「日本伝統文化でビジネスを」株式会社藤色の小雨 出穂智恵さん

日本舞踊を始めとして日本伝統文化に携わっておられる出穂智恵さん。日本伝統文化の底上げをしようと今まで誰も取り組んだことのない道なき道を切り開いてこられました。楽しさと厳しさを兼ね備えた出穂さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地   福岡県
活動地域   福岡県を中心に、全国、世界どこでも芸を披露します
経歴   11歳の頃から日本舞踊を習う。さまざまなジャンルの演奏家や舞踊家、その他料亭、蔵元ともコラボし、県内外で活動。舞踊だけでなく、音楽(三味線、端唄、小唄など)と多岐にわたり、文化を身近にという趣旨のもと、お座敷から舞台まであらゆる場所に出向いている。これまでに10カ国以上の海外旅行者に対して披露。又、筑後、久留米で指導にあたり、次世代の育成にも力を注いでいる。
現在の活動および職業   株式会社 藤色の小雨 代表、芸処椿屋  代表、藤間流師範  藤間佳福、春日流小唄名取  春日とよ文紫之
座右の銘   花も実もある人生に

日本伝統文化で国づくり

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

出穂  智恵さん(以下、出穂  敬称略)   日本伝統文化で国づくりをしたいと思っています。

   日本伝統文化の心は、八百万の神、万物に感謝するという精神です。この精神が戦争を起こさないようにすると思います。世界の多くは一神教であり、宗教戦争が終わりません。お互いの神を思いやれるのが日本の心です。

   その日本の精神を伝えるのに、日本伝統文化はとても良いと思います。政治ではどうしてもぶつかってしまいますが、音楽やアートの世界は底辺が同じだと感じます。相手の良いところも取り入れながら、伝えていくことができます。ですから私はドレスで日本舞踊をしたり、異業種の方とコラボしたりするなど、型破りなこともします。セーヌ川の辺りで急に三味線を弾いたこともありました。

   特に今、日本は国策としてインバウンドに力を入れています。そして海外の人たちの需要は、単に物商品を買うよりも、精神面の方に向いてきていますから、日本伝統文化がインバウンドにおいて大きな位置付けになっていくと思います。

   私は次世代の人たちが日本伝統文化でビジネスをしていける状態をつくっていきたいと思っていますので、弟子たちをどんどん表舞台へ出してチャレンジさせています。普通は発表会くらいで弟子がどんどん仕事をして活動するということは稀ですが、私は弟子たち一人ひとりがアーティストとして独立して欲しいのです。皆が国や企業からの仕事で活躍し、お互いが協力し合う関係性をつくっていきたいです。

   そして日本伝統文化も国も企業も全てが循環して世界を平和の方向へと貢献していきたいです。

システムを全国へ広げていく

Q:「日本伝統文化で国づくり」へ向けて、どのような目標や計画を立てていますか?

出穂   10年前に独立した時から、誰もが日本伝統文化でビジネスができるシステムを考えていました。弟子の育成、異業種とのコラボ、着物や三味線などの寄付に取り組みながら、市や企業、旅行代理店インバウンド部門、イベント、商工会、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、医師会など幅広く依頼を受けるようになりました。今ではシステム化までできたので、後はこのシステムを活用してもらう人を増やし、全国に広げていきたいです。国や企業から仕事がどんどん来て、芸能を毎日公演できる状態をつくり、指導者や継承者が自然と育まれる状態をつくっていくことに取り組んでいきます。

   2020年の東京オリンピック以降は、日本伝統文化が世界に出て仕事をする機会が増えていくと思うので、そこに備えて今の活動を加速させていきたいです。

穏やかな心で生きる

Q:その夢やビジョン、目標計画へ向けて、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?

