真言律宗僧侶/寳幢寺住職 松波龍源さん クールでスタイリッシュな、世界基準の仏教を現代日本に合う形で提供する
檀家制度をとらずに「”僧侶”と”仏法”と”仏法に価値や面白さを感じる人”の3つが揃えばお寺である」という新スタイルで、西陣織の旧社屋と工場跡を使って2018年に始まった寳幢寺(ほうどうじ)。仏教哲学に触れる機会や実践としての瞑想をきちんと学べる機会を増やし、京都で地域社会に貢献する新しい場づくりをされている、松波龍源さんにお話を伺いました。
◆松波龍源(まつなみ りゅうげん)さんプロフィール
出身地:父方石川県、母方熊本県
活動地域:京都府
経歴:1978年生まれ。学生時代に武道と仏教に出会い、生涯の道とすることを決意。武術の境涯を深めるため単身中国北京に渡り、5年間の武術修行を行う。帰国後縁を得て仏門に入り、真言律宗総本山西大寺にて四度加行、伝法灌頂を受法。様々な伝統的伝授を受けると同時に日本仏教のみに囚われず、ミャンマーやチベットなどの高僧に師事。さらに山岳修行、霊地巡礼などの修行を積み、21世紀の日本と世界にフィットした仏教修行のあり方を模索している。釈尊や弘法大師に思いを馳せ、今の日本に無理のない仏教を追求する中で独自の理論に基づいた瞑想法を提唱する。日本国内よりもミャンマー、台湾、米国等の海外で評価が高く、近年は医療関係者から注目を集めており、認知症や生活習慣病などに対する瞑想の効果の実証実験を、病院や大学等と連携して進めている。
現在の職業:真言律宗僧侶/寳幢寺住職/陳氏太極拳第二十一世代正統伝承者/商派太祖神挙第六代正統伝承者
座右の銘:Everybody be HAPPY!
Q 現在の夢やビジョンは何ですか?
松波さん(以下 敬省略) 日本の仏教のスタイリッシュさ、クールさを現代の日本に合った形で表現していきたい。そのことによって、生きる指針を失ったかに見える現代の日本の方たちに何かしらのいい影響を与えることができたらいいなと思っています。
何より自分が素敵だと感じている仏教の面白さをみんなに紹介したい、一緒に楽しみたい思いがあります。
日本仏教を新しい形で復興するということに繋がりますが、もう少し具体的に語るなら、環境の良い所に何千人と入れるような宿泊施設を兼ねたお寺をつくりたいです。瞑想や勉強など思い思いに自分のやりたいことができ、トレードではなくお布施や寄付という形で「ここがあったらいいよね」というみんなの思いで無理なく運用されていく。どんな人でも、そこに来れば求めるものがある。そして外国からも日本の仏教を求めてたくさんの人がやってくる。ミャンマーやチベットであるような、豊かな本来のお寺というものをつくりたいですね。
Q 現在の目標や計画はどのようなものですか?
松波 まずは、僧侶として伝えるべき”実際の苦しみに向き合う一つの手段としての瞑想”というものを皆さんに知っていただくことです。
僕は「弘法大師がもたらした瞑想のやり方はどういうものだったのか?」という問題意識をもち、自分なりに研究を進めたのですが日本国内では満足のいく答えが見つからず、ご縁のあったミャンマーやチベットのお坊さんに習い、質問し、古い文書の研究を重ね、失われたパズルのピースを違うところから持ってきてはめるような実験を重ねたんです。その結果、これはいけそうだという全体像が観えてきたので、それを21世紀の日本という時空間にフィットするような形で再構成をして提供しています。独自の"瞑想メソッド"として医療従事者にも有用性を確認できているものなので、ぜひ実践し日常に活かしていただきたいです。
次に、仏教哲学の面白さをサブカルチャーのアニメや映画、漫画との関係性から読み解いていくというイベントを開催しています。例えば"攻殻機動隊と仏教"のように身近なアニメ作品を通して、皆さんに真言密教の哲学に触れて楽しんでいただき、面白がりながら知ったことを日常生活に活かしていただけたらいいなと思っています。
真言はソースコード(世界の成り立ちを記述している言語情報)のようなものなんですよ。
あとは、日本人の中にある伝統的な"お寺"の既成概念を破壊していきたいですね。そもそも「お寺って何?」という定義からですが。
瓦葺の立派な和風建築や庭園、重文国宝の仏像、畳の部屋、その形式がお寺だという概念ではなく、「僧侶がいて、そこで仏法が伝えられていて、その伝えられている仏法に価値や面白さを感じる人がいて、その3つが揃えばそこはお寺」なんです。そういうあり方を日本で表現していきたいです。
Q 仏教に興味をもったきっかけは何ですか?
