<行政依存型社会から市民自立型社会へ>宇宙開発事業を通じ、「誰もやったことないことをやる」人材を創出し、人口減少時代のシン社会システム構築に挑戦する 株式会社植松電機 植松 努さん
《プロフィール》
株式会社植松電機 代表取締役 植松 努
株式会社カムイスペースワークス 代表取締役
NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HISTIC) 理事
1966年北海道芦別市生まれ。子供のころから紙飛行機が好きで、宇宙にあこがれ、89年北見工業大学応用機械工学科卒業後、菱友計算を経て、父が経営する植松電機に入社。99年に専務取締役に就任し、独自に開発したバッテリー式マグネットで成功を収める。2004年には北海道大学大学院の永田教授に出会い、ロケット研究を全面支援することを約束。宇宙のことを楽しく学ぶ子供たちのためのスペースキャンプを開催する。2016年にはTED×Sapporo出演。全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どうせ無理」を無くし、夢を諦めない事の大切さを伝える活動をしている。
夢やビジョンについて―
リライズニュース編集部・高橋美里(以下、高橋):北海道赤平市で宇宙開発を通して、これまでにない新しい教育システムや経済システム創りに取り組まれています、植松電機の植松努さんにインタビューをさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。
植松 努さん(以下、植松、敬称略):よろしくお願いします。
高橋:はじめに、植松さんの夢やビジョンをお聞かせください。
植松:人がもっと優しく生きられる社会にしたいと思っています。人が持っている自信や可能性が奪われないような世の中にしたいというのが、僕の一番の夢です。
高橋:その夢やビジョンを具現化するための目標や計画をお聞かせください。
植松:色んなところでいじめやパワハラの問題がおきています。僕は色んな学校の子供たちと関わっているけど、その子たちがたくさんの感想文をくれるんです。それを読んだり、自分の会社の子たちの様子を見て感じるのが、どうも自信がない人たちが他の人の自信を奪っているのではないかと思うんです。何かをやりたくても、それを「諦めさせられてしまった人」が、他の人が何かやろうとすることも「諦めさせる人」になってしまう。なぜ人は自信や可能性を失っていくのかな?と思った時に、その根源にあるのが教育だったような気がしました。
僕自身も小学校の時に学校の先生に散々なことを言われて自信を奪われたりしたんですけど、それが起きる原因は何だろうってすごく考えました。僕は今、会社を経営しているけれど、気づいたことが、今日本はかなり大変な状態にあると思っています。それは、日本は鎌倉幕府のころから現在に至るまで、人口増加しか経験してこなかったんです。それが平成の真ん中からいきなり人が減り始めました。人が増える時代は、ほっといても経済が良くなるし、同じ商売をしていても成り立ちます。誰かの真似をしたら儲かるんです。その時期に日本を支えた大切な仕事が、大量生産という仕事だったと思います。日本のあちこちに工場があって同じものをひたすら作る。そこで働く人に求められた条件は、「素直」と「真面目」と「勤勉」です。ロボットがいない時代だから、人間をロボットにしていたということですね。
いつのまにか「素直」と「真面目」と「勤勉」は日本人の美徳とまで言われるようになってしまいました。その時に僕たちは余計なことを考えないで言われたことを言われたとおりにやっていればいいという教育を受け、それが人の思考力を奪ったんだろうと思います。
学校の教育では、言われたことを言われた通りにやって、余計なことを考えるなと教えられ続けてきたんです。ところが、人口が減り始めたんですよ。減ったらどうなるかというと、余るんです。余る世界では、誰かと同じことをやれば、比べられて安い方を選ばれるだけなんです。だから食えなくなっちゃうんですよ。今その時代を僕らは生きてしまっているのに、いまだに日本では経済成長をプラス目標にしたり、企業の拡大を目指してしまうんですね。
人口が減っているのに、そんなこと起こるわけないと僕は思います。その影響をもろに食らっているのが、今の子供たちだと思います。人口が増えている頃の教育を受けた親や先生がそこで学んだ常識を、15年先を生きる子供たちに教えているんです。
人が増えている頃は、みんなと同じ・普通・前例があるのが価値だったけど、これからは、誰もやったことがない・見たことがない、それが価値になるはずです。ですが、大きな価値観の変化を大人が理解しないまま子供に関わっているから、ますます子供たちは自信を失い、その結果、現在の日本の子供たちの自殺率は1位になってしまっているんじゃないかなと思います。
ここをどうにか変えて、これから先を生きる子供たちが伸びやかに生きられる社会にしたいと思って、僕はいま教育の部分に力を入れて関わっているところです。
日々の活動、そしてたくさんの出会いー
高橋:教育に力を入れて活動される中で、どのような行動指針を持たれていらっしゃいますか?
