人として生まれてきたからには誰かに提供できる価値がある 黒川芳秋さん

衣料のリサイクル・リユース株式会社Kurokawa代表取締役、黒川芳秋さんにお話をお伺いしました。

プロフィール
出身地:兵庫県高砂市
活動地域:日本、アジア
経歴:1973年生まれ。大阪外国語専門学校卒。フェアモントユニバーシティ卒。有限会社黒川商店専務。株式会社キングファミリー代表取締役社長。
現在の職業および活動:衣料のリサイクル・リユース株式会社Kurokawa代表取締役社長。蜻蛉塾塾長。
座右の銘:不惜身命

「地球に生まれた命が活き活きと輝く、社会と人材を創造すること」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちでしょうか?

黒川芳秋さん(以下、黒川 敬称略):地球に生まれた命が活き活きと輝く、社会と人材を創造することです。社会づくりは企業家として会社を通して価値を提供しています。それと並行して、あり方や考え方などをお伝えする講師をセミナーや研修を通してやっています。具体的には社内で教育者の立場でやらせてもらっている側面もありますし、自分なりに小さい塾をつくって、経営者やサラリーマンの方にお伝えしています。
僕は、人として生まれてきたからには、誰かに提供できる価値があると思っています。それを中心軸に携えながら自らを向上させていくことを常とする人を育てていきたいです。1人でできることは限られています。世の中に自分の持っている価値を広めることで、周りが豊かになり、そして自分も豊かになるというマインドを持った人材が増えることが、社会全体がより良くなっていくポイントだと思い取り組んでいます。
今の世の中は、調和と循環という前提を崩し、おかしい進化をしてしまったのではないでしょうか。その結果、本当は価値があるのに価値がないものに追いやれているものがたくさんあると感じています。その1つが我々の扱っている古着で、それを活かすのが我々のビジョンだと自負しています。あらゆる物を活かすためにも、人づくりは一番力を入れるところで、人を活かすにはその人が持っている本質的な価値をしっかりと自分自身が認識できる必要があると思っています。

Q:物も人も活かす人材が世の中に溢れたらどんな社会になりそうでしょうか?

黒川:人生は楽しいこと嬉しいこと、辛いこと悲しいこと、上がったり下がったりと波があります。今は辛いこと悲しいことにフォーカスし落ち込んでいっているように感じますが、プラスもマイナスも両方楽しめるようになるのではないでしょうか。私は昔の日本は辛いこともみんなで笑いながら乗り越えていった人がたくさんいたというイメージを持っており、それともオーバーラップします。

「戦って挑戦し事を成すという背中を見せる」

Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

黒川:新型コロナの影響もありビジネスも大きな転換期にあります。今期がちょうど計画の節目でもあったので、計画の組み換えをしています。
教育の方では今までやってきた私塾と、今学んでいる塾とを融合させて100名の塾生を育てることを目指しています。
また、今の塾の先生にキックボクシングを教えてもらって3年になります。2年後の大会でチャンピオンになることを目指しています。これは家族や仲間、社員に戦って挑戦し事を成すという背中を見せる目的で取り組んでいます。特に子供は会社に来るわけではありませんから、経営者とチャンピオンになるくらいのもう一本の柱を持って大人の背中を見せられたらと思っています。最近は子供が喜んで試合に来てくれるようになりました。

「理想は常に楽しめるような状態になること」

Q.これからのビジネス展開、人を活かす塾やキックボクシングのチャンピオンなどに取り組む上で、共通する指針は何でしょうか?

黒川:一言でいうと向上心です。理想は努力が努力でないくらい向上し、常に楽しめるような状態になることだと思っています。それは自分1人でやるのではなく、周りの人たちと共に価値を生み出していくことで、いろんなことが可能になると感じています。
あとは、それぞれやらないとならないことは色々ありますが、何のためにやっているのかを忘れずに変化させていくことを大事にしています。会社であれば物を活かす、人を活かすという大前提が崩れていなければ、何を変えてもよく、素早い実践が大切だと思います。

記者:いろんなことをやっていくと少しずつずれていくので、なんのためにやっているのかに戻ること、それがはっきりすれば、いろんなアイディアも出てくるし軽く動けるように感じました。

「ビジネスの本質の伝承」

Q.人や物を活かすビジョンを想い描いた出会いやきっかけは何でしょうか?

