代の時に、改めて自分がどう生きていきたいかを考えた時に、三味線で生きようと決めたんです。そこから三味線との向き合い方が全く変わりました。

   自分がどれだけ下手かを知るために、色んな会に自ら門戸を叩きに行きました。会には入らないけれど、僕の演奏を聴いていただき、意見を求め、先生の演奏を聴かせていただきました。これは三味線の世界ではあり得ないことですが、僕はどこの会にも入りたくなかったのです。下手だと言われることはわかっていましたし、実際言われました。失敗することが怖かった今までの僕だったら、絶対にできないことでしたが、勇気を持って逃げずに向き合いました。そして一つずつ基礎を直し、良いところを取って身に付けていきました。

   その時があったので、人が弾いているのを聴いたら、どこがどう間違っているのか、どう弾き方を変えているのかがわかります。生徒さんたちに教えるにもとても役立っています。

自分で選択したことがなかったことに気づいた

Q:「三味線で生きる」となった背景は何ですか?

安田   僕は生まれた時から民謡・三味線と共に生きてきました。舞台に立って人の喝采を浴びるのが気持ち良かったですし、誰にも負けたくない思いで取り組んできました。

   けれど三味線などの和楽器を仕事としていくことは難しいものです。社会人になって、周りの同年代はちゃんと働き出すのに比べ、僕はまともな職に就いていませんでした。最初は僕が三味線をするのを喜んでいた家族も、仕事をどうするのか心配するようになりました。当時の僕は、こんな状況になったのは「親が悪いんだ」と周りに責任転嫁していましたが、それは違うと思い、自分は何をやりたいのか、どう生きたいのかを考えるようになりました。その時、自ら三味線と向き合っていなかったことに気づいたんです。

   ただ三味線をやる環境だったからやっていただけでした。三味線だけでなく、今までの人生全てが最初から設定された環境の中でただただ生きてきたことに気づきました。自分が覚悟を持って選択したものなど何一つとしてなかったのです。そんな自分を生きていない人生はやめようと決断をしました。

   その時、全てに自分の意志が働いていることを知りました。人には決める力がありますし、今までも自分で決めてきたことに気づきました。僕は生まれ変わって、0の地点に立ったのです。そこから僕の意志で三味線を選択しました。

   そこからは自分を認めることから始まるようになりました。いつも周りと比べる自分に疲れていましたが、人と比べる必要がないことを知り、自分自身と向き合うようになりました。

   僕の三味線を通した生き方に賞賛してくれる人もいます。けれど特別なことは何もありません。つくられた環境の中で、何も考えないようになっている生き方がおかしいのではないか、と気づいた一人なだけです。人間は誰だって自分のやりたいことを思いっきりやって良いのです。自分の意志で選択して、自分を生きることができます。ですから僕自身がそれをやり続けるだけです。その姿を見て、少しでも心動かされる人がいたら本当に嬉しいです。

読者への一言メッセージをお願いします

安田   一生懸命するなら、恥ずかしからず自分のためにやっていると断言しても良いと思います。もっと自分のために一歩を踏み出すこと。その姿が自然と人の糧になっていくことを願っています。

記者   ありがとうございました。人間は選択する力があり、自分を生きることができることを、身をもって実践しておられる安田さんの姿は、多くの人に影響を与えると思いました。

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安田さんの詳細情報はこちら↓↓

Shoryu Yasuda

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【編集後記】
今回、インタビューを担当した小水と高村です。
高さを求める世の中において、どこまでも深く深く向き合っていく安田さんの姿に、静かな感動が湧き上がりました。不要な形は手放し、不変的なたった一つだけで生きようとする安田さん。それは変化の激しい今の時代を生きる人たちが求めるところでもあると思います。ユーモアたっぷりなお話にあっという間に時間が過ぎました。
安田さんの今後の益々のご活躍を応援しています!

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