映画『日本独立』〜『プライド 運命の瞬間』公開から20年、もう一つの物語が紡がれる〜伊藤俊也監督に独占インタビュー                


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今回はわたし達日本人とは何なのか、日本とはどういう国なのかを知るための手段として大きな役割を果たしてくれる映画「プライド 運命の瞬間」「日本独立」の伊藤俊也監督にお話を伺いました。

伊藤俊也監督プロフィール
1937年生まれ。『女囚701号さそり』(72)で監督デビュー。大ヒットとなってシリーズを生み、『女囚さそり 第41雑居房』(72)、『女囚さそり けもの部屋』(73)を監督する。その後、『誘拐報道』(82)を監督し、モントリオール世界映画祭審査員賞を受賞、国内外で高く評価される。認知症を患う老人を抱えた家族のドラマを描いた『花いちもんめ。』(85)は、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。東條英機を主役に東京裁判の全貌を描いた『プライド 運命の瞬間(とき)』(98)は賛否両論渦巻く社会的話題作となった。その他の監督作品に、『犬神の悪霊』(77)、『白蛇抄』(83)、『花園の迷宮』(88)、『風の又三郎 ガラスのマント』(89)、アニメーション映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』(95:総監督)、日本映画監督協会70周年記念映画『映画監督って何だ!』(06)、『ロストクライム-閃光-』(10)、『始まりも終わりもない』(13)など。

日本とはどういう国なのかを知るための手段として大きな役割を果たしてくれる映画「プライド運命の瞬間」「日本独立」

リライズニュース(以下RN):『日本独立』を作られたきっかけを教えてください。

伊藤俊也監督(以下、伊藤 敬称略):東京裁判を描いた『プライド 運命の瞬間(※2)』(98)を作った際、当時のことを調べていく過程で、アメリカの度を越す介入があったことを改めて認識しました。
東京裁判は、明らかに意図的に仕組まれたものだった。天皇と一般庶民を免罪にし、東條英機以下の戦犯にあらゆる戦争犯罪を押しつけ、しかも戦争において、「いかに日本人が残虐だったのか」を暴き出す裁判になっています。実際には事実以上に誇張して作りあげられた部分もあり、でもそれが真実だと日本人に信じこませたのです。
東京裁判を描いたからには、戦後日本を振り返るうえでのもう一つの事件、憲法成立の真実を描かなくてはならないとの思いから、『プライド 運命の瞬間』の公開から数年後、吉田茂と白洲次郎の絆を軸に『日本独立』の脚本を作りました。

※2 【プライド 運命の瞬間】1998年公開・伊藤俊也監督作品。極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として裁かれた東條英機を主役として描いた。戦争責任を敗戦国に全て押し付けようとする連合国に対し、東條が法廷にて「たったひとりの戦い」に挑むというストーリーで、“東條英機(A級戦犯)=悪玉”論でなく、1人の人間として東條英機を描いた作品である

RN:企画開始から何年くらいかかったのでしょう?

伊藤:脚本を書きはじめてから完成までに20年かかりました。『プライド 運命の瞬間』を配給した東映や他にも交渉しましたが映画化には至らず。10年ほど前にある映画会社の会長に脚本を読んでもらう機会がありましたが「面白いけど、今はタイミングではない」と。その時、本作の鍋島プロデューサーが「この脚本は古びない」と言ってくれて、、、ようやく完成させることができました。
新型コロナウィルス感染の影響で、公開が危ぶまれた時期もありましたが、無事公開できてよかったです。


RN:『日本独立』の映画を観られた方々に、どんな変化がおこると思って作られたのでしょうか?

