社会と人間の本質を探究し、少年の心で創造し続ける 撮影監督 倉田修次さん

現役カメラマン、そして大学講師として、真剣に人と向き合い、虚構と現実の中で、矛盾と葛藤しながらも社会と人間の本質を探求し続ける、倉田さんにお話を伺いました。

■ 倉田 修次(くらた しゅうじ)さんプロフィール

出身地: 兵庫県尼崎市

活動地域:全国

経歴:京都太秦の撮影所で映画に携わる。31歳でフリーキャメラマン

(Wikipedia 倉田修次 で検索できます)

現在の職業および活動:IDC映像創作集団合同会社 代表

Q:今の仕事に就いたきっかけは何ですか?

倉田さん(以下、倉田、敬称略) 20歳位の時に、自分の未来に夢がなかったんです。そんな時、高林陽一さんという映画監督が600万円で映画を撮るという企画で学生スタッフを募集していて、そこに飛びこんだのがきっかけです。親父が映画好きで、小さい頃から日曜はいつも映画館で朝から晩まで鑑賞していた経験もあり映画は好きでした。あと、ちょうど中学生の頃に大阪万博があったんです。携帯電話もまだ未来への提案だった時代に、色々な企業のパビリオンで、視野全部に映像が広がり観たこともない世界と出会いワクワクドキドキしたことも影響していますね。
記者:実際に映像の仕事について、どのような魅力を感じたのですか?
倉田:映画に関わっている人たちは60代位の大人たちでも、しょうもないことを、ものすごく喜んでやっているんです。シーンを一つ撮るのに、どんな風につくるか、どう感情を表現するか、監督含めみんなで考えて手作りで創り上げていく。例えるならプラモデルをつくっているのと同じような感覚でワクワクしますね。

Q:映像を通して、いろいろなお仕事をされる中で、向かっている夢やビジョンは何ですか?

倉田:現在『想い出保険』® というサービス商品を考えています。この企画は、大学で古い映像のアーカイブの仕事をしていた時に、東北の震災が起こり、そのドキュメンタリーの取材をしたことをきっかけに生まれました。
直後、石巻では行方不明の人がまだ1000人以上いる状態でした。住宅メーカーや葬儀屋など震災で結果的に儲かっている企業も遺族たちの心を思うと心が痛い。そんな社長たちが発起してお金を集めて、仙台市の国立公園に公共のレクイエムをつくることになったんです。作品を依頼したのは、イタリア在住で宇宙の絵を描いたりする彫刻家で、イタリアの山奥で石を切り出すところから撮影に入りました。そんな中、石巻での撮影の時に、いつも同じ店の同じ席に一人でずっと座っているおじさんがいたんです。長年映像の仕事をしていても、ここまで寂しいオーラは、なかなか出せないくらいの、座っているだけで「寂しい・・辛い」という空気感、すごいパワーを出していたのがどうしようもなく気になって、話を聞きにいったんです。最初は「何をしにきたんだ」という感じでしたが、3回目くらいにやっと話をしてくれたんです。「家もなくなった、嫁さんもなくなった、子供もなくなった、みんななくなった、何のために生きているのかわからない」と。
人間って、本当に寂しいとき、そこまで悔しさを出すんだと感じました。
感情って、偽ってごまかしてしまったりすることもあると思うんですが、そのおじさんは、きれいに自分の心を解き明かしていた。これが人間としてある姿なのかなと感じたんです。
その時にこの『想い出保険』® を思いつきました。いつでもお嫁さんや子供の声が聞けるように、少しでも遺してあげたいと思って。

ほかにも、結婚式の映像を撮影するだけではなく、友人や親せきが各々の携帯などのモバイルで撮影した映像を集めて作成するビデオ、「ポ ートフォリオウエディング」(申請中)というサービスもしています。 僕たちは撮影自体はもちろんプロですが、第三者が当日初めて新郎新婦と会って、決まった形で撮影するものと、知り合いが撮るものは 違うんです。 それぞれの人たちは違う結婚の形があり、違う物語がある、それを撮ってもらいたい
多少ブレていてもいい。友人や親戚が撮るものにはやっぱり、愛があふれてるんですよ

Q:現場での経験の中で、どのような心のあり方や認識の変化があったのですか?

