忙しいジャーナリスト・翻訳家でありながら、時代に先駆けた「ワーク・ライフ・バランス」の実践者 牧野洋さん

忙しいジャーナリスト・翻訳家でありながら、「ワーク」だけに留まらず、「ライフ」に軸足を移して子育ても思いっきり楽しみ奮闘してきた牧野さん。「第2のキャリアチェンジをしないと人生もったいない!」と語る背景を伺いました。

牧野洋さんプロフィール

出身地:東京

活動地域:東京

経歴:1960年生まれ。慶応大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や「日経ビジネス」編集委員、本社編集委員などを歴任し、2007年に独立、執筆・翻訳活動に入る。2008~2013年は在カリフォルニア、帰国後に早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。講談社「現代ビジネス」やダイヤモンド社「週刊ダイヤモンド」でコラム連載。2013~16年は福岡、2016~19年は東京、2019年~現在は広島在住。

著書に『福岡はすごい』『管報複合体』『米ハフィントン・ポストの衝撃』『共謀者たち』(河野太郎氏との共著)『最強の投資家バフェット』など、訳書に『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』『ビジョナリーカンパニー4』などがある。

現在の職業および活動:フリーランスジャーナリスト兼翻訳家。3児の父。


「若い人たちにジャーナリズムを伝えたい」
「第2のキャリアチェンジ」


Q1.牧野さんが思い描くこれからの夢・ビジョンを教えてください。

牧野洋さん(以下 牧野 敬称略)26歳の頃に、ニューヨークのコロンビア大学ジャーナリズムスクールに留学した時、スクープ合戦や偏った情報とは違った、アメリカの徹底的に市民目線、ユーザー目線のジャーナリズムを体験し、目から鱗が落ちました。その後日本に戻ってからも20年間新聞記者として仕事をしましたが、ずっと「日本のマスコミは構造的な問題を抱えている。世の中の為にもジャーナリズムの本を書きたい」と思い続けていました。その為、2007年、24年以上勤めた大手新聞社を早期退職し、2012年に念願かなって『官報複合体』という形でジャーナリズム本を出版できた時は、感無量でした。

 最近は、ファクトチェック・イニシアティブ~FIJ~という団体の発足に関わったり、早稲田大学ジャーナリズムスクールで教鞭を執ったり、コラムの連載、本の執筆・翻訳などをしたりしながら、メディアの理想をこれからジャーナリストを目指す若い人たちに伝えていきたいと思っています。日米両方の報道現場に身を置いた自分しかできないことをするのが私の使命だと思っているので、その視点から、権力側が発信したいことを伝えるのではなく、市民側が知りたい情報を発信し、メディアを良くしていきたいですね。

 また、サラリーマンとして大手で一生働き続ければ安定した生活は保障されていたのですが、私は「1度しかない人生でそれではつまらない」と、40代で脱サラして、翌年に一家でカリフォルニアへ移住しました。経済的には不安定な自営業者になりましたが、子供と接する時間は飛躍的に増え、仕事中毒の「ワーク」から子育ての「ライフ」へシフトしました。
このワークライフバランスを実践する第2のキャリアチェンジは、本当に毎日が活気があって楽しく充実しています。私は、男性が「ライフ」の比重を増やすことが少子化対策の決め手だとも思っています。人生長いのだから、ぜひ多くの男性にも会社人生だけでなく、家族との時間を増やし、いろんなことを楽しんでほしいですね。

「妻と話し合いながら未来設計」


Q2.牧野さんが、ワークライフバランスを実現しながら、メディアの理想を伝えていく為に、計画を立てていることがあれば教えてください。

牧野 2007年に新聞社を辞めて脱サラした際に、それまでは私が仕事一本やりだったところから子育てにも軸足を移す一方で、妻はキャリアアップして一家の稼ぎ頭になるスタイルにしようと2人で決めたので、未来設計は、妻と話し合いながら決めています

 私が会社を辞めた後の住む場所も、子どもと一緒に世界のどこで住むのがいいかなと2人で考えた結果、開放的でよそ者にもやさしいカリフォルニアに的を絞り、次に妻が経営学の博士号(PhD)取得のために勉強する大学を選び、クレアモントへの移住を決めました。クレアモントは、経営学の大家ピーター・ドラッカーが30年以上も住み続けた「ドラッカー第2の故郷」で、私にとっては、ドラッカーが永眠する直前に彼に2週間にわたってインタビューした思い出深い土地でもあり、家族全員がとてもそこでの生活を気に入りました。

 妻は無事にクレアモント大学院大学(CGU)で博士号を取得し、その後九州大学でアントレプリナーシップを教えることになりました。そのため家族で福岡に移住、そしてその後、東京での仕事が決まれば東京に移住、という風に、妻のキャリアのサポートを中心としながら、ジャーナリストとして自分がやりたいことを進めています。2019年4月以降は妻が広島大学へ転職したので広島在住です。

「様々な分野の方と関わり合いながら、環境を変え、刺激のある状態をつくる」

Q3.牧野さんはどのような活動指針で、活動をされているのでしょうか?