伊藤:終戦を迎えた時、私は8歳でした。戦時中は生まれ故郷の福井市で空襲に遭い焼夷爆弾から逃げ惑ったことを鮮明に覚えています。戦後75年以上経ち、当時のことを知る人も少なくなってきています。今、私ができることは戦後日本の真実を伝えることという思いで『プライド 運命の瞬間』『日本独立』の2作品を作ったのです。

映画『日本独立 』(2021年12月公開の伊藤俊也監督作品)
戦争に負けても、この国は誰にも渡さないー。敗戦国として⽇本がGHQに⽀配されるなか、外務⼤⾂の吉⽥茂に交渉役を任されたのは、なんと政治家ではない24歳年下の⽩洲次郎という男であった。吉田茂と白洲次郎の絆を軸に、終戦から憲法制定、独立に至る歴史の裏側のドラマを、日本側とアメリカ側の両方の視点から描く

『日本独立』制作への想い

伊藤:アメリカというのは、昔から戦略国家として優れている国です。その戦略国家が占領国日本に対して二つの施策をしました。まず一つ目が断罪としての東京裁判、そして民主化として平和憲法を制定し、日本の武力を徹底的に削ぐという目的で9条を作りあげました。日本人自らの意志で「もう二度と戦争をしません」と決断したという流れにうまく誘導したのだと思います。もちろん、戦争は悲惨で残酷だというのは確かです。ただ、アメリカの意図・観点があることは知っておくべきだと思います。

今の日本は、童話の『裸の王様』の逆をいっているのではないでしょうか?今の自衛隊は世界一級レベルの戦力を持ち、艦船や航空機など相当な武装をしておきながら、憲法9条によって自分たちは「裸だ」と言っている。戦力があるにも関わらず、戦力がないように装っているのは問題だと思います。

日本のミリタリズムは危ないという印象があります。ですが逆にそういうことを知らないでただ杓子定規に「憲法9条があるから」とか「永久平和だ」と空虚なことを言っていると簡単にひっくり返されます。

日本の歴史の中で大正リベラル時代というのは平和がありましたが、そこから昭和維新ということで戦争への道がはじまりました。今も戦力がしっかりあるわけですから、その共通認識を持ちつつ、いかにしてコントロールしていくのかということを日本人全員が知っておかないといけないと感じていますし、歴史はいつ繰り返されるか分からないと私は思っています。

だから私自身、今の自民党に一方的に憲法改正を委ねるというのは非常に気になりますし、私は天皇に元首を戻すのは反対ですね。天皇は無権力であるべきだと思っています。

そんな思いがあるからこそ、この映画『日本独立』を作りました。あの時代の真実を日本人は受け止めておく必要があります。

伊藤俊也監督が語る:映画『日本独立』に込めた思い


伊藤俊也監督が語る、映画『日本独立』制作秘話

小学3年生の時に終戦を迎えた伊藤監督。その1ヶ月前には、生まれ育った福井市で空襲に遭い、そして終戦の3年後には、M7の福井地震から生き延びた。そんな強烈な戦中戦後体験を持つ伊藤俊也監督が、本作の製作の経緯を語った。


伊藤:戦後の日本を振り返る時に、アメリカとの関係というのは強く意識せざるを得ないものですが、そういうプロセスの中で、戦後の日本を規定した二大事件は、東京裁判(極東国際軍事裁判)、そしてもう一つが日本国憲法の成立だと考えています。『プライド 運命の瞬間』(98)では、東京裁判がどのようなものであったかを描きました。そして、どうしてももう一つの事件、日本国憲法の成立に関わる映画を作りたいと思い、『プライド 運命の瞬間』を作ってから2~3年経った頃、シナリオを作ったのです。かなり改稿して現在のシナリオになってはいますが、基本的にはその時に作ったものです。

また、本作のユニークなところは、「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満のエピソードをメインストーリーに絡ませたことだと言う。

伊藤:『戦艦大和ノ最期』は、美しい文章と戦艦大和の生き残りとしての思い、亡くなった沢山の戦友達への思いが描かれているという意味で、文学的価値や歴史的価値が高いものだと思います。それがGHQの検閲に引っかかって、日本が講和・独立した後にようやく出版が認められた。GHQは言論の自由を謳いながら、その一方で出版させたくないものには徹底的に弾圧を加えた。その両刀使いというのが日本人に今日まである種の誤解を残したポリシーであったと思います。

