全ての考え方に正解の可能性がある 哲学対話 ファシリテーター/幡野 雄一さん

東京・国立を中心に、哲学対話のファシリテーターとして活躍されている幡野 雄一さんにお話を伺いました。

幡野 雄一さんプロフィール
出身地:東京都国分寺市
活動地域:東京
経歴:高校卒業後、ヒッチハイキング、野宿生活、四国の歩き遍路などを経験。その後、大学で仏教を学び、学部を首席で卒業。
現在の職歴および活動:学校、塾、地域などで哲学対話のファシリテーターとして活動。2019年春に探究型の学習塾「ベースクール」をJR国立駅北口に開校予定。


自分の素直な気持ちや考えを、ありのまま認めてもらえる場をつくりたい

Q:幡野さんの夢やビジョンは何ですか?
幡野雄一さん(以下幡野 敬称略):自分の考えを素直に表現できて、自分のありのままを認めてもらえる場を作っていきたいと思っています。

僕自身は自分の思っていることを表現するタイプですが、それでもやはり自分が考えていることを表現しきれてない部分がありました。最近は対話の場を自分で作っているので表現できていますが、それができていなかった時は家でもやもやしていました。それは僕だけではなく、他の人たちも日々思考を展開して悩みを持っていると思います。自分の気持ちを素直に吐き出せる場、表現できる場所があればもっとお互いにリラックスして生きていけるのかなと思います。

こういうことを言わないといけないと何となく頭にあるから、人と話すのが少し億劫になるのかなと思います。本当に自分が話したいことを話せる環境にあればもっとみんながコミュニケーションを取るようになるのではないかなと考えています。

哲学対話を通して、自分にはなかった考えに気づく

Q:その場をつくるための目標や計画、今実践されていることは何ですか?
幡野:まずひとつは、哲学対話のファシリテーターをやっています。哲学対話というのはひとつの問い、例えば「友だちは沢山作るべき」や、「幸せな暮らしとは」などのひとつの問いを立てて、その問いについて参加者全員でゆっくりゆっくり問い考え語り合うものです。主に、国立や国分寺あたりでイベントを開催しています。

2019年4月開校のベースクールもそのひとつです。ベースクールは対話だけではなく、子供達が自分の興味のある事ややりたい事に向き合う時間をつくりたい。そして、自分の素直な気持ちや考えを表現できる場をつくりたいと思いベースクールをつくりました。基本的には大人たちが課題を用意するのではなく、子供達が自身でやる事は決めていきます。自分が一生懸命になって探究したことを発表する、それを他の人たちが聞いてくれる経験というのは、ものすごく嬉しい体験だと思います。それに自分がやりたいことをやっていていいんだと思えるきっかけにもなると思うので、そういった体験を大事にしたいですね。
そして自分がそれを聞いて嬉しいと思える体験をすることによって、他の人のやりたいことにも寛容になれると思うので、そういった場をベースクールではつくっていきたいと思います。

哲学対話を通して、自分にはなかった考えに気付けたり、自分はこう思っていたけど自分の考えとちょっと違うかもと、自分の考えに少し批判的になっていくのも大事かなと思っています。

僕自身も、何でもっとみんな考えないのだろうと高校生の時から思っていたのですが、実際に対話の場をつくってみた時に、すごくみなさん考えているんだということに気付きました。みんなが考えていないと何故思ったのかというと、表現することがなかったから考えていることにただ気付けなかっただけなんだと、気付けたことが自分の中でもすごく大きかったです。

自分ひとりでも色んな物の見方ができることがゴール

Q.哲学対話をファシリテートしている上で、大切にしていることはありますか?
幡野:その人をそのまま認めてあげるということは大事にしています。それは言っちゃだめだよとは言いたくないし、言ってはいけないみたいな言い方はしないですね。僕がされたら嫌だけどということは言います。

記者:ファシリテートをしていて、最終的に問いに対するゴールはつくるのですか?
幡野:つくらないです。時間が来たら終了にしています。ファシリテーターによって人それぞれですが、僕は基本的にまとめない。今日どんな対話が出たかもまとめないし、時間が来たところで終わりにしています。

僕がそこでまとめないのは、もやもやを残している状態をきれいにまとめてすっきりさせると、それ以降に考えるということをしなくなるからです。もやもやがあるまま帰りの電車の中や、お風呂に入っている時にまた頭に浮かんできて考える。その場だけのものにしたくない、問いが日常につながっていってほしいというのが僕の考えです。

社会人になると、決められた時間内で結論まで至らないといけないことに慣れている人たちが多いので、ここで終わりにして何も残らない。そこで何も残らないというのがそもそも間違いのような気がしています。何かを自分がそこから得ようとしない限り自分のものにはならない、基本的に結論という結果だけを得るのではなくて、プロセスの中でどこを自分のものにしていくかが大事だと僕は思うので、そこの考え方は切り替えないといけないのではないかなと思います。

そもそも答えに興味はなく、物事は変化していくのでその答えを出した時点で、答えは変わっているんじゃないかと考えています。絶対の答えというものは無いので、プロセスを大事にしています。

対話というのは、考え方を知るきっかけになると思っています。自分だけのものの見方だけではなく、色んな見方をすることで考えがどんどん深まっていくという体験をすることによって自分ひとりでも色んな物の見方ができると思うので、自分ひとりで考えられる様になるのがゴールだと思います。

