すべての人に哲学を/NPO法人 こども哲学おとな哲学アーダコーダ代表理事 角田将太郎さん

「すべての人に哲学を」をモットーに、未就学児から高齢者まで幅広い年齢層を対象に、哲学対話を行う実践哲学者 角田将太郎さんにお話を伺いました。

角田将太郎さんプロフィール
出身地:
千葉県
活動地:東京
経歴:1995年生まれ。
2018年3月 東京大学教養学部教養学科超域文化科学分科卒業(現代思想コース)
2018年4月 NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダ事務局
2019年7月 同団体 代表理事
現在の活動:「すべての人に哲学を」を理念に実践哲学者として活動。幼児向けのイベントから企業研修まで様々な場で講師を務める。
座右の銘:ただ生きるのではなく、善く生きよ(ソクラテス)

哲学は明るくて楽しくて役に立つもの

Q:角田さんが描かれている夢・visionを聞かせてください。
角田将太郎さん(以下角田 敬称略):
僕がよく夢だと言葉にしているのは「すべての人に哲学を」ということです。哲学というものがすごく硬くて重くて難しそうで、嫌がられているイメージがあると思います。最近は少し変わって来ましたが、少し前まではそういうイメージが一般に強くありました。
それは自分が思っている哲学とはとても違うものです。哲学は、もっと明るくて楽しくて役に立つようなものです。そういった哲学の側面を、色んな人に分かってもらいたい、伝えて行きたいなと思っています。

「哲学とはそもそも何か?」という話になりますが、哲学と聞くと、カントやニーチェといった偉人を思い浮かべるかと思います。僕は、前提を疑って問い考える態度を哲学だと思っています。ある種のスタイルの様なものです。
そういった態度で色んなものを見たり考えたりするということは、面白いし楽しいことだと思います。

哲学がソリューションになる

Q:夢を実現していく為の目標や計画、今実践していることは何ですか?
角田:
今は哲学対話を軸に活動しています。哲学対話とは、対話を通して哲学的な思考や、体験をするというものです。必ずしも、哲学的な問い、例えば「愛とはなにか?」といった難しそうなことではなく、身近なことから哲学的な態度で物事を見て、考えることが哲学対話です。

今は、社会の変化に動じて求められつつあると思います。哲学対話の話をすると「それ、面白そうだね」と色んな方から言って頂けます。様々な企業や学校、市民団体、さらには個人から、哲学や哲学対話をやりたいというお話を頂いています。

記者:学校でもワークショップなどをされているのですか?
角田:そうですね。学校だと、小中高、大学からのご依頼があります。ご依頼があったとある高校では、国数理社とは別に教養の学びが必要だということを掲げている学校で、土曜の2時間を教養の時間、リベラルアーツの時間として設けていました。そこで生徒は選択式で色々な学びをし、能楽、美術、ウェブデザインなどを選ぶことができるのですが、その中のひとつとして哲学を入れて頂いています。

企業には、生産性や効率性が求められる。そういった考え方によって仕事の利益は上がるけれども、真逆の考え方、非効率性で無駄な考えをすることがイノベーションやクリエイティブに繋がるのではないかと思っている企業の方にご依頼を頂くことがあります。企業では研修や単発のワークショップ、有志で集まって哲学対話をする企業内サークルの支援などを行なっています。

アーダコーダの活動とは別に、個人的に、解決したい課題のご相談だったり、海外の大学で哲学の勉強をしているけど分からない所があるから教えて欲しいというご相談を頂いたりしています。

活動指針としては、哲学をし続けていたいというのがあります。哲学だけしていたいと思う程、哲学が好きです。

今後は哲学がソリューションになる様な活動をメインでやっていきたいです。個人や企業が課題にどう向き合うか、課題中心で考えることがビジネスのトレンドだと思いますが、僕は逆で哲学が何に役に立つのかという方向から考えています。伝統工芸の倅だからそれで何をやるか考える様な、それと似ているのかなと思います。僕は哲学の家系だから、哲学で何をやるか考えています。