牧野 日本の会社で働いていると、皆同じような学歴で、日本人、男性、プロパーで、と、どうしても同質性になりやすく刺激が少ないと思います。僕は仕事だけでなく、子どもとパートナーとの時間を大切にし、地域の活動や社会活動への参加するなど、様々な分野の方と関わり合ったり、環境を変えたりして、刺激のある状態をつくるようにしています。長時間会社で仕事をするだけの生活より、いろんな人と関わって、休む時間もちゃんと確保する方が仕事の生産性も高まります。

 そういった考えなので、福岡に住んでいる時はPTA会長もしましたし、PTAや子どものイベントには夫婦一緒に参加するようにしています。アメリカでは、子どものイベントには夫婦で参加が当たり前ですが、日本ではPTAにいっても母親しかいなくて、あまりに男女の区分けがはっきりしすぎている。今の日本は、昼間、サラリーマンのお父さんが子どものイベントに参加しにくい現状がありますが、些細なことだけれどこういうことを変えていくことが大事だと思います。

「子育ては、どんなに辛くても大変でも意義がある」

Q4.牧野さんが今のようなスタイルで活動するようになったきっかけは何ですか?また、そこからの気づきがあれば教えてください。

牧野 もともと、私生活を犠牲にする会社一筋の企業戦士には魅力を感じなかったので、いつか独立しようとは思い準備はしていました。また、結婚を機に、1人よがりではなく、家族みんなで楽しく一緒に時間を過ごすには?ということが人生のテーマになりました。

 40代半ばになって妻とバトンタッチしてキャリアチェンジした時は、妻は大学院にいき始め、めちゃくちゃ忙しい時でした。今までやったことのなかった子育てをカリフォルニアという新しい環境で初めてやり、大変なこともいっぱいありました。子どもは当時、0歳、4歳、6歳だったので、0歳児は母乳が必要で、妻が3日間家を空けるときは0歳児が夜中ずっと泣き止まず、泣き疲れて眠るまであやし続けました。上の子は英語ができなかったので、カリフォルニアでの生活に慣れるのが大変でした。朝は、子どもたちの朝ご飯を作って食べさせ、お弁当をつくって、3人それぞれを保育園や学校に送迎して、というだけでも本当に大変で戦場でしたね(笑)。あの時は仕事より大変だったかもしれません(笑)

 でも、凄く大変だけど、子育てには無駄な時間が1秒もない。すべて意義がある。サラリーマンをやっていると、「これは無駄な会議だな」とか、「意味のない仕事だな」と思う仕事が誰にでもあると思うんですけど、子育てにはそれがない。どんなに辛くても大変でも意義があるので、達成感がめちゃくちゃありました。そういう意味ではサラリーマンの男性より、専業主婦の女性の方が有意義な時間を送っているのかもしれません。もちろん女性もワーキングマザーであるほうがずっといいと思いますが。人それぞれで、子どもがいない人生もそれはそれで充実すると思います。ただ、子どもがいるのに子育てを経験せずに生きるのは、すごくもったいないことをしていると思います。ワークライフバランスの実践で、仕事も家庭も両方、活気が満ちて楽しくやっていけるのだと思います。

「自由に生きたい」

Q5.今でこそ、ワークライフバランスという言葉はよく聞くようになりましたが、牧野さんのような男性がバリバリ仕事をするのが当たり前の世代ではなかなか難しいことだったと思います。それにもかかわらず、牧野さんがワークライフバランスの選択をできた背景には、何があったのですか?

牧野 僕は生まれは東京・練馬で、その後、福生という東京の田舎で育ったのですが、学校では詰襟の制服や厳しい部活動になじめず、軍隊のようだと思い「早くこんな環境から脱出したい」という思いを強めていきました。

 父はマスコミにいて、出版社だったんですけど、すごく自由に見えました。家の中は、父が流すJAZZや、兄が流す洋楽が流れていて、僕もビートルズを聞いていたり、アメリカンTOP40ってラジオを聴いたりしていました。特に当時のロックシーンには、ルールに縛られない生き方を感じて、1960年代のカウンターカルチャーの自由な雰囲気に憧れましたね。そういったことから、この息苦しい日本から出たい、自由に生きたい!という気持ちがあったのだと思います。当時のぼくにとっては自由の象徴がカウンターカルチャーの一大拠点カリフォルニアでした。

記者:なるほど。牧野さんから感じる、常識に捕らわれない自由さは、そういった頃から養われていたんですね。自分の人生にとって本当に大事なことを見極め、ブレずにその生き方を実践する芯の強さとしなやかさを感じました。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました!

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牧野さんの活動についてはこちら↓↓

HP:http://www.yomakino.com/about

【編集後記】

インタビューの記者を担当した新原&黒田です。一流のジャーナリストに取材ということで初めは取材に緊張しましたが、「取材することは多いけど、自分がされることは少ないんですよ。私も話せるかどうか」と私たちの緊張をとってくれ、時折見せる笑顔がとても素敵なあたたかい人柄の牧野さん。
 マスコミの仕事一色の業界で誰もが認める実績を残しながらも、時代に先駆けたワークライフバランスを実践する生き方が、まさに既存の枠に捕らわれず新しいことにチャレンジする生き方のモデルだと思いました。執筆、教鞭に留まらず幅広く影響を発揮する牧野さんのこれからの未来をイメージするとワクワクします。今後の更なるご活躍を楽しみにしています。

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