3~5歳の子どもたちの対話を通して気づいたもの

Q.幡野さんが哲学対話を始めたきっかけは何ですか?どんな出会いや発見がありましたか?
幡野:哲学対話を始めるきっかけに繋がる出来事ですが、高校1.2年生の時の総合的な学習の時間に、将来なりたい職業について調べてみようという授業がありました。僕はそれがものすごく気持ち悪く感じて、高校1.2年でなりたい職業と言っても知っている職業の数も少ないし、半年かすればなりたい職業なんてコロコロ変わるのに、そんなことをやってもしょうがないということを先生に話したことがありました。

自分の考えを表現できる様な、ディベートなどをやったほうがいいんじゃないかと言いました。というのも、みんなも先生たちのやり方にものすごく不満を抱えているのに、先生が教室に居る時にそれを言わず、居なくなった時に言っていたからです。それでは意味がなくて、不満に思ったことをしっかり相手に表現しなければ意味をなさないのだから、そういう力をもっと付けていくべきじゃないか、総合的な学習の時間にはそういうことをしたいと先生に言いました。

先生からは、「お前は表現できるかもしれないけど、他のみんなはそれができないから学校でやってもしょうがない」と言われました。少し納得した部分もありましたが「そうなんだ、ここではもう無理だ」と思いました。

それから何年後かに、フランスのドキュメンタリー映画「小さな哲学者たち」と出会いました。それは3~5歳の子供達が哲学対話を通してどういう変化をしていくかを追ったドキュメンタリー作品です。未就学の子供達が「愛とは何か」をみんなで対話しているのをみた時に、みんな「表現できるんだ」と思いました。高校の時に先生から表現できないと言われたけど、こんなに小さな子供たちにもできるのだからみんな表現できるんだと思い、哲学対話を始めました。


絶対の答えはない
だから全ての考えを大事にしたい

Q:その出会いや発見の背景には何があったのですか?哲学対話に出会う前から、幡野さんの中で探究していた問いがあったのでしょうか?
幡野:中学の頃から人間とは何か、いかに生きるべきかと悶々と考えていました。高校を卒業してからは、お金の必要としない生き方はないのか、本来人間はどう生きるべきかということを考えていました。その日その日を暮らす生き方の方が本来の生きる姿なのではないかと考えて、そこからホームレスや自給自足に興味を持ち、2ヶ月ほど四国遍路をしました。

それから、駒澤大学仏教学部禅学科で禅を学びました。大学に入る前から仏教に興味を持ち始めて自分で勉強していたので、仏教とはこういうものだという考えがあった状態で大学に入りました。授業を聞いていても自分の理解で間違っていないと思っていましたが、2年生の時ある先生からそれは仏教ではないと聞いて衝撃を受けました。

お釈迦様の言っていたことと今の仏教は矛盾している。今の仏教の考え方は中国の宗教観がかなり入っていて元々の仏教とは全然違う形だという様なことを聞いてとても衝撃を受け、それまでこうだと思っていたものが覆されました。でもその覆され方がものすごく論理的で、僕も納得してしまいました。

自分がこうだと思ったことが崩れたら、不安だと思うんですが心地よかったんです。そこで自分の考え方が覆される心地よさを味わったのがひとつ哲学対話にも生きてきているなと思っています。哲学対話では、最初に自分の中にあったルールや考えが変わることを楽しみましょう、と言っています。ディベートではなく、意見を戦わせる場所ではないので自分の考えを更新していくのが哲学対話で求められる姿勢なんです。

それから初期の仏教に興味を持ち始め、サンスクリット語を勉強して文献を読むことを大学でやっていました。そこで考えていたのは、人間をどう捉えるかというのがずっとテーマでした。何で今自分が存在していると捉えられるんだろう、本当に自分は存在しているのか、その自分と言った時の自分はどこまでの範囲なんだろう、そんなことを考えていたのが大学時代でした。

人間をどう捉えるのかという疑問に関しては、分からないが答えでした。わからないから、人と考えることが大事なんだということが哲学対話に繋がってくる点です。

仏教の一番の根本的な考え方は無常だと思っています。常に物は移りゆく、無常はどういうことかというと絶対を否定しているんです。こうだといった瞬間に変化してしまうので、ここだと言い切れない。だから常に考え続ける必要があるし、どんな考え方にも正解の可能性があるから、全ての考えを大事にしていくべきだというのが僕の中にある。考え続けることと、考えの可能性を認めることというのが大学の4年間を通して得た一番大きなことでした。


未来は自分一人ではつくることができない

Q:これからどんな美しい時代をつくっていきたいですか?
幡野:美しいといった時に、一般的な美しさは好きではなくて、汚さに美しさを感じたいです。
子どもたちがじゃんけんをするときに、後出しでも勝とうとしてる、そういう姿に美しさを感じたりもします。美しさについては、問いを深めたいですね。

僕自身一人ではつくっていくことができないので、僕だけの美しい時代ではなく、色んな人と問い考え深めながら美しい時代をつくっていきたいと思います。

記者:本日は、貴重なお話をありがとうございました。

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幡野 雄一さんの情報はこちらから
Facebook
https://www.facebook.com/yuichi.hatano.37

探求型学習塾
ベースクール
2019年4月開校
http://baseschool.net/

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【編集後記】
今回、記者を担当しました久保真弓、原雅美、石田千穂です。幡野さんのお話を通して自分の考えを素直に表現する事で、色んな角度から物事を見る視点を育てることができるのが哲学対話なのだと思いました。現代の変化の激しいAI時代に、必要な対話の場だと感じました。
幡野さんのこれからの活躍を心から応援しています。

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