黒川:このビジネスを生んでくれたのは、祖父です。その祖父と先代の父親がビジネスの本質は儲けることではなく、別にあるという価値を、言葉だけでなく、文化やありようとしてぶらさずに伝承、伝達してきてくれことが最も大きいと思います。故繊維加工業は古着を雑巾や防音材に加工するビジネスとなります。
今でこそ古着のビジネスはリユースや環境ビジネスなどで認知されていると思いますが、当時はゴミ集めみたいな仕事に劣等感を持っていたので、古着の事業はもともと好きではありませんでした。
しかし、それを見つめ直すと先代、先々代の事業のおかげで学校に行くことができたし、倉庫で遊んだ思い出など、僕は古着に活かされてきたことが分かり、ビジネスの使命も僕の使命も「活かされてないものを活かす」という発見にいたりました。

「2回の大きな危機」

Q. そういった出会いにはどのような背景があったのでしょうか?

黒川:自分がお世話になってきた古着が世の中でも蔑まされてきたことに憤りを感じ、それを世に知らしめるためにビジネスを大きくしようとがんばっていた時期がありました。
がむしゃらに動いていたのですが、その原動力はネガティブな方向の感情で、傲慢で人の言うことも聞かずにやりたいことをやっていました。しかし大きく出た分、反動も大きくビジネスで2回ほど大きな危機に陥りました。
1回目は経済的なピンチ、2回目は精神的な大ピンチでした。
1回目は売り上げが伸びて事業がうまくいっていると思い、どんどん前進していましたが、気が付くと、社員は疲弊し、周りには信頼してくれて人がおらず、事業はパンク寸前の状態になっていました。その時は何とか周りの人に助けていただき乗り切ることができました。
2回目は東日本大震災の時でした。震災によるアクシデントからオーナーさんとの大きなトラブルやクレームへと発展しました。これまで思い描いていた調和が危機で強まるのではなく、崩壊したのです。世の中の理を周りの人から教えてもらい、自分のビジネスの考え方は正しいと自負はしていましたが、こうまでずれるものなのかと実感しました。自分の在り方、考え方がねじ曲がっていることを見せされて、自分の根っこが間違っていたことを痛感し悩みました。一回目の危機やそれ以前から自分の在り方を指摘されていたのですが、頭の理解にとどまり腹落ちしていなかったのです。
それまでは、どちらかというと内向きでやるタイプでしたが、そこからは変化できそうな人や情報に積極的に出会いに行って本気で学ぶようになりました。本当にいろんなことをしました。事業がうまくいかくなってネガティブになったというマイナスの現象が、いい出会いをつくってくれたのだと感じています。そして自分事から外れて、社会の本当にやらなければならないことをするというマインドにシフトしていったのだと思います。
現在オンラインでオーナーさんと1人ずつお話ししているのですが、以前のようなことはなく、真剣にビジネスに向かい合いながら、建設的なやり取りができていることを通して変化を感じています。あの経験が無かったら、新型コロナの影響の中、今のような状況を保ててはいなかったと思います。今も自分の在り方を修正しながら前進しているところです。

記者:大きな変化ですね。

読者に向けて一言
世の中は大きく変化して次のステージに行くのだと思います。今は多くの人が、人を活かすことに対しての諦めや、有象無象の情報に押しつぶされて、そこさえ見えない状況があるのではないでしょうか。僕は必ず個人が持って生まれた人生の役割、周りに提供する大きな価値があると思います。それを少しずつでも表に出して、1人でも2人でも活躍していただきたいですし、そういう気持ちを1人でも多くの方に持っていただけたら嬉しいです。

【編集後記】
インタビューを担当した川名です。
危機を乗り越え今なお変化、挑戦し続けておられる姿に清々しさを感じました。ますますのご活躍を応援しております。

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