仕事やプライベートの枠を越え、生き方そのものがエンターテーメント。周りを楽しませるプロ”諏訪博子さん”

プロフィール
出身地
:福岡
活動地域:九州
経歴:KBCラジオのラジオカードリポーターを経て26歳でフリーになった。その後は各局のTVリポーター、ラジオパーソナリティをしながら、タレント事務所を経営。出産の為一時活動を中止していたが、復帰後もTV、ラジオで仕事をしながら司会、モデル、タレント事務所代表を務める。
現在の職業および活動:コミュニティFM天神で毎週月曜日、15時から「はじめましてエイチです」オンエア中!。タレント育成、リポーター(TV・ラジオ)、キャスター、ナレーター、MC、トーク教室講師、他おしゃべりならなんでも
座右の銘:「善心で前進」「愛他心」「感謝

みんなと仲良くなりたい。

Q1 . 諏訪さんが思い描く、これからの夢・ビジョンを教えてください。そして、その夢をどのように具現化されていこうと思っていますか?

それぞれの年代、男性、女性、障害を持っている方など、いろんな方がいますが、分け隔てなくみんなと仲良くしていきたいです。難しいことだけれど、人の痛みがわかる人、人の心に寄り添える人、そんな周りの方に役立つ人でありたいなと思います。
 今、タレント育成もやっているので、そういった活動を通じて、若い方々がどの分野でもいいので活躍できるように応援したいと思っています。
若い方から、私に「これはこうですよ」って教えてくれたことが、「すごい!なるほど!」と思う内容だったりするので、話していて本当に楽しいんですよね。でも、そんな若者たちが、すぐに「どうせ」って言う。「どうせ私が変わっても何も変わらない」「どうせ世の中変わらない」。有名大学を出た子たちがニートになることがすごく残念なんです。若くても影響力があるということに気づいてほしい。
だから、仕事で接する若い子達にはプライベートまで介入しちゃいます(笑)。彼氏やアルバイト、親の話まで聞くし、たとえ事務所を辞めたとしても関係は変わらない。
 言葉も礼儀も知らない人脈もない若い頃に、私が関わっている方たちのことは私に責任があると思っています。彼らに「どうせじゃないよー!!」っていうことを伝えたいですね。

周りを巻き込くらい楽しむこと,「笑顔」は何より大事

Q2 . 諏訪さんが夢を実現するために日々の中で大事にされていること、指針は何ですか?
 
 周りを巻き込くらい楽しむこと、そして口角あげて話す!「笑顔」です。たとえ自分がどんな気持ちだったとしても、口角をあげて話すと必ず笑顔になります。人間、笑顔で怒ったり本気で落ち込んだりできないでしょ(笑)
   
 あと、「私が」というのをまず自分が辞めることは大事にしていますね。子どもとの関係性の中でも、それは大事にしてきました。子どもが小さい頃は、日常はフラットな関係だったとしても、教えるべきことがある場合は、本気で接したいからちゃんと叱っていました。ただ、怒った後はすぐにくすぐって笑わせて、抱きしめて、愛してるということを伝える。そういう時も「私が」があると、私も怒った手前、すぐ笑えなくてしばらくフンッてしたくなるんですけど、そうならないように、自分がまず「私が」をなくすようにしていました。
 10代、20代の時は、「自分が一番できる」と思っていて、できない人の気持ちがわからなかった。人にもすごく厳しかったので社内でも怖がられてました(笑)。当時は厳しくした方が人は育つ、と思ってやっていたことではあったけれど、厳しいことが良いこと、優しいことが良いこと、とかではなく、相手の気持ちを理解した上で接しようとするように随分変わりましたね。

「切り替え」が大事

Q3 . 今の夢を持つようになったきっかけは何ですか?そして、そこにはどんな発見、気づきがあったのですか?