植松:教育に関わらなきゃいけないと思った時に僕が一番初めにやったことは、自分の子供が通う学校のPTA会長に立候補することでした。そこで実際の問題は何だろうと調べました。その次にやったのが、学校の授業に関わることです。でも学校の授業に関わるといっても、ただのリサイクルのマグネットを造っている会社が学校で授業をさせてくれっていっても絶対にさせてくれないです。
そこで僕が活用したのが宇宙開発です。「子供たちにマグネットの説明をしたいです」と言ったら簡単に断られるんですけど、「子供たちにロケットを創ってほしいです」と言うと門が開いたんです。そこで日本中の学校や教育委員会と連携ができるようになりました。日本各地にいる「何とかしなきゃ」と思っている人と、どんどん縁ができるようになって、そこで生まれた繋がりが、僕の力になったなと思います。
現在、取り組んでいることは、今年から北海道にある専門学校と連携して新しい学科を丸ごと一つ受け持つことになりました。その話が来た時に、渡りに船だと思って引き受けました。でも初年度だけで200単位を教えなきゃいけないことが判明しまして、本当にできるのかなって・・・でも、やらなきゃいけないですね、学校の先生として(笑)
高橋:「人がもっと優しく生きられる社会にしたい」「人が持っている自信や可能性が奪われないような世の中にしたい」という夢やビジョンを持つようになったきっかけをお聞かせください。どのような出会いや発見がありましたか?
植松:僕は34歳の時に会社をたてて、ものすごく儲かりました。でもいい気になって大失敗して、契約した会社に騙されて、2億円の借金を背負いました。自分を責めて、全国に一人で飛び込み営業に行って、ますますひどい目にあって、出張で飛行機に乗るたびに、「今日こそ飛行機落ちてくれ」って祈り続けました。でも飛行機は落ちませんでした。降りかかる火の粉は払わなきゃいけないから、会社の仲間を守りたい一心で法律や様々なことを勉強して、敵対する相手と戦うようになりました。その相手にどんな仲間や家族・子供がいるかなんて一つも考えないで、容赦なく戦いました。その結果、勝ったんです。勝ったんだけど、僕の心はダメになりました。誰も信じることができなくなって、ついには自分の家族も自分の子供さえも「なんで俺がこんなに頑張っているのに、誰もわかってくれないんだろう、めんどくさい」と思いました。だから全部捨ててしまおうと思ったんです。
ちょうどその頃、「青年会議所に入ってる?」と声を掛けられるようになり、売上が増えるならと思って入りました。実際には売り上げは増えませんでしたが、色んな経営者に出会いました。僕は、一人で経営者をやっていたので、誰にも悩みを相談できなかったんですが、同じくらいの年齢で同じように悩んでいる仲間と出会った時、僕はすごく安心しました。その友達にボランティアに誘われ、普段なら断るところでしたが、仲間に感謝を感じた僕は、「行く」って言いました。そこで出会ったのが児童虐待で親から殺される目にあった子供たちです。
その子たちは、殺されちゃうから家に帰れないのにも関わらず、親と一緒に暮らすという夢を持っていました。僕は「何でだろう?」と頭がぐるぐるしました。そしてその子をうちに連れて帰って、うちの子にしようと思いました。でも、ついさっきまで僕は、自分の娘を捨てようとしていたんです。
「何をやってるんだろう」って思いました。その時に、わかったことがありました。
僕は「食ってくためにはしょうがない」って働いていたんです。きっと僕みたいな人間が最終的にこういう子供たちをつくるんだと気づいたときに、これを変えていかなきゃいけないと思いました。
そんな時に北海道大学の永田先生に出会いました。安全なロケットエンジンを造りたいけれど、お金がないからできないって言いました。僕は、お金は全部出すから創りたいと言い、ロケットエンジンを一緒に創れるようになって、永田先生が他の色んな博士に声をかけてくれて、色んなものをつくる仕事がやってきてきました。基本的には儲からないけど、そこで出会った素晴らしい博士と一緒に仕事ができるようになり、多くを学ぶことができ、これはお金で買えなかったものだなと思いました。僕を騙してくれた会社も、やっつけてしまった相手のことも、青年会議所で出会った仲間のことも感謝していますし、一番は永田先生と出会えた奇跡です。今でも、目が覚めちゃうんじゃないかって不安になるくらい、永田先生に出会えたことに感謝をしています。
出会いの背景とは―
