「感謝を忘れずに」La Vita代表 松岡耕平さん
福岡の女性向けポータルサイトを運営している松岡耕平さん。断られ続けてもやり通すその背景には何があるのか、お話を伺いました。
プロフィール
出身地
活動地域 福岡県
経歴
1975年12月30日生まれ
福岡県嘉麻市出身
県立嘉穂高校卒業
福岡大学商学部商学科卒業
1999~ネッツトヨタ西日本
2005~天神大丸アルレッキーノ
2017~La Vita代表
現在の活動および職業 La Vita代表
座右の銘 「ならば、良し!」
人と行政、人と企業を繋ぐ
Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?
松岡 耕平さん(以下 松岡 敬称略) 私は、20~30代の女性向けのポータルサイト”La Vita”を運営しています。街のグルメや美容などの情報をリアルタイムに一般の方の目線で一般の方に届ける仕組みにしており、市民が参加できるものにしていきたいと思っています。
私は飲食店に勤めていたのでよくわかるのですが、お店は広告宣伝費に毎月何万〜数十万円という膨大なお金をかけています。そこまでお金をかけても、実際にサイトに載せるのは、元を取るために団体や宴会向けの高額なメニューばかりになります。けれど、お店はその日限定のランチや、母の日には企画を打ち出すなど、毎日色んな工夫をしています。こうした一番伝えたいデイリーのことが全く伝わりません。
かといって、FacebookやInstagramなどを使って自ら発信しようとすると、全くの0から始めないといけません。何年もSNSをやっていてフォロワーが何千人もいたら良いですが、簡単にそうはいきません。けれど、“La Vita”というプラットフォームを使っていただくと、お店の情報をいつでも更新でき、ユーザーにリアルタイム広告ができます。
今までの広告形態は、広告のプロに依頼してお金を払ってお店の取材してもらうのが通常でした。そこからユーザーがレビューするようになりました。最終的には、お店が自分でプロデュースするようになると私は思っています。スマートフォンが出たことによって誰もが情報発信できるようになっています。どこかに広告を依頼したり、ユーザーが来てくれるまで待つのではなく、セルフプロデュースして、発信したいことを自ら発信する時代です。発信するお店たちをひとつのプラットフォームに集約すれば、ユーザーにとっても自然と価値が生まれると思います。
今はグルメや美容のお店だけですが、これを行政や企業でも行い、行政と人、企業と人を繋げていきたいです。行政や企業では、様々な地域貢献活動やCSR活動などの素晴らしい取り組みをたくさんしています。しかし、そうした取り組みは地域の冊子や会社のHPくらいにしか載っておらず、全然知られていません。特に若い女性が見る機会はまずありません。”La Vita”でグルメや美容などと一緒に行政や企業の取り組みを紹介することで、若い女性もキャッチしやすくなります。
そうして多くの人たちに知ってもらうことで、他の企業も刺激されて、自社でも取り組もうとしたり、街全体の意識が変わっていくと思います。そんな街づくりをする地域ローカルメディアにしていきたいです。
エリアを拡大する
Q:「人と行政、人と企業を繋ぐ」へ向けてどのような目標や計画を立てていますか?
松岡 今は大名の範囲ですが、大名内でうまくいったら、今泉、薬院とエリアを拡大していきたいです。又、一般の女性100名程に、彼女たちが立ち寄ったお店の情報を写真や文章で紹介してもらっています。
そして、ずっと飲食店をやりたかったので、いずれは自分のお店を持ちたいと思っています。
感謝を忘れないこと
Q:その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?
