ブルキナファソに「可能性の種」を植え続ける”出合祐太さん”

ブルキナファソ(アフリカの国)での野球の普及活動を通して得た【諦めないチャレンジ精神】について出合祐太さんに語って頂きました。

出合祐太さんプロフィール
出身地:北海道
経歴:2006年3月  札幌大学 文化学部比較文化学科 卒業
2006年3月  札幌大学 文化学部比較文化学科 卒業 
2006年4月~2007年12月  株式会社 どんぐり
2008年3月~2010年3月  青年海外協力隊 ブルキナファソ初代野球隊員
2008年12月~ NGO ブルキナファソ野球を応援する会設立 代表者(現任)
2010年4月~2013年3月  ふらのまちづくり株式会社
2013年4月~ Boulangerie Lafi開業(現任)
2016年4月~ 札幌大学 特命講師 (現任)
2016年9月~ 一般社団法人北海道ベースボールアカデミー代表理事(現任)
2018年6月~2019年5月 ブルキナファソ代表監督(野球)
2019年4月~北海道ベースボールリーグ 代表(現任)

Q1:出合さんの夢は何ですか?

出合祐太さん(以下、出合):

基本的にはもともとJICA(独立行政法人国際協力機構)の野球支援の活動していたのもあり、ヨーロッパ、アジア、中南米など野球がメジャーでない野球後進国の人達をメンバーにしたベースボールのリーグを作ることです。

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アフリカの人には価値がないと言われるので、そうじゃないと示したい。彼らがチャレンジする場を作って、彼らの価値を上げて次のステージに進めるようにしたいです。

周辺の皆さんの賛同をもらって地域活性によって成り立つリーグを作りたいと思っています。

プロ野球選手は一定のレベルになると、価値づけられるし、何かしらの実績が出ると年俸が一気に上がりますが、そんなプロになれる何百人の人間の背景には、プロになれない何万人もの人達がいます。そんな可能性が広げられなかった人達を育成したいんです。

Q2:出合さんはその夢を具現化するためにどんな目標、計画を立てていますか?

出合:
リーグを作るという実現化に対しては自分の中で出来るという思いがあります。その結果として選手が北海道に来て良かったという形にもっていきたいです。

記者:良かったというのはどんな基準ですか?

出合:選手が1年間で成長し、一定のレベルに達して満足して国に戻っていくことです。彼らに達成感を作ってあげたいです。

ピースが合わさってパズルが完成するように、選手の能力もゴールの完成図や理想像がありピース(知識、技術、能力)が組み合わさって開花されます。

パズルの完成図がないと彼らは到達できないので、まず完成図をつくる。気持ちだけで行こうとしている人に設計図をこっちで指し示してあげたいです。彼らの能力がなぜそこに到達しないのか、足りないものは何か?など完成図があることで想像力も湧くと思うんです。

具体的には、来年の2020年4月からリーグをスタートすることを考えていて、すでに日本人を30人ぐらい募集していて、3月には選手を選んで、そして週5回で試合をすでに組んでいるんです。

北海道の富良野、美唄が受け皿になるということを行政と話をしていて、リーグは監督を置かないで、講師を呼ぼうと思っています。

プロ野球選手や、メンタルトレーナー、栄養士などなど、新しい知識をもらって自分のものにしてもらおうと思っています。

選手も満足しないといけないので、選手ファースト、地域ファーストを掲げていて、変わりたいとか、もっとよくなりたいという思いのある子達がいるけど、設計図がなく、プロセスも知らない子もいるから、それを作っている感じです。

Q3:出合さんが夢やビジョンをもったきっかけは何でしたか?

出合:10年前にブルキナファソ(アフリカの国)で野球の普及活動したのがきっかけで、子供たちに色々教えてもらって、自分にはない価値観があり、ヒントを頂いて、それまでは自分はできないものはできない、できるものはできると分けていたが、ブルキソファソの子たちは良くも悪くも無知でどうやったらできるだろうと考える。

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当時私は24歳だったけど、10歳の子に「こうしたい」と言われて、正直それはできない環境だったけど「できない」と言えない自分がいたんです。

そこで、今までの価値観をとっぱらって「どうやったらできるだろう?」と考えるようになりました。そして、とりあえずあった広場を野球場にして、それが出来たという成功体験が次のモチベーションにつながりました。