その辺を憲法制定の話と同時に重要なエピソードとして描けたのが、今回ユニークなところだと考えています。本作の中で、「戦艦大和ノ最期」をいち早く文学的に評価した文芸評論家・小林秀雄の台詞にもありますが、軍国主義で検閲されたというよりも、死んでいった日本人と生き残った日本人との絆を断たれたということ。戦前の日本を否定されたところで戦後日本のレールを敷かれて歩まされるという、まさに世界第一の戦略国家アメリカに仕切られて日本の戦後ができてしまった、その無念さというのを吉田満のエピソードで描けたのではないかと思っています。


『日本独立』を描くきっかけにもなった『プライド 運命の瞬間』誕生の背景とは

RN:『日本独立』を描くきっかけにもなった『プライド 運命の瞬間』はどのように生まれたのでしょう?

伊藤:『プライド 運命の瞬間』の田中壽一プロデューサーから、東京裁判のことを映画化する企画があるのだけれどどうか?とのお話をいただきました。当初はパール判事を主人公にした企画でした。ご存知のとおりパール判事は、11人の裁判官のうち唯一「被告人全員無罪」という主張をした人物です。私は東京裁判という題材には興味を持ちましたが、主人公はパール判事ではないと思ったのです。

東京裁判という題材を扱うには「肉を切らして骨を断つ」くらいの覚悟で挑まなければなりません。世間の批判は相当あびるだろうし、単純ではない。とにかく自分たちが引き受けた以上は、日本人を主人公にしないといけないという使命感がありました。

そこから改めて東京裁判の資料を読み、東條英機や彼を目の敵にしていた人たちのことも調べ、やはり主人公は東條英機にすべきだと思いました。

その理由は、戦争の罪状はあるにしても、私が思うに東京裁判の一番の狙いは戦前の日本を全否定、つまり日本人の倫理観・美意識を全否定することだったのだと。
そして全否定をする根拠には非近代性をもってきて、さらに日本人の残虐性として南京事件を特に強調させて裁く、ということをしたのです。それもきっちり映画では描こうという決意がありました。アメリカの一番の目的は、戦争で一度日本を負かしただけではなく、この裁判で日本を二度も三度も負かすことでした。その状況下で最後の弁論の口述証書のなかで戦おうとしたのが東條英機であったことを表現したかったのです。

一部の関係者からは「南京事件を入れない方がいい」との意見もありましたが、とんでもない。南京事件を入れない東京裁判なんてありえない。逆に東京裁判の南京事件の議事録を読んでいると目撃証言がほとんどありません。そのほとんどが風聞というのが事実でした。その事実を世に届けたい思いがありました。


RN:今回の映画のなかで「生き残った日本人と死者との会話を断ち、その絆を切り捨てようとする」というセリフが印象的でした。この映画を観た日本人や世界の人に何を1番感じてもらいたいですか?

伊藤:ひとつは、主人公の白洲次郎の言葉です。吉田茂がマッカーサーとの非公式の会談で「日本に軍事力を持たせないなら、アメリカが日本を守ってくれ」と交渉する。吉田にしてみれば、一日も早く占領を終えアメリカが撤退した後に(憲法を)を変えればいいのだと。それに対して、白洲次郎は帰りの車中で「それでは永久平和じゃなくて、“永久従属だ”」と憤慨する。その言葉を伝えたかった。

そして一番伝えたかったのが、今言ってくださった「戦艦大和ノ最期」の著者吉田満との会話のなかで小林秀雄に言わせたセリフです。アメリカは自由な憲法制定を謳いながら一方では検閲によって出版を差し止める。その矛盾を「死者と生き残った者たちの絆を絶つ」という言葉にこめました。