松岡 毎日飛び込み営業をしています。エリア内のお店を一軒一軒順番に回ります。今でこそ名刺やサイトもありますが、最初はそんなものもない中で訪問していたので、全く取り合ってもらえずそっけない対応をされることばかりでした。今でも断られることが多いです。
けれど、私が何もない中から始めて、たくさんの方たちから応援や助けをいただきました。人を紹介していただいたり、場に誘ってくださったり。何でこんな何もない私にここまでしてくれるのかと思うほどです。そのご恩を思うと、きつい飛び込み営業もやめようとは一度も思ったことはありませんでした。感謝を忘れずに早くご恩返しができるようになりたいです。
リソースはある
Q:「人と行政、人と企業を繋ぐ」を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
松岡 きっかけは小さなことからでした。自分にもリソースがあると気づいたんです。最初は行政と人を繋ぐといったような構想など全然ありませんでした。ただスマートフォンがあれば誰でも発信できることに気づき、そして私にはレストランで培った経験があり、レストランの現場での問題はよく理解していました。その問題を解決できる方法を編み出したところから始まったんです。
私がやるとなった時、翌日にはもう福岡中のweb会社にアポを入れていました。形は何もなくても話すことはできるからそれで十分なんです。自分のリソースが小さいと気にする必要はありません。自分ができる小さなことをやっていると、自分と共に成長していって、色々な人たちとの出会いを通して夢や目標も大きくなっていきます。自分に何ができるのか、可能性はやりながら後から広がっていくものです。
何もできない自分
Q:「リソースはある」の背景には何があったのですか?
松岡 20代の頃は、仕事をして休日には飲んだりゴルフしたりと遊んで、あまり考えずに自分の好きなことをやって楽しんでいました。けれど30歳頃になると、周りが結婚し出し、子どもをもうけていきます。彼らは親を喜ばし、次世代を残す役割を立派に果たす中で、自分は誰かのために何かを生み出していないし、与えてもいないのではないか?と思い始めました。このままどうなるのだろうか?何のために生きているのか?自分とは一体何なのか?と考えるようになり、漠然とした不安を抱えるようになりました。
いずれ飲食のお店を持ちたいという夢があったので、会社員を辞めてイタリアンレストランに転職しました。そこの社長がとても素晴らしい方で、社員に分け隔てなく自分から挨拶をしに来てくださるような方でした。この人と一緒に仕事をしたいと思い、レストランで働き続けていたので、社長が引退してしまった時には深い喪失感に襲われました。それで私もレストランを辞めました。
そこから別の会社に転職しましたが、会社の理念に沿ってやりたいという私の思いと周りとの間に温度差があって折り合いがつかず、しょっちゅうぶつかりました。結局そこも退職しました。
40歳も過ぎて無職となった私は実家に帰りました。親への孝行もできず、仕事も辞めて自信も失い、もはや動くことも何もできませんでした。毎日続くその状態を何としたいと思った時にスマートフォンを用いたセルフプロデュースのアイディアを思いついたのです。
けれど、ただの空想や夢物語のレベルでしたし、全てに自信を失って無価値観に苛まれていた私にとっては新しくチャレンジすることがすごく怖かったです。そんな時、唯一心を開いて話せる友人にアイディアを思い付いたことを相談したところ、「やってみなよ」と提案されました。「大丈夫!耕平ならきっとやれるよ!」とエールを贈ってくれて、思い切って踏み出すことができました。彼がいなかったら今の自分はなかったでしょう。
何も無いところから始まって、今もまだ飛び込み営業をしていますし、まだまだこれからです。毎日忙しいですが、遊びと仕事の境界線が取り払われてきていて、勤めていた時と全く違います。本当に何もない自分に、たくさんの方が応援をしてくださってここまで来れました。これからも自分にできることをやり続けて、一つずつ形にしていきたいと思います。
読者への一言メッセージ
松岡 何か世の中のためにできることやりたいけど何ができるかわからないという人はたくさんいると思いますが、誰でも絶対に何かのリソースを持っています。きっかけは小さくて良いんです。最初から形にしなくても、一つ思いついたものをやり続けることで、自分と一緒に成長していき、自然と夢が広がっていきます。小さなことで良いので、ぜひやってみてください。
記者 リソースがある自分を見つけたことで、やり続け、夢が膨らんでいったのですね。これからも夢が広がっていくことが楽しみです。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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【編集後記】
今回インタビューを担当した小水と島崎です。
小さなリソースから始まって成長していく松岡さんの姿は、どんな人でも夢を持てる可能性を感じました。何かしたいと思う多くの人たちの希望になると思います。一人ひとりが発信者となっていると同時に、情報社会で真価が伝わりにくい今の時代に、セルフプロデュースを確立し、それぞれの連携がとれていくことで、“La Vita”の可能性はどこまでも広がっていくと思いました。
松岡さんの今後の益々のご活躍を応援しています!