松波 大学生の頃に、人生の中でとても辛いことがあり「ダメだもう生きていけない」と思ったことがあったんです。その時に「それは自分のせいだった」という、原因が全部自分にあるということがわかってしまった、まさに仏教の教えそのものを体験してしまったことがきっかけですね。
学部、大学院とミャンマー仏教の研究に取り組んでいたのですが、具体的なきっかけは武術でした。心を病んだ状態の中で、ある憧れていた武術の先生が特別に講習会をやるという情報を得て、絶対に行きたいと思い参加しました。そこで先生から「君、ちょっと相手してくれるか」と声をかけられ「手を掴んで引っ張ってみろ」と言われたのでそうしたら、何の感触もなくスパッと投げとばされてしまった。「先生なんですかこれは?」と尋ねたら「これが技だよ」とおっしゃる。さらに「いまお前は私に投げ飛ばされて痛かったり怖かったりしたか?」と尋ねられ、私は「え、むしろ気持ちいいです」と答えたら、「そうだろう。お前は俺に投げ飛ばされてから、笑顔になって、それなんですか!素敵ですね、もう一回やってくださいって言うよな」とおっしゃり、確かにと頷いたら「それが平和だろう」「武とは平和を実現する力だ」とおっしゃったんです。そして「今までお前にやられた奴は、恐怖を感じ、痛みを感じ、憎しみを感じ、敗北感をもってお前にねじ伏せられていたんだ。それは反撃がくるのは当然だ」と、僕の状況を見通したような預言のようなことをおっしゃいました。
それがとてもショックで、何か深遠なことを聞いたと感じて、ずっとそのことを考えたんです。
この体験があってから、ただのデータでしかなかったお経の内容がお釈迦様の説法に聞こえるようになったんです。
「すべて自分自身の体験することは自分の行為の結果であって、ほかの誰のせいでもない」
という真理が自分にとってひしひしと事実に感じられて、気づいた瞬間はボロ泣きの状態でした。ぼろぼろに傷ついて死んでしまおうかなと思うくらい辛い状態でしたが、それを引き起こしているのは自分のあり方だったということが、すごくハッキリ認識されて、それで僕は人が変わったと思います。
当時20代前半でしたが「自分の残された命というものを、私のように仏陀の教えを必要としている人たちに届けることに使う」という決心をしてこの道を志しました。
Q AIが人間を超えるといわれる中、人間にしかできないことや可能性についてはどうお考えですか?
松波 難しいですね。その質問の前提になる「人間とは何なのか」という定義が我々にはできていないので、そちらが先かなという気はします。
人間がそこに答えを出した時に、はじめて「人間を超える」という事が議論出来る。
そのためには「人間とは何なのか」「命とは何なのか」の定義が先で、その定義なしに生まれてくるものは、”人間みたい”、”生命みたい”なものであってもまだ不完全なのかなと思いますね。そういう意味で宗教哲学のようなことを考えることは、今のところは人間にしか不可能だと思います。
逆に機械たちが宗教を持ち始めたら面白いでしょうね。「それ」を生み出す「大いなるもの」につながっているということが「生命」かなと思っています。宗教はその「大いなるもの」に想いを馳せることであると思います。機械が宗教を持つとしたら、自らを生み出した人間を神と感じるのか、さらにその上位構造を神と捉えるのか・・・。
そもそも仏教が宗教かというのも難しいところで、私は科学の世界だと思うんです。
『攻殻機動隊』という漫画の中で、AIがゴーストを持つようになるきっかけは"好奇心"だという一節があるのですが、機械が何かを認識してプログラムに従って動く時に、その何かが「何なのかな?」という心の動きを持つことがあるならば、AIにゴーストが宿るという方向にいく可能性を否定できないと思いますね。好奇心を持つということは「自分ではない何か、それは何だろう?」ということ。つまり「大いなるもの」に気がつく条件です。そしてそこを考えるための「自我」というものは絶対に必要なので。
「自我」というものを持って「他者」を知っていく、関わっていく。これが生命の基礎的な事なのかなと。
「我々は何者なのか」ということをもっと知らなければならない。
気がします。それこそが、宗教哲学が長年取り組んできたことですが。
人間が今までできていたことを、シンギュラリティによってAIができるようになったら、人間はさらにその上に行くんだろうなとも思います。僕らが没落していくのではなくて、今までできると思っていなかったことが出来始めたり、底上げされていくのではないか、そういう考え方もありですよね。
機械ができるようになってくれることで、我々は自分の機能を客観視出来る。そのことで、それまで見えにくかったさらに深遠な人類の機能が知覚され開花する可能性はあると思っています。
Q 最後に読者へのメッセージをお願いします。
松波 「仏教の一番の根本理念とは何ですか?」とよく聞かれるのですが、"Everybody be HAPPY"です。みんな幸せでいよう、そのために「我とは何か」ということを考えましょう。それに尽きますね。
記者 本日のお話とイベントを通して、仏教(真言密教)のイメージが覆されました!貴重なお話をありがとうございました。
******** 松波龍源さんに関する情報はこちら ********
寳幢寺京都瞑想センター
https://www.facebook.com/houdoujikyoto/
【編集後記】
今回記者を担当した福田です。本堂をDIYで作った松波夫婦(左が奥様。和裁のプロでインドカレー作りの講座も開催中)。寳幢寺の由来は「宝=仏教の旗を立てる」の意味で全国から人が訪れていました。松波さんが語る仏教(真言密教)はとても論理的で、信仰ではなく理解を通してクールにスタイリッシュに宗教と科学と哲学が融合していく道であると感じました。ぜひ多くの方に知っていただきたいです。