哲学対話は自分の思ったことを自由に話せる時間

Q:哲学対話をファシリテートしている時に大事にしていることは何ですか?
角田:
子ども達の場合は元々考えが自由で、先天的に哲学をしているんですよね。色んなことを「なんで、なんで?」と聞いて来ます。何でも好奇心を持って疑問を持つという姿勢に、ブレーキをかけない様に心がけています。学校の授業ではどうしても「今はその時間じゃないよ」となりやすく、家庭の中でも「今はそれをやる時間がないから」となりやすい。
止められてしまいやすい疑問を、哲学の時間は「それ、面白いね」と、その「なんで?」という疑問を一緒に考えていくことを大事にしています。

哲学対話をする時に問いを立てるのは、参加者や子どもたちから出てきたものにしています。子どもたちの場合、考えたい問いはその瞬間ごとに違うので、話が変わっていくんですね。例えば、お金の話をしていたのに、お「さつ」の話から急にさつまいもを連想して、「さつまいもはね」と話し始めたりとか。全然関係ない話にもなることもありますが、そういった場合も子どもに着いて行き、子どもたちの考えたいことを一緒に考えていく様にしています。

記者:大人はなかなか問いを浮かびにくいと思いますが、大人の場合ではどうですか?
角田:確かに、大人の方が問いが出にくいですね。急に問いを考えてくださいと言われても、問いが出にくい。気になったことをパッと言っていい雰囲気の場になっていないことがその原因として大きい気がします。ですので、まずは安心して話せる状況をつくることを大事にしています。

哲学対話をする時は、ルールや心構えみたいなことを話しますが、何よりも自分の思ったことを言っていい、自由に話していいんだということを一番大事にしています。

気になる問いを輪の真ん中に置いて、話していくうちにみんなの中にある「気になるな」という問いが少しずつ見えてくるので、それをファシリテーターは問いとして明文化して表す役割をしています。

答えを出すことがゴールではなく、その過程で様々なことを考えていくこと。普段は考える機会のないようなことが考えられたり、いつもは使わない頭の部分を使っている感じを楽しんでもらえていると思います。

「心とは何か」を問い続ける楽しさ

記者:角田さんが「哲学をしつづけて行きたい」と思ったきっかけは何ですか?どんな気づきや出会いがありましたか?
角田:哲学に入ったきっかけは、”心”について気になっていたことです。人の気持ちが分かる様になったら、もっとハッピーになれると思っていました。そして、大学で心に対する研究をしたいと思いました。心理学、脳科学をやろうと思いましたが、考えていくうちに「自分が”心”と呼んでいるものはどこにあるのだろう?」ということが気になり始めました。

「心とは何か?」という問いが自分の中で湧き始めた時に、哲学の教授に出会いました。
ある日教授に、「心というものは、科学の力で、心理学、脳科学で解き明かしていくものだと思いますが、先生はどうお考えですか?」と聞いた時に、先生は「それは考え続けるしかないんじゃない?」とある種、透かされた様な答えをされた時に、僕はハッとしました。何か心とはこういうものだという答えが出たら納得するのではなく、追い求めて考え続けることこそに自分は楽しさや意義を見出せると思い、それから哲学を始めました。

哲学が求められる場所がある

角田:それから「心とは何か」という哲学の分野があり、大学で勉強や研究をしました。そこで、アカデミックな哲学の楽しみを覚えて行きましたが、少しずつアカデミックよりも生活の中での哲学に入っていきました。

そのきっかけは、とても尊敬していた哲学科の先輩でした。僕が学部二年生の時に、修士二年の先輩がとても勉強ができる人だったのに、大学で哲学はやめて一般企業に就職しました。僕は「何故こんなに哲学ができる人なのに、哲学の研究者にならないんだろう」と疑問に思いました。色んな人に聞いたり自分で考えた結果、哲学者には働き口がなく哲学に長けているからといって、直接仕事にはならないということを知りました。こんなに哲学がすごくできる人でも、哲学の道は開かれていないことがとても残念でした。