倉田:若い頃、コマーシャルの撮影をしていた時には「うまく撮る」ということが重要だったんです。いかにみんなに「これいいな」と思わせるか、「売る」ための手助けをしていました。うまく「見せる」ために、「欲しいと思わせる」ために撮らないといけない。
記者:そこに矛盾を感じたということですか?
倉田:その時に矛盾を感じていたら仕事できないですよ。それが商業主義だし、それが仕事だから。家族を食わしていかないといけないし、お金を儲けないといけないから、自分のやっていることに矛盾を感じる暇もなかった。今だからこそです。
記者:当時と今の変化は何があったのですか?
倉田:大学で子供たちにものを教えるようになった時に、教師として生徒の目を見て嘘は教えられないという思いが起こりました。僕の目を真剣に40人中4人が見てくれたら、自分の知っている限り、誠意をもって伝えたい。一つの話をして3倍理解する子もいれば、半分も理解できない子もいる。真剣な子には時間がかかってもわかるまで教えたい。そこでもまた矛盾が出てきて、真剣にやっていると時間がなくなってくるんです。プロの教師というのは、自分の教えることをしっかりと教えて、学生側がどんな器で受け取るか、そこまでは関与しない。僕の場合は「もっとこうやってあげたら」とか思ってしまう。例えば、発達障害の子もいて、わかるまで説明してあげたいけれど、それを1人の子にやっていると逆に他の子から反感をかったこともある。初めて自分の中で「ストレス」というものがわかって、学校に向かう電車に乗りたくないという状態にまでなりましたね。
記者:全員の子がわかるまで真剣に向き合いたいという思いと、教師としてこうあらないといけないというギャップに苦しくなったということですか?
倉田:今なら自分が間違っているということがわかるんです。1人の子に向き合いたいというのはあっても、一つの組織としてみたときに、1人のために他の39人を置いている。組織のために全体をとることは当然だけど僕はそれを許せなかった。その1人を何とか救おうとする、だけど救おうとしてもやってられへんというのが出てくる、自分の中で対立した考えが両方出てきて、どうにもできない時にストレスになるということがわかりました。
だから、いったん教師の仕事はやめたんです。
記者:そうでしたか。


倉田:だけど、今はまた別のところで教師をしています(笑)僕は、好きな映画を勝手にやって、食うために映像撮って、自分ではフリーにやってきた人間でしたが、教員をやって初めて人と向き合ったのかなと思います。
人は一人では生きていけないので、つながりや思いやりは持っていないといけないと思っていますし、人の役に立ちたいと思っています。
お金にない幸せは絶対にあるとは思います。例えば、結婚式とか幸せそうな2人を見ていると僕たちも幸せな気持ちになるように。その人の幸せはみんなの幸せとして広がっていくのが、本当の幸せだと思います
けれど、実際は人間エゴがあるから、自分がおいしいもの食べたいし、お金のことでケンカになったり人を陥れたりということが今の日本でも起こっている。頭が良くなった分、楽をしたいというのも出るのかもしれません。
お金じゃないと言いたいけれど、ある程度のお金がないと心の中に余裕がなくなる。悲しい話ですよ。
そんな中でも、みんなが少しでも今よりも幸せになってほしい。そのために、少しでも手助けをできたら嬉しい、喜んでもらえたら嬉しい、笑顔が溢れたら嬉しいと思っています。

Q:どのような美しい時代をつくっていきたいと思いますか?

倉田:無理でしょ(笑)
記者:えぇっ?なぜですか?
倉田本当に美しい世界をつくろうと思ったら、もうできていると思う。
なぜできていないのか、それは人間は“エゴ”があるから

人間のエゴがあって、主権争いが生まれてしまう限り、美しい時代は無理だと思う

幸せになるためにテロをしたり、幸せになるために宗教で争ったり。もとは同じ宗教なのに。そこにあるのは主権争い。これは一生続くんじゃないかな。個人としては美しい世界の理想はあると思うけれど、国になると国としての主権があるから、人間として美しい世界をつくれるはずがないと思うんです。組織の主権が国民たちを扇動すれば戦争になる。
昔からギリシャ神話や聖書の理想郷や、仏教の阿弥陀如来の極楽浄土など、いろいろ語られてきましたが、行った人は誰もいない。人は宇宙までいかないと幸せになれないと思います。だけど人は死んだら地面に埋まって宇宙には行けない。
記者:本質的な話になってきましたね。身体は地面に埋まっても魂は宇宙にいけるのではないでしょうか?
倉田:魂は“無”なんですよ。僕らの世界は可視光線で見る範囲。全ての電磁波を取り込むのが宇宙のブラックホール。そこが無、暗黒の世界。太陽系、銀河系も、僕らの魂もそこに吸い込まれていく。その先にマイナスの宇宙があり、そこからまた新しい宇宙ができている。僕らの魂は無になって、誰かの魂とぶつかり合って、また新たな魂が生まれる。それは面白い話であり宇宙の原理だけど、僕らの身体は所詮、酸素と窒素と炭素とリンと、そんなものでできているだけですからね(笑)魂が連鎖して祖先とも繋がっていると思えば、人間もすごいなと思いますが、わからないといえばわからないし。

