「有機野菜と台所養生で元気を応援したい」小鮒農園 小鮒千文さん

栃木県那珂川町で夫婦で農園を運営しながら養生法を伝えている小鮒千文さんにお話を伺いました。

 

小鮒千文さんプロフィール
出身地:福島県
活動地域:栃木県那珂川町(旧馬頭町)
経歴:20代で病を得て心の在り方が体に影響及ぼすことに氣づく。養生法を学び実践するなか、震災を機に農業の道へ、農園内でのカフェ立上げ運営を経て栃木県那珂川町に移住。2015年夫である小鮒 拓丸さんと小鮒農園を始める。小鮒農園の台所担当として農食一体を軸に、自治体向け産前産後養生事業やメディアへのレシピ提供、風土と私たちの命になじむ養生法を伝えている。
現在の職業及び活動:野菜料理研究家・中医薬膳師・小鮒農園台所担当。養生・薬膳・地域の恵みをいかした事業を企画運営。自治体向け産前産後養生教室やケータリング、地場農産物活用した養生薬膳商品の企画開発など。国立北京中医日本校卒・国際中医薬膳師
座右の銘:共に生きる

 

記者 本日は、よろしくお願いします。
小鮒千文さん(以下、小鮒) よろしくお願いします。

 

有機野菜と台所養生を通していろんな方の元気を応援したい

 

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

小鮒 私たちのビジョンは自然発生型だと感じています。もともと私も夫も福島県でサラリーマンをしていてぼんやりと農家になりたいなと思っていたんですが、震災を経て放射能の汚染やライフラインのストップを経験し、当時息子が3歳で私たちの生き方はこのままでいいのかと真剣に考えました。そこで千葉県の農園スタッフを経て、2015年に栃木県那珂川町で農園を始めました。

 

どんな農家になったらいいかとずっと考えるなかで、私が学んで実践しお伝えしている養生と農業が融合したんです。養生の基本は自然のリズムに合わせることです。それを農業でいうなら気候風土に寄り添ったその土地ならではの農作物を育てて自然のリズムに沿って育てて、それを皆さんにお届けすることによって旬の体になっていただく。それが一番の養生法だと気づいたんです。今は有機野菜と台所養生を通していろんな方の元気を応援したいとシンプルに思っています。

四季の移ろいで毎日自然が変化していくように季節によって私たちの心もすごく変わっていくんじゃないか、心の豊かさや真の豊かさがきっと自然のリズムのなかにあるんじゃないかと思っています。私たちが栃木からお届けする野菜と養生のセットを開けた瞬間に、里山の風と土がふわっと漂ってくるような、今月もこれ食べてがんばろうと思ってもらえるような仕事をしたいです。

 

 

100年先まで見据えて日本にとって必要なものを

 

Q:その夢を具現化するために、どのような目標や計画を立てていますか?

小鮒 気候風土に沿った食が私たち日本人のアイデンティティの軸になりうると思っています。これから日本でも国際化がどんどん進みAIの時代とも言われるときに「君たちはどんな風に感じて考えて何を思って生きているの?」ということを問われる時代になると思うんですよね。その時の軸を風土に根差した暮らしが育んでくれるのではないかと思っているんです。

なぜかというと、風土に根差した農が食となり、食が文化になるんです。衣食住が足りて私たちは初めて文化を築くことができるんですよね。だから今まで先人から引き継いできたものを私たちの世代が次の子供たちの世代に残し、そこでまた新たな時代に合わせた文化を創っていく。その新たな時代の文化を創っていく礎は農業だと思うんです。私は日本人一人ひとりの命を養っていくような農産物を栽培してあらたな食文化を作っていきたいと思っています。

たとえばさつまいもが日本に渡ってきたのが100年前だとすると、イモ類はカロリーが高くて同じ田畑の面積でたくさん取れるのでたくさんの人を養うことができますよね。先見の明がある人がこれを取り入れようと言って広がっていったじゃないですか。次の時代を生き抜くのにいいから取り入れて栽培する、それが100年経ったら伝統野菜になる。これって農家主導で食文化を作れるということなんです。他の野菜も日本原産のものは実はそこまでないんです。100年先、子子孫孫の次のもっともっと先の時代を見据えて、気候風土にあったこれからの時代に必要なものを栽培していく。これが私たちの小鮒農園の養生と野菜の連動なんです。これはどんどんみなさんに真似していってほしいです。

 

 

Q:その目標や計画に対して、現在どのような取り組みをしていますか?