高橋:永田先生をはじめ、様々な人との出会いがありましたが、その出会いに至るまでの背景を教えてください。
植松:僕は会社を経営し雇用する側になったときに、自由な発想を持って人の役に立つものを創る会社を創りたいと思いました。前に会社に入ってきた子は、「自由に考えていいよ」と言ったら、「いやです」と答えました。「なんで?」と聞いたら「自分で考えたら責任を負うからです」と言いました。「どんな責任?」と聞いたら「わかりません」と言いました。恐ろしいことだなと思ったんです。何かに挑もうとしたときに、それを潰ぶしてしまっている、そして責任という言葉を簡単に使ったり、安定という言葉を勝手に使ったり、言われたことを言われた通りにやれってことを教え続けた結果、こんなことが起きているのだと思いました。
平成元年と現在の日本の高校生の大学進学率・学費・大学の数を比較すると約2倍になっていて、子供たちの教育への投資は増えているにも関わらず、この30年の間に日本の企業の世界株式総額ランキングはダダ下がりです。これは間違いなく日本の教育の敗北だと思っています。そもそも「素直」と「真面目」と「勤勉」はロボットに負けます。また暗記の量と正確さを競ってもロボットに負けるんです。日本はロボットに負ける教育をやってしまったんです。それを今でも変えようともしていない。これは変えなきゃいけないんです。でも恐らく、それを変える力は国にはないんじゃないかなと思います。これからの教育を変えていく力は、子供たちを採用する側だと思います。
もっと企業側がこんな人材がほしいですよと声をあげていかなければ、日本の教育は変わらないと思います。そこに気づいたときに、教育は国を左右するほどの大きな影響力があることに気づくことができて、そのおかげで僕は今教育っていう目標に向かって頑張れていると思います。
さらにここからは、植松努さんが思い描く、これからの〈日本の教育〉や〈未来〉についてお伺いしました。
リライズニュース編集部・原田卓(以下、原田):これからの未来について、植松さんが持たれているイメージをお聞かせください。
植松:人口減少期に突入した今、新しい経済システムに向かうべきなんじゃないかって気がしています。大人が思考を変えるのはかなり難しいので、歪んでない子供たちを育てるのが一番じゃないかと思うんです。その子たちに昔の常識を教えない教育システムも必要だと思います。
最近の高校生からくる質問が、行きたい大学はあるけど、これが本当にやりたいことなのかがわからないと言う子がたくさんいます。結局、大人や先生から夢を要求されるけれど、大人や先生が理解できる夢しか許されていないんです。自分の成績で行ける範囲の割と高めの夢が正解になっている。それは本当に自分がやりたいことではないんだろうなと思うんですね。ヨーロッパだと、失業すると大学に行けるけど、日本にはその仕組みがないんです。僕はリトライできる学びを創りたいなと思っていて、オンラインを活用しながら、オンラインで学びきれないことは、やったことがある人と仲良くなればいいと思っています。そういった人材登録システムを創って、学んだ人を次は教える側に回るという仕組みを創っていくと、お金をかけずに仕組みを創れるんじゃないかと思っています。人口減少期を迎えてしまった日本ですけれども、その時代を支える人材をつくっていくということはすごく重要だろうと思っています。
人口減少期を支えていく人材とは―
原田:人口減少期を支える人材というキーワードがでましたが、どういった人材が人口減少期を支えていく人材になるとお考えでしょうか?
植松:間違いなく言えるのは、やったことのないことをやりたい人達ですね。人口増加期は同じと普通と前例があれば成功できたんです。でも今は、それが全く通用しないので、やったことのないことをやる、前例がないことをやる、という人たちが本当に必要だろうという気がしますね。
原田:やったことがないことをやる、そんな人材を育成していくために必要な要素はどのようなものだとお考えでしょうか?
植松:やったことのないことを面白がってやる大人です。やったことないからやめておこうじゃなくて、やったことがないからやってみるか!というタイプの大人がいると、子供たちの普通と常識が簡単に変わっていくんですよ。
原田:まさに植松さんのような方ですね。
植松:テレビの番組でも、クイズとかではなく、日本の中でもちょっと変わった人たちに光が当たるようになっていくといいんじゃないかなって気がします。
これからの日本の教育について―
高橋:日本の話が出ましたが、日本と教育で描いているビジョンはありますか?