記者:なるほど。今までの物理学や宗教で探求されてきた本質の世界観ですね。では人間から、もしエゴがなくなる可能性があったら?
倉田:エゴがなくなると発達しないと思います。悪い意味ではエゴだけど、何かをする時に「人より勝る」ということがエンジンになったりします。
IPS細胞の発明とか、新しいことや、人と違うことをしたい、というのがあるから発達するんだと思います。たぶんエゴがなくなったら人間はAIになるんじゃないですか?(笑)茨城のAI研究所で、人型ロボットを見てきましたが、進化がすごい。地球上で害のあるものとして人間が排除される時も近づいているのではないかと(笑)。違うメーカーのAIロボット同士を集めた空間では、AIロボットたちが人間にわからない言語で会話を始めるということが始まっているそうです。人の言葉を認識して返すはずなのに、それを超越した言葉をつくって話しだす。ある程度禁止しているそうですが、それ位に予想外の発達が早い。他にも怖いのが、ガンダム型ロボットが軍事用に開発されているという話もあります。すごいものが出てきてしまっている。

記者:エゴが争いや問題を生み出すけれど、文明の発達のためには必要であるという矛盾ですね。AIまで生み出した人類、そのAIの進化が人間を超える危機は言われていますね。権力の問題だけでなく、AI時代の危機まで実感されている中で、人としての幸せとは何なのでしょうか?
倉田:やっぱり自分が幸せになりたいじゃないですか。人が幸せだと自分が幸せになれる。赤ちゃんがニコニコしていると嬉しい、それが原点だと思う。人の幸せは幸せ、悲しかったら悲しい、それをみんなが感じたら幸せになるんじゃないかな。みんなが寄り添って、なんで悲しいのか聞くとか。実は、宗教、政治、町内会も、元をみればそういう幸せを追求するコミュニティ。だけど、そういうもの同士が対立してしまうのが現実。主権を主張する限り、絶対に対立が生まれてしまう。みんなが裸になってユートピアをつくる、くらいにならないと(笑)。でもそれができてたら、もうとっくにできてますって。人間はそれをつくらないんです。

記者:なぜ今までできなかったのかの理由と、なぜできるのかが見えたら?
倉田:できないんです(笑)。もし今からできるなら、それはAIなんです。自分の体は機械にして、永遠の命や永遠の幸せをつくるとか。エバンゲリオンでも魂を浄化するために集めて平等な魂をつくっちゃう。結局「人間はどうやったら幸せになる?」の方法が、幸せになるためには破壊が必要という方向にいく。そこからテロになっていく。そして破壊された方はどうなるのか、幸せになるために敵を破壊する、常にその繰返しをしているんですよ。
記者:究極の固定観念が、破壊されないとですよね。
倉田固定観念というのは、固定していないんです。本当に固定していたらコアになるんですけど、コアも動いているから。宗教も同じ。キリスト教も仏教も、いろんな人の解釈が入る。仏陀の伝えたことは本当はひとつなのに、どれだけ宗派があるのか。解釈した人が主権になって、その人が偉いと思っちゃう。固定が一つならいいのに、それが80になって8000になって、派生し続けてしまうだから固定(コア)が動くから問題なの

記者:話が尽きないですね。倉田さんのお話は、本質的な世界を探求されていて、大変興味深いです。お話を聞いていると、今までの固定観念を常に突き破り続けたいというような思いは感じたのですが。
倉田:それは常にあります(笑)。
記者:そうですよね(笑)ぜひまた改めてお話できればと思います。

本日は本当に、ありがとうございました。

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facebook : 倉田修二
Ameba blog : オヤジカメラマンのブログ
IDC映像創作集団(同):  idc-osaka.jp/

【編集後記】
今回インタビューの記者を担当した、福田と大村です。お会いした瞬間からノンストップであふれ出る話題の豊富さと、ストレートなエネルギーに圧倒されました。美しい時代は「無理」と言われた背景には、理想論に留まらず人間社会の構造に対する本質的な考察があり、今までにない「コア」の必要性と創造の可能性を感じました。ありがとうございました。

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