株式会社ライジングアドバンス代表取締役 佐治浩一郎さん

プロボクサーから営業マンとして活躍した経験を経て、25歳で起業された佐治浩一郎さん。今は日本の価値を向上させるため、日々全力投球されています。そんな佐治さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地   東京都
活動地域   福岡県
経歴   東京都都立板橋高等学校(平成18年3月 卒業)
          平成17年 日本プロボクシングライセンス 取得
       平成21年 株式会社光通信 入社
          平成23年 福岡転勤
          平成25年 同社退職
          平成26年 株式会社ライジングアドバンス 創業、代表取締役 就任
現在の活動および職業   株式会社ライジングアドバンス代表取締役
座右の銘   他力本願

日本の価値を向上させたい

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

佐治 浩一郎さん(以下、佐治)   子どもが生まれた時、自分と繋がった存在を残せたことで僕個人のことは全て叶いました。こんな幸せが得られると思っていなかったので、自分のことにおいて願望はもうありません。今は、次の時代に何を残せるのかに関心があります。

   僕はバブルが弾けた時代に生まれました。そこから30年間、日本は世界から甘く見られています。実際このままいけば、100年後には日本はもう存在していないと思っています。僕は日本の価値を向上させて、もっと良い日本を子どもに残したいです。

   今取り組んでいるデザインソースは、デザイナーと企業をマッチングする事業です。デザイナーは技術やセンスが一流でも、仕事をとることころで躓きます。だから収入が安定しないのです。仕事のマッチングをデザインソースで補っています。又、デザイナーの能力を上げるために様々なセミナーも開催しています。デザイナーの人は安定した収入が得られ、能力の向上もできますし、企業側にも国にも大きな経済効果が生まれます。

   傲慢に聞こえるかもしれませんが、口で言っているだけで形にしないのでは何の価値もないと考えています。必ず実践し、結果にまで結ぶことを意識しているので、夢ではなく目標を持つようにしています。

   目標を設計する時には、うまくいきそうなものはあえてやりません。いつも今までにないような難しいことをあえて設計します。難しいことだからこそ、新しい価値を生み、新しいスタンダードを築けるのです。そして周りの人たちが輝き、時代を少しでもより良くしていきたいです。

海外で仕事ができる

Q:「日本の価値を向上させたい」へ向けて、どのような目標や計画をお持ちですか?

佐治   海外で仕事をすることは必須だと思っています。今の事業は国内のみなので、世界展開向けの新プロダクトを開発中です。2019年中には日本でオープンし、2020年に海外へ展開します。

海外展開を見据えて留学もしました。全く英語ができなかったところから、今では日常会話レベルまでできるようになっています。さらに不思議なご縁からイタリア人のエンジニアと繋がりができて、とても意気投合しました。早速4月から弊社にCTO としてジョインすることになり、一歩ずつ形になってきています。

人・金・売り上げを絶やさないこと

Q:その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?

佐治   僕がする仕事は3つだけです。人・金・売り上げを絶やさないようにすること。必要な人を採用し、お金を絶やさず、売り上げを伸ばしていく。この3つが回り続ければ、会社は成長していきます。

   そのために特別なことはしていませんが、常に意識は張り巡らせています。僕は自分が正しいことをしている自信があるので、必要なことは必ず補われるようになっていると思っています。

   けれど人生は塞翁が馬です。良いことも悪いことも表裏一体なので、いつ何が起きるかわかりません。だから僕は常に先を読んで、何が起きても対応できるように何手も対策を打ちます。僕の人生はずっと薄氷の上を歩くようなギリギリの道だったので、かなり感覚が敏感になって鍛えられていますから、何か起きそうな時にすぐに反応できます。絶体絶命のピンチに陥っても、そこから僅かな活路を見出して乗り切れる自信もあります。そうしてそういう経験が自分をさらに成長させてくれます。

何を残したのか

Q:「日本の価値を向上させたい」と思うに至ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがあったのですか?

佐治   僕はプロダクトそのものには何の価値もないと思っています。大切なことは、そのプロダクトを使った周りの人たちがどれだけ輝いたのかということです。彼らの歩んだ足跡が、そのプロダクトに意味があったことを物語ります。

   ですからデザインソースも僕の色は極力消しています。使ってくださるユーザーの価値になっているかが大切です。デザイナーの方たちもいつかはデザインソースを辞めていきますが、僕はそれで良いと思っています。いつか「あの日々が自分を成長させてくれた」となったらそれが最高の成功であり、終着点です。

   今の日本も、かつて戦争の時に多くの日本人たちが命を投じてくれたことによって成り立っています。彼らのバトンを僕らは受け取っているんです。この国をつくった当時の名もなき人たちを僕はとても尊敬していますし、そのように生きたいと思っています。

何もできない自分に気づいた

Q:「何を残すか」と気づいた背景には、何があったのですか?

佐治   17歳の時に大切な人を亡くしました。あまりにも突然でした。当時、自分は天才だと、何でもできると思っていました。けれど僕は大切な人の死を前に何もできませんでした。プロボクサーになると口で豪語するだけで、その姿も見せられず、死に目にも会えなかったのです。本当の僕はちゃらんぽらんで、何もできない自分であることに気づきました。自分を呪いました。そんな自分は終わりにさせると固く誓ったのです。

   その時、初めて自分に向き合いました。自分には言ったことを実践し、現実にしていく力があることがわかりました。そして自分の中に、その人から教えてもらったことがたくさん残っていることに気づいたのです。目の前の人をちゃんと見て、対等な人間として尊敬し、一部分の弱さだけで人を判断しない。そういう基礎を学びました。又、客観的に自分を見て、足りないものを認め、補っていけるようになりました。その人は僕の中に生きているのです。

   その人だけでなく、今までの先人たちの歩みも全て僕の中にあって、それで今の僕がいます。受け継いだバトンを僕も伝えていくだけです。決して後悔しないように、骨のカケラすら残らないくらい粉々になるまで燃え尽きる生き方をしたいと思い、実践し続けています。

記者   大切な人を失う痛みや無力感を知っているからこそ、何を残すことができるのかという一点へ向けて日々実践されるのですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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RisingAdvanse

【編集後記】
今回、インタビューを担当した小水、赤熊、北川です。
次代へ何を残すのかに徹底的に向き合っておられる佐治さん。佐治さんはもはやその体の範囲が自分ではなく、亡くなった大切な人や、今までの日本をつくってきた人たちなど含めた全てが自分となっているのだと感じました。受け継いだバトンを次に繋ぐために命を燃やすような生き方は、かつての特攻の人はこうだったのではないかと彷彿とさせられます。多くの別れや死を経験した涙があるからこそ、そこまでの生き方ができるのだと思いました。
佐治さんの今後の益々のご活躍を応援しています!

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