植松:日本はずっと昔から、輸入されたものをより良くすることはあっても、日本で生まれた奇跡って割とないんですよね。なぜなのかとずっと悩んでいるんですけれども、おそらく日本国が成り立つ政治や社会のシステムが関わっている気がするんですよね。
明治維新がありましたが、開けてみたらプレイヤーがかわっただけでシステムは同じなんですよね。大将軍が天皇陛下に変わっただけの話なんです。その下の官僚システムは全部同じですね。年功序列で、世襲制で人事異動があって、なにかあったらマイナス評価をされるっていうね。何かをやってマイナス評価をされるなら、何もやらない方が得なんですよ。人事異動があるって段階で、自分の在任中に問題が起きなければそれでいいという風になるんですよ。そんな仕組みの中で新しいものが生まれてくるわけないですよね。
この仕組み自体が変わらなきゃいけないと思うけど、さすがに日本全部の公務員システムを変えるわけにはいかなので、なるべく行政に依存しない、もしくは依存度がとても低い街を実験的にやってくしかないのかなと思います。今やってみたいことは、企業が研究開発とか教育にお金を使った場合には、控除の対象になるような仕組みを創ることです。日本では、研究開発費用をすべて国のお金に依存していますが、国のお金は税金なので失敗できないんです。失敗できない研究をしてもしょうがないし、税金を使って研究している限り、発展はないと思います。だから民間の教育と研究に対する投資意欲をあげるためには、税的控除を行うような仕組みを創れば、企業が積極的にお金を使う動きが出てくるんじゃないかなという気がするんですよね。
この仕組みができたら行政依存度を下げても社会が成り立つかもしれないという気がしているんですよ。あとは、上下水道に依存しない社会システムですね。本当に社会にある無駄な支出を減らす努力をするためにも、上下水道の古いシステムから脱却することも考えなきゃいけない気がしますね。水を使わないシステムができればいろんな国でそのまま使えますしね。
理想的な社会とは―
原田:植松さんにとって社会のあるべき姿というのは、どのようにイメージされていますか?
植松:安心して生きていける場所ですね。おそらく社会を壊すのはたった一言なんです。それは「食ってくためにはしょうがない」なんです。それを言った瞬間に、社会は壊れ始めて行くんだろうという気がしています。自分が生きていくためには他人を犠牲にしてもかまわないということですよね。けれど、生きていくことに心配がなければ、他人を犠牲にしなくていいんじゃないのっていうことができるんじゃないかと思うんです。
家賃がかかるからといえば、家賃がかからないようにするにはどうしたらいいの?と考えればいいわけで、家賃を払わなきゃいけないからお金が欲しいじゃなくて、なぜ家賃がかかるの?ということを考えるべきじゃないかなと思っています。みんな目的達成の手前の手段、お金という手段に目が眩んでいる感じがしていて、問題そのものを根源からやっつけようよと思うのです。そこを考えることができたら、あくせくしない社会が創れると思います。
原田:「食ってくためにはしょうがない」という根底には自分さえよければいいという、人間のエゴと直結してくる話題だなと思いました。
植松:自分のためならば他人が犠牲になってもかまわないという発想は、わかりやすく言うと「奪う」なんですよね。相手が持っているものを自分が欲しいなと思ったらやっつけちゃって取っちゃうのと変わらないんです。言葉をしゃべり始めた赤ちゃんが、いきなり「どうせ無理だよね」とか「食ってくためにはしかたない」とは言わないですよね。誰かが教えているんです。本当に教えていることもあるし、背中を見せる形で教えていることもあると思うんですけれども、大人が諦め方を教えているだけなんです。
聞いた話で、世界の国で宇宙飛行士を募集すると、日本では1回で600人くらいエントリーをするんです。そこから数人を選ぶ。韓国では2万人エントリーして、アメリカではもっと多いんですって。結局日本ではエントリー前に諦めているってことですよね。おそらく長く続いている封建制度システム、封建主義社会システムが僕らに植えつけてくれた思考なんじゃないのかという気がします。そろそろ明治維新をやろうよと。そろそろシステム変えようよ。改めてもう一回、本当の民主主義に立ち返ろうよと思うんです。
原田:システムが変わらないといけないというのが共感でした。
植松:昔、スタートレッグというSFのドラマがあったんですけど、行政に依存しない仕組みを創りたいと思ったのはこのドラマからきてるんです。僕らの街も公共事業に依存しきっていますが、変えていかなければいけないと思います。
原田:街が行政に依存する仕組みは、一人一人が諦めモードになっていることと非常につながるように思います。中には、今のままでもどうにかなるんじゃないかという心持ちの人もいると思います。