出穂   「清らかに澄む月のように生きていく」

   この言葉のように穏やかな心でいることを心がけています。

   この10年間ずっと使命感を持って走ってきました。今もそれは変わりませんが、今までは戦い続けていました。白黒ハッキリさせてグレーはいらないと人間関係はバッサリ切って、自分にも周りにも厳しく「鬼椿」というあだ名が付いたくらいです。日本伝統文化の地位が低く見られている悔しさがありましたし、私が崩れたら次世代が続かないと思っていたので、必死でした。けれど辛いことがたくさんありましたし、私を支えてきてくれた方たちからの助言をいただく中で、この活動を広げていくためには、人間関係を切って自己犠牲で取り組むのではなく、支え合うことが大切だと気づきました。ですから今は戦いはしないようにしています。イラっとした時もイラっとしないように。メールにもニコニコマークをよく付けます。とにかく穏やかな心で楽しくしています。もちろん言うべきことは言いますが、人を喜ばせて皆で楽しく取り組んでいくことが、一番自然と周りに広がっていくのではないかと思っています。

日本伝統文化をビジネス化する

Q:「日本伝統文化で国づくり」という夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがありましたか?

出穂   私は日本伝統文化をビジネス化しようと思い、弟子たちを始めとして次世代がビジネスにできるようなシステムを構築してきました。

   それは誰もやったことのないことだったので、最初はお座敷を回って営業をしたり、路上で唄や踊りを披露しました。周りからは、そんなことをして誇りがないのかと言われましたが、私にとっては誇りがあるからこそ取り組んでいることでした。ビジネスなので、座敷ではお酌はせず芸のみやると言い切ると、お座敷には呼ばれなくなりましたし、辞めていった弟子もたくさんいました。経営者の集まりにも行きましたが、日本伝統文化を仕事としている人は私だけで、とても場違いでした。孤独な戦いでしたが、使命感が私を突き動かし、やり続けました。

   そうすると、応援してくれる人たちが現れてくるのです。仕事の依頼も来るようになりました。そしてついに一昨年、株式会社として立ち上げることができました。弟子たちには私の会社の社員ではなく、私がつくってきたシステムを活用して独立していって、広く活躍していって欲しいです。

アーティストとしてやる決断

Q:「日本伝統文化をビジネス化する」というきっかけや発見には、どのような背景があったのですか?

出穂   私は子どもの頃から日本舞踊をしていましたが、唄や踊りをすると心が穏やかになり、日本舞踊が大好きでした。けれど私の家は裕福な家庭ではなく、続けることは大変でした。自分が教える立場になり、20歳代で教室を開いた時も、仕事になるだけの収入にはならず、看護師をしながら教室をせざるを得ませんでした。日本伝統文化は裕福な家の嗜みでしかないのが現状で、社会的に職業としてはまだまだ地位が低かったのです。中には、経済的に続けられない弟子もいましたので、月謝を高くすることはできず、自分の踊りで教室以外で稼げないか、イベントに出て月謝還元できるシステムはないかと思案するようになりました。この状況を何とか打破したいと思いお座敷活動から始めましたが、将来に繋がるように「お酌などはしない、アーティストという分野で仕事をする!」と決めて、貫いてきたのです。

   そこからは戦いの日々で、辛いこともたくさんありましたが、振り返ってみれば全て必要なことだったと思います。弟子にも周りにも厳しくしてきましたが、その裏には常にを持っていました。その心を汲み取ってくれた人たちが今も私を支え続けてくれています。ずっと慕ってついてきてくれた私の弟子たちは神様か天使ですね。今は折に触れて「ありがとう」と感謝を伝えるようにしています。これからは強さだけではなく、穏やかな心で感謝を持っていきたいです。お互いに感謝し合い、支え合っていくことが成功への道に繋がると思います。そんな楽しそうな私たちを見て、自然と日本伝統文化の価値が伝わっていくと思っています。

記者   誰も成し得たことのない日本伝統文化のビジネス化に取り組まれる出穂さんの強い意志と深い愛に感動しました。アーティストも国も企業も全てが底上げされていくイメージが広がっていきました。本日は貴重なお話をありがとうございます。

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株式会社 藤色の小雨

【編集後記】
今回インタビューをした小水です。
日本伝統文化を通して、人間の尊厳性を伝えようとされている出穂さんの深い愛と意志に感銘を受けました。出穂さんは、自らの名を上げることも、システムを私有化することもなく、潔く手放しておられます。次世代のため、日本のために投じるエゴを超えた使命感があるからこそ、道なき道を開拓する厳しさを突破し続けられたのだと思います。日本伝統文化に革命が起きる未来が見えて、ワクワクしました!
出穂さんの益々のご活躍を応援しています!

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