 私が36歳、娘が3歳の時、様々な出来事が重なり心労がたたったのかわからないのですが、髪が全部抜けてしまったんです。初めは1つの円形脱毛症から始まって、3か月後には頭の毛も眉毛も全部抜けてしまいました。毎日髪が抜けるから、それがストレスでパニックになって過呼吸になって・・・。病気と思っていろんな検査をしましたが、どこも悪くなく、原因がわからない。私を見た人は皆「何でこんなことになっちゃったの」と泣くんです。私の方が泣きたかった・・・
 何とか治らないかと病院だけでなくお祓いもしたんですが、効果はなく、育毛の商品を取り扱っているところにいったら「もう生えてこないです。○百万円かかります」って言われました。
 
 とにかく体調が悪くてご飯も食べられないし、夜も眠れないし、今より15kgくらい痩せていて本当にガリガリ。その頃はTV番組にも出演していたのですが、人に見られるお仕事だったのもあり、番組は全部降ろさせてもらいました。イベントの司会とラジオだけはカツラを被って何とか続けましたが、人に見られるのが怖くて・・・
 その頃離婚もし、娘を食べさせていかなきゃいけないし、ラジオのお仕事も1年のレギュラー番組だったこともあり、仕事を辞めることもできなかった。いったん抜けてから生えてきた毛は全部白髪の産毛で、それを隠すのに黒いクリーム塗るんですが、夏は熱くて額に黒い汗が流れて・・・。体調も悪くて、全力で何時間かしゃべるけど、そのあとぐったり。喋ってても吐きそうで倒れそうになる。アロマオイルでなんとか気分を紛らわして、冷や汗かきながら、必死で仕事をこなしました。
 状況だけ見たら、気持ちが暗くなってしまいそうだけれど、条件状況によって自分の気持ちが左右されてしまうのではなく、全ては起こったことを自分がどう思うか。楽しい方向にいくしか、自分も娘も守る方法がない。だから、切り替えて、娘も自分も暗さや寂しさを忘れちゃうくらい、明るく笑顔で生きようと決めたんです。 
 それで、「どうせだったら今までできなかった髪型や格好をしよう!」って思って、金髪に近いカツラを被って、当時ミニTとミニスカートが流行っていたので、ヘソだしして、イケイケのコギャルみたいにしてラジオやってました。人に見られる仕事で辛かったけれど、逆に見られるからこそ、そこまで切り替えができたとも思います。髪が抜け始めてから1年たち、やっとベリーショートにまで伸びて、髪を染めてやっとカツラがとれました。

 あの1年が自分の人生の中で一番辛かった。でも、あの経験をしたからこそ、人の痛みが少しわかるようになったんじゃないかなと思います。


子ども達の未来を守っていきたい

Q4 . とてもショックな経験で、切り替えるといってもなかなか難しいとも思えるのですが、諏訪さんが切り替えができた背景には何があったのですか?

    娘がいてくれたことが大きかったと思います。娘に、「辛さを見せないで完璧に頑張ってるお母さん」「私の為に犠牲になってるお母さん」って思ってほしくない。能天気で、うるさくて、よくこけるし、ワイン大好きで飲んだくれてどうしようもないお母さん。でも、めちゃめちゃ楽しんでる。どんな寂しさも忘れるくらい底抜けに明るくて笑顔。自分がそんなお母さんであることが、娘も精神的に楽なんじゃないかと思ったんです。だから、辛い状況もトコトン楽しみました。

 日々の中で、ため息つきたくなるようなことはいろいろあるけど、人生、その人が乗り越えられるからそれがきてる。だから、「私が」ばかり考えるんじゃなくて、周りを巻き込むくらい楽しみ、笑顔でいることを学びました。
 あとは、ほんの些細なことでいいから、1日1個でも相手の為に何かをする。一人ひとりが負の思いではなく、良い思いを選択する。そういうことが少しづつでも広がっていけば、戦争もなくなると思います。
 私の場合は、36歳の時のことのようなきっかけが2個、3個とあって今の自分に行き着いています。まだまだ勉強中ですが、自分が何かをすることで、子ども達の未来を守っていきたいなと思います。

記者:本日は貴重なお話をありがとうございました。

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【編集後記】

インタビューを担当した新原、岩見、木村です。とても気さくで明るい笑顔の背景に、深い愛情と凛とした強さを感じ、諏訪さんはまさにこれからの美しい時代を創るメッセンジャーだと感じました。貴重なお話を本当にありがとうございました!

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