小鮒 小鮒農園は夫が畑担当で私は台所担当で運営しています。お野菜セットの中には養生のコラムや野菜の効能も一緒につけてお届けしています。100年先の食文化につながっていくようにできるだけ固定種や原種に近い野菜、種をとれる野菜に絞って育てています。気候風土の記憶が種のなかに命の記憶として刻まれるんですよね。

また、私たちが住む築150年の古民家で、月に1回「台所養生共室」を開催しています。共に学ぶという意味で「共室」です。自らの命を養う方法を学んでいただいて日々のセルフケアに生かしていただきます。特に女性は人生の中でも体も心も変化が多いのでライフステージに合わせた養生のポイントをお伝えします。私も一緒に実践した体験談も交えながら一緒に作っていく場なんです。牛がいたりタヌキがいたりと自然にふれられる環境のなかでやっているのでぜひ来ていただきたいです。

 

 

24歳でがんを経験し私は生きたいんだと気づいた

 

Q:夢を持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがありましたか?

小鮒 実は24歳のときに進行性のがんになりました。がんが見つかる前の数年間は精神的にもぼろぼろで精神科に通う状態が続いていたんですね。がんが見つかって初めて心のあり方や食生活などいろいろなことを見直すきっかけになったんです。

それまでは誰かのせいにすることに慣れていました。親のせい、学校のせい、社会のせい。自分が本気で生きることから逃れていたんです。当時の私は若いなりにいろいろなものを抱えながら悩んでいてその結果心を病んで同時に進行性のがんになってしまって。もう生きること自体が苦しかったですね。

結局手術で胃を取ることになりました。手術の前日これが最後の食事になるかもしれないなかで、ちょうど秋の季節で夕飯の食事で栗おこわが出たんですよ。私、栗が大好きなので「やった!」と思って。もう精神的にぼろぼろなのに栗おこわを見て喜ぶ自分にプッと笑ってしまって。

そして、トイレに行ってから食べようと思って出て行った隙に、付き添いの妹がその栗おこわを食べてしまったんです。「お姉ちゃんいらないと思って食べちゃった」って。笑。私、すっごく頭に来て怒ったんですよね。今度はそんな自分にも笑ってしまって。もう死んでもいいかなと言っていたのに、栗おこわを食べられたくらいでこんなに怒るんだ私って。

全身麻酔をされて手術室に入っていくなかで「この気持ちはどこから来たんだろう」と考えていたら、ふと「私は生きたいんだ」と気づいたんですよ。食べたいということは私は本当は生きたかったんだって。

それから食から入っていろいろな養生効果を学んで自分のあり方、感情の発生源や原因、心のあり方を問うようになったんです。たどり着いた養生の原点が食であり農でした。

 

 

Q:その発見や出会いの背景には、何がありましたか?

小鮒 私は小さいころから体が弱く家庭環境も複雑でした。でも常に支えてくれる大人がいたんです。

何よりも一番大きいのは学校の先生です。受験の時期に家庭内がごたごたしていて、お恥ずかしい話なんですが受験どころではなく勉強や進学に目的を見出せず成績も下がる一方という状態だったんです。ある日の放課後、先生に呼ばれて成績や課題の催促かと思ったら「千文は行きたい高校に行きなさい。」と言われたんです。もう本当に驚きました。自分が何もできないもどかしさを先生は全部察してくれていたんです。もうそれだけで生きていけるくらい嬉しかったです。

がんの手術のあとその先生にお返ししたいと会いに行ったら「必要とする次の世代に返しなさい、私は必要ないから。」と言われたんです。このお話は本当に私の底力になっています

Q:最後に、読者の方へメッセージをお願いいたします。

小鮒 社会はどんどん変わっていくけれども私たちが生きている命は変わらない。だからどんなに時代が変わっても同じ時代に生まれた仲間と共に生きていきたいと思っています。私は人に支えられ生きてきて、人は誰にでも底知れぬ力が宿っていて大変なことの中には喜びのタネが眠っていると知りました。だからみなさんには何があっても大丈夫と伝えたいです。

記者 小鮒さん本日はどうもありがとうございました!

 

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小鮒千文さんに関する情報はこちら

小鮒農園
http://kobuna-farm.com/

【編集後記】

インタビューを担当した稲垣、大藤、佐山です。自然の移ろいを繊細に感じながらも100年後を見据えて農業を営まれていることに驚きました。様々な経験を経たからこそ朗らかに語る小鮒さんが柔らかくしなやかでとても美しかったです。同じ時代の仲間としてともに生きる姿勢に未来への希望を感じました。貴重なお時間をありがとうございました。

 

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