知の力で一人ひとりに安心の場をつくりたい 知の越境家 正木伸城さん

13,000冊以上の本を読み、多岐にわたる知識をお持ちであり長年の精神疾患を乗り越え、今も発信を続ける正木伸城さん。どんな心のあり方があるのかお話を伺いました。

プロフィール
出身地:
東京都江戸川区
活動地域:全国
経歴:1981年生。新聞記者時代にうつ病やパニック障害を発症。精神隔離病棟等での闘病を経てビジネスシーンに戻り、東証1部上場IT企業のマーケティング統括部マネージャーなどを経て現職。ダイヤモンド・オンラインをはじめ各種媒体で執筆活動もしている。趣味の読書は13,000冊超。
現在の職業および活動:monoAI technology株式会社の広報チームリーダー・副業ライター。「社会で弱くさせられている人たち」の拡声器になることを目指し平和・文化・芸術支援など各種活動を展開中。
座右の銘:なし

「いつも心はニュートラルに」


Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

正木伸城さん(以下、正木 敬称略) 私は長らく精神疾患を患っていたこともあり、自分の力をビジネス市場で試すのが遅れました。ですが、今年で39歳、どこまでいけるか、懸命に挑戦したいと思っています。精神疾患を抱え、乗り越えて、その経験を市場で活かしながらロールモデルをつくったという例は、実は少ないんです。一度挫折をしても、またビジネスでフルスイングしたいという人はいるはずです。たとえば頑張り過ぎちゃって倒れた人が、病の経験を経て「適切なスイング」をフルでできるようになって、また力を試してみたいと思うかもしれない。もちろん、それが幸せのすべてではないですが、自分が活躍することで、悩んでいたり苦しんでいる人に「自分も大丈夫かも」と思ってもらえる、そんな存在になりたいです。そのために影響力を持てたらと思っています。
特に僕は、読書歴もそうですが、学術論文を書いてみたり、アカデミックなことがらにある程度の知見をたくわえてきた経緯もあるので、アカデミズムの知を一般の人にどうやってわかりやすく伝えるかを意識し、課題にしています。今もご活躍されている池上彰氏のようにポジショニングしていきたいですし、一人でも多くの方の心を打ち、安心感をわかせられるような表現をしていきたいです。人は、安心があってはじめてチャレンジや生活が可能になるものです。僕の発信に触れて安心の気持ちが芽生えるような、そんな言葉の編み手になりたいです。

Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

正木 影響力を持つという意味では、今年は目標としていたTwitterのフォロワー2000人を超えるのと、脳科学者・茂木健一郎氏との対談が達成できました。また各メディアから記事執筆の依頼をいただくようになりました。
来年は(たとえば大胆に言うと)堀江貴文氏との対談の実現や、Twitterのフォロワー5000人を実現し、その先でいえば満40歳までに一冊目の本を出版しようと考えています。

Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?

正木 私は企業人として広報やマーケティングも担っています。たとえばマーケティングは、本を読んだだけではできません。私がビジネスシーンに復帰した最初、マーケティングを担わせていただくという話があり、門外漢ながら20冊ぐらいの関連本を読みました。が、実際の仕事になるとその知識が役に立ちませんでした。その後、実践して実践して、トライ&エラーを繰り返す中で、だんだんと「あ、あの本で書いてあったことはこういうことか」ということがわかってくる。知識や理論は、大勢でチーム的に行動する時のコミュニケーションツールとしてとても有用ですが、それだけのマーケティングでは通用しないんですね。これと同じことが多かれ少なかれどんなジャンルにもあると思います。大切にしているのは、「走りながら(実践しながら)学ぶ」スタイルです。
あと、一つのセオリーを強く信じないことにしています。仮にあるビジネス本に“正解”のようなことが書かれていたとしても、その“正解”のソファにドサッと座るようにはしない。そうすると、すぐに立ち上がれないですから。むしろ、“正解”は常に特定のシチュエーションにおける“最適解”なのであって、だから「こだわってはいけない」と思っています。違和感を抱いたら、すぐに立ち上がって別の「解」探しに移れる、そういう風に心をニュートラルにしておくようにしています。

Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのでしょうか?

正木 もともと学生時代から平和活動やアーティスト支援をしたりと活動的だったんです。多様な事業を練り歩きました。その上で私ができるのは「一人ひとりの安心の場をつくること」だと思ったんです。これは精神疾患にかかって、より強く抱いた気持ちです。「こんな自分なんて」と自責する人、弱くさせられて声があげられない人、そんな人たちにスポットライトをあてて声を拡声していく。それでつながっていく。そんな場が広がったらと思っています。
新卒一年目の時から闘病がはじまりましたが、その中で、自分が妙にこだわっていた「社会の役に立たないとダメ」といった観念を手放しました。役に立つとか、効率的だとか、計算可能だとか、そういった価値にとらわれない、なまのままの個性やその人の豊かさ、良さをつかまえようと日々、取り組んでいます。

Q.精神疾患から立ち直り、さらに発信を続けられている、その原動力は何だといえるでしょうか。

正木 自分が得た知識をブログで“語り直す”ようにしていました。アメブロやはてな等のサービスがない時代から、ネットに転がっているソースコードを書き換えたりして自分でブログを運用していました。なので、もともと発信マインドはあったのだと思います。幼いころから絵が好きで、絵も描いていましたし(都の代表に選ばれ上野の美術館に展示されたこともありました)、何かを表わしたいという願望が強かったんです。
うつ病が少しよくなって引きこもりから脱した時も、渋谷や六本木のクラブでイベントをしたり、何かを一から企画して、アイデアを人に提供したりしていました。そのような活動は、自分の中では自然なことだったんですね。
あとは、「やったら何とかなるんじゃね?」みたいな感覚で「とりあえず自走する」ができることが良い効果を発揮したのかもしれません。たとえばソースコードを書く、つまりプログラミングも、マニュアルなんてない中で「とりあえず触っていけばわかってくるでしょ」と自分で身につけました。普通は「無理だ」と思うところかもしれません。でも一事が万事、何ごとも僕は「これは無理」と思う前に具体的にやってみて、不可能な理由を探すより、どうやって可能にするかを考え、実践してきました。これは先ほど言った「“正解”のソファに座らない」という話と矛盾しているように感じられるかもしれませんが、瞬発力でグッと深掘って、今やっていることが心身になじむかを確認して、次の行動に移る(違和があれば方法を変える)という意味では通底しているので、両立はするんですね。
その特性を活かし、これから、自分の表現で人が喜んだり、安心の場だと思ってくれる機会をつくっていけたらと思っています。

記者 正木さんの活動の源のお話が聞けて、とても楽しい時間を過ごすことができました。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

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正木さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

●Twitter:https://twitter.com/lumCIniNGnBDurw

●note:https://note.com/masakinobushiro

【編集後記】

今回、インタビューを担当した清水、大川、森です。

お話を聞きながら、正木さんの繊細な感性からくる暖かいビジョンに共感しました。人の心に安心安全の場が広がれば、もっと一人ひとりが自分の可能性を信じて活動をひろげていける社会になるなと改めて感じました。

これからの活動も応援しています!

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