一方で、自分に声をかけてくれた研究者志望の学生がいました。人工知能の研究をしている人で、「知能とは何か」ということを真剣に考えている人でした。その先輩が、「哲学の視点で考えることが必要だと思い、議論に参加してほしいと思って、君に声をかけたんだ。」と言ってくれました。哲学は仕事がないと言われているけれど、僕は哲学が求められる場所もあるんだということが、すごく嬉しくて有難いと感じました。

哲学者には仕事がないのではなく、哲学を求める人と哲学者が提供するものとが、適切にマッチできていないことが問題なんじゃないかと思いました。それから哲学を日常や社会の中で生かすにはどうしたらいいのかと思い活動を始めました。

熱血な父の気持ちを察する為に過ごした幼少期

Q:角田さんが幼少期に、「人の気持ちが分かる様になりたい」と思った背景は何ですか?
角田:
背景としては、当時僕が10歳くらいの時に、父親が怖かったということがあると思います。父親が監督のチームで、少年野球をやっていました。自分が活躍しないと怒る、活躍できなかった日は夜までマンツーマンで練習をしました。熱血な父で、「巨人の星」を見せられた時もありました。練習に行くのがどうしても嫌で、お父さんが練習に誘おうとしている時に寝たふりをしていました。お父さんが練習に誘うだろうなという意図を読み取れれば、逃げられるという気持ちで、最初はお父さんの気持ちを読んで察して逃げる為にやっていました。怒られないですむ、嫌なことをしなくてすむ様に最初は始めました。勝率3割くらいでした。でもやらないよりは良かったです。

そこから人の目を気にする子に育っていって、いわゆる良い子でした。親や先生が求めることをすごく言える子どもでした。それが強化される過程で、人の気持ちが分かったらもっと褒められる、怒られないですむから人の気持ちを分かる様になりたいと思っていきました。その対象が、お父さんから先生や友だちに変わっていきました。

今も人の気持ちを分かる様になりたいというのはありますが、それは逃げる為ではなく優しくなりたいからです。その人の気持ちが、どういう痛みを持っているのか分かる様になれば相手を傷つけないですむし、その人をケアすることもできる。そういった思いで、人の気持ちを分かる様になりたいと思っています。

記者:
それから「心とは何か?」という哲学的な問いに繋がっていたのは何故ですか?
角田:なんででしょうか。僕にもよくわかりません。ただ、人の気持ちがわかった状態を定義しなければ、一生、人の気持ちがわかったとは言えないですよね。だから、まずは「気持ちとは何か?心とは何か?」ということを確かな形で定義しなくちゃならない。そういった哲学の問いに向き合うことをせずに、わかったつもりでいるのは嫌だった。そういう諦めの悪さというか、変な徹底ぶりが哲学へと繋がっていったんだと思います。

記者:最後に座右の銘を教えてください。
角田:「ただ生きるのではなく、善く生きよ」
ソクラテスの言葉です。私たちは普段、漫然と生きてしまいます。生活していると目の前のことで忙しくなりますが、「自分は善い生き方ができているのか」ということを、ふと頭の上から問いかけられている気持ちになることがあり、そういう気持になることが大事だと思います。自分がしてきた判断や、今やっていることは良いことをやっているのか、自分の中で哲学対話をする様な気持ちにさせてくれる言葉だと思います。
記者:本日は貴重なお話をありがとうございました。

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角田 将太郎さんの情報はこちらから

角田将太郎オフィシャルサイト
http://tsunodashotaro.com/

NPO法人こども哲学おとな哲学 アーダコーダ
http://ardacoda.com/

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【編集後記】
今回、記者を担当しました久保、原、石田です。
インタビューを通して、角田さんご自身が哲学が大好きで、「楽しくて人生の役に立つ哲学」を伝えたい気持ちやエネルギーが溢れているのを感じました。
20代の若さで、哲学を人生の中心に据え、既存の知識に留まらず仕事にも結び付け、日常や社会に哲学をどう活かしていくのかを問い、実践する姿には本質を見つめようとする真っ直ぐな心を感じました。角田さんのこれからのご活躍を心から応援しています。

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