植松:僕は夢っていうのは「する」だと思っているんです。自分がする、自発的行為が夢なんじゃないかなって気がしていて、例えば雇ってもらうとか給料たくさんもらうとか、愛してもらうとか、全部してもらうなんですよね。それはおそらく夢じゃないんですよ。でも、日本では進路指導なんかで雇ってもらう、入れてもらうしか教えないんですよね。自分でする夢のことは教えてくれないものだから、してもらうことが夢だと思っているんです。究極の依存体制になっていると思いますね。
原田:それが日本の昔からの封建主義に結びついていると感じますね。
植松:いい方に転べば、団結やチームプレイで同じ方向を向いてやっていけるでしょうけど、人口増加期から、人口減少期になりゲームが変わっちゃっているので、日本の良さが綻びとしてどんどん出てきて、やばいという状態に突入していると思います。日本は知恵と工夫を伸ばすような教育システムを創っていかないと、ちょっと時代についていけない気がします。そしてやっぱり、なかったものを創る人たちですよね。よその国でつくったものをコピーして増やすだけの国じゃなくて、自分たちで自分たちに適したものを生み出していける人たちが必要です。
実際、教育の仕組みを創っている人たちは日本中にいっぱいいます。それらが束ねられていくように、少しずつ仲間が増えていったらいいなと思っています。
リライズニュース読者の方へメッセージー
植松:「食ってくためにはしょうがない」という言葉はものすごく恐ろしい言葉です。それは自分のために他人を踏み潰すことができるという言葉です。確かに食ってくためにはしょうがないという気持ちは、すごくわかるんです。でも、自分がその状態になってしまっている原因は考えたほうがいいと思います。これから本当に人が減る社会になります。これから私たちがやらなきゃいけないことは、人口減少期でも成り立つ経済システムを創ることなんです。人口が減っても豊かになれる社会、それは必ずどこかに正解があるはずです。今までのように、たくさん作ってたくさん捨てるというビジネスはもう成り立たないです。そうじゃないシステムをみんなの知恵で必ず創れるはずです。おそらくこの記事を読んでくださっている人の中にもそれに気づいている人がいるはずです。でも世の中の流れが大きすぎて、変えれないかもしれません。一人一人は弱い力ですが、微力は無力ではありませんので、0.1の力も集まればものすごい力になります。だから。みんなで力を合わせて安心の社会を創っていきたいなと思っています。そのために、経営者の方にお願いがあるのですが、採用条件から学歴を外してください。それをやるだけで、日本は結構変わると思います。協力してくれたら嬉しいです。
高橋:本日は、貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
【編集後記】
インタビューをさせていいただいた高橋です。
今回、緊急事態宣言の発令により、オンラインでのインタビューでした。
私は、植松さんの会社がある北海道赤平市という町で生まれ育ちました。毎年人口が減少し、現在は人口が1万人に満たない小さな街です。5年ほど前にTED×Sapporoで植松さんがスピーチされている姿を拝見し、世界に向けて発信している姿にとても感動したのを覚えています。そんなご縁もあり、今回は同郷ということで、快くインタビューを受けてくださったことに心から感謝しています。
日本で唯一の微小重力実験関連施設をつくり、世界中から注目されるようになったその背景には、宇宙開発を教育に活かしたいという熱い想いがあり、さらにもっと深い背景には、様々な出会いを通して「本当に大切なことはなんなのか」に気づいたことがきっかけにあったのだと知ることができました。これからの時代は、「誰もやったことのないこと」をワクワクしながらやる大人が必要です。最前線で実践されている植松さんのお話はとても楽しかったです。
また、今回のご縁から、大阪で初開催されるDignity2.0国際カンファレンスに植松さんのご出演となり、とても待ち遠しいです。
先が見えないこの時代だからこそ、「誰もやったことのないことをワクワクしながらやる」人たちが結集する場になると思いますので、一緒にワクワクの時間を共有しましょう!
また今回、インタビューに同席してくださった北海道2.0構想発起人代表の原田卓さんや、記事の完成を見届けてくださった大阪3.0構想共同発起人の井上篤さん他、たくさんの方の支えがあり記事を完成することができました。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
【インタビュアー】
高橋美里 / ReriseNewsインタビュアー/マインドームインストラクター
理学療法士として在宅訪問をするなかで、健康的な生活を送るためには「心の健康」と「関係性の健康」が土台であること痛感。心とはなにか、安心できる関係性とはどのようにできるのかを探求するなかで、心を教育体系化したnTech(令和哲学)と出会い、心と人間関係の本質的な仕組みを理解する。現在は、一人一人がもつ心のクセ・習慣(マインドーム)を理解するワークショップの開催やインタビュー活動を通して、新しい心の時代を共に創っていく仲間と一緒に活動中。