そこで気づきたことですが、できないという考えよりも、自分の本来持っていた「したい」思いが強かったんだ、ということを思い出した感じです。

現実をみて自分の能力はこうだとか、自分の位置を勝手に決めつけて生きていくというのを感じていたが、ブルキナファソでは自分を支持する人も相談する人もいなかったので、ある意味何やっても怒る人もいなかったので、子供達と一緒に何でもチャレンジができました。

例えば野球のベースを木で作って、はめ込み式で地面に埋める。そういうことをやると子供達は「おー」と感動する。
それをみて、できていくこと、物事が進んでいくこと、変わっていくこと、成長していくことが子供達にとっての次の意欲が出るんだなと思った。

日本に帰ってきてから、それを強く思うようになりました。何故ならば日本人はこれ以上業務を増やさないでくださいとか、「出来ない」を言う人が多いので。

ブルキナファソに行く前は自分も「出来ない」と言っていたけどアフリカへいって「そうじゃないんだ」と変わったんです。

記者:ブルキナファソにいって開花したんですかね?

出合:小学校高学年から中学校1年くらいまでは、人の目を気にせずやっていたけど、だんだん先輩後輩とか、怒られるとか、いい位置にいたら楽だなと思いはじめ、和を乱したらいけないと。

「それは本当に自分のしたいこと?」と当時の自分に言えるならいいたいですけど。

野球が好きなんだと思って野球やっていたけど、ブルキナファソで野球の普及をしている時に、チャレンジする人をサポートしたり育成したり、実現するというのをみるのがいいなと思いました。
すごい頑張っている子がいて結果がでないと言う時に、それを導きたいと思うようになりました。

例えば、キャッチボールができる子とできない子、少数派に合わせないである程度出来るのところに合わせる。そうなると、できない子は基本的に面白くないから辞めてしまう。

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学校教育もそういうところがあり、出来ているところに合わせて、そこには出来ない子もいるけど、出来ないけど頑張りたい子もいる。理解が違う方向へいっている子もいるし、こうもっていったら理解できるよと言う子もいる。

ブルキナファソの子は個性しかなかったので10人いたらみんな10人違う、協調性がないんですけどね。日本人はみんな同じで、みんな礼儀正しくて、心がないみたいな。

けれどもゴールは一個なんですよ。たどり着き方はいろいろあっていい。リーグをつくろうと思ったのも、既存の野球の仕組みではできないような海外の子たちが日本のリーグで活躍できる仕組みに変えていきたい。学校を変えたい、アカデミックな人を育てたいし、そこを狙っています。

記者:野球の講師として色んなジャンルの人を呼ぶと言うことと繋がってますね。

出合:環境整えない専門学校みたいな。「ゴールはこうですよ」と答えを言うのではなく、最近の子は問題を探せない、なぜ打てなかったの?なぜタイミングが合わなかったの?とか、掘り下げることができない。
その子にあった問題や本質は、その子にしかできないから、それがしていきたいと思います。それができるのは魅力的なんですよね。

Q4:最後に読者へのメッセージをお願いします。

出合:自分らしくいきることが一番難しいけど、でもそこへ向かっていった方が、ちょっと最初は壁があるけど、超えたらだいぶ人生が広がると思います。

記者:ありがとうございました。自分らしく生きるというのか簡単に言えますが、なかなか実践することは難しいですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

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出合祐太さんの活動についてはこちらから↓↓西アフリカブルキナファソ初の野球場を作りたい | find H「ブルキナファソ野球を応援する会(青年海外協力隊)」では、これまでの10年間、西アフリカブルキナファソにて野球を通じて、将find-h.jp

出合祐太さんFacebook: https://www.facebook.com/yuta.deai

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【編集後記】インタビューの記事を担当した中西&岸川&廣瀬です。

全く野球の概念がないアフリカの国に0から1を作り上げるには子供ながらの「無知」と言う無邪気さが必要なんだと改めて感じました。大人になるにつれて常識という考えの固定によってチャレンジ精神が蝕まれているのにも気づかせて頂きました。それと出合さんのプロリーグを作るという地域活性化の話にとてもワクワクしたので、今後共に何か一緒に活動出来たらいいなと感じました。今後の活躍にとても期待しています。ありがとうございました。

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