映画を観てくださった方にこのメッセージを受け取っていただけると嬉しいです。

『プライド 運命の瞬間』に込めた思い

RN:『プライド 運命の瞬間』では女性が自決をしているシーンがありますね。

伊藤:あれは多少は悪い意味で東条の存在理由として、東京裁判の理由として
全否定されてきた東条の姿を借りてアメリカの洗脳戦略のひとつとして東京裁判に物申すことを東条に託すしかなかった。東条はそんなことでは免罪できるものではないですが、あれこそが日本人のなりたい恨み辛みだよ。と抑えておきたいと思いました。

RN:描かれている東条英機の姿もすごいところがあると思いました。

伊藤:悔しい、これだけ日本のことを思っていても。

あの映画に関してもある種の大体の右翼に持ち上げられて左翼に叩かれた構図になっていて、スクリーンすら斬りかねないから(笑)
それを相当倒壊させて投壊させた芝居。あれは天皇の責任っていうのをなしにして、つまり東条はそれを飲み込んで否定せざるをえなかった。そういう意味でわかりにくかったのがあった。
それが東条の手法としての津川さん(津川雅彦)の名演技があった。そういう意図があった。
だって東条は天皇の日本人である限り、天皇の命を聞かない者はない。

日本はアメリカに対しても引いているような、でも何となく定まらない様子があり不思議な国にみえていると思います。それがわからないところが少し怖い国にも見えているかと思います。

RN:今後日本がどのように変わっていくことを考えていらっしゃいますか?

伊藤:現実には難しいかもしれませんが、アメリカの傘を外れて改めて日本が一つの独立国家としての備えをして、中国・韓国や東アジアとの本当の意味の平和条約・平和同盟というのを実現させていくべきだと考えています。

RN:私たち一人一人が今後の日本について真剣に考えていく時がきていると思います。


新しい作品づくりへの意欲

RN:伊藤俊也監督の今後の夢について教えてください。

伊藤:詳しい内容はお話できませんが、既に書き終えている脚本が数本あり、それぞれの作品の映画化に向けて、プロデューサーと“策”を練っているところです。

RN:新たしい作品を生み出すきっかけは何がありましたか?

伊藤:日常の出来事や古典と呼ばれる文学作品などから感じ取ったあらゆることがテーマとなり、映画作りの意欲へと繋がります。長年の映画監督としての経験から身体がそのように反応してしまうのでしょうね。

RN:新しい作品、とても楽しみです。活動そのものが伊藤監督の生きざまのように感じました。

最後にリライズニュースの読者の方にメッセージをお願いします。

伊藤:この度、取材を受けたことを大変嬉しく思います。リライズ・ニュースの構想を伺い、今後のご発展を大いに期待しております。
是非、この映画『日本独立』を多くの方に観ていただけたらと思います。
この歴史的事実を描いた作品を、素晴らしいキャスティングで作ることができました。観てくださった方からは「新しい歴史の事実を見られた」という感想もいただいております。
出演者の浅野忠信さん、宮沢りえさんも「目から鱗が落ちました」と言ってくださいました。若い人たちにとっても「ああ、当時はこうだったのか」と思いを共感していただけたら嬉しいです。

RN:伊藤監督の当時、日本に何がおこっていたのか事実を伝える決断・思いを感じました。この度は貴重なお話、ありがとうございました。


編集後記

今回インタビューに伺った喜多島、一龍飛です。
初めて映画「プライド運命の瞬間」を観たときスゴイことを知ってしまったと衝撃を覚えました。数年後の今、映画「日本独立」を劇場で観て日本国憲法の背景にこんな出来事があったのかとまた衝撃を覚えました。この2作品を世に生み出した伊藤俊也監督になんとしても直接お話を伺ってみたい!と思ったところから今回のインタビューが実現しました。日本の客観的事実を知り自らの人生と交差させどのように未来を創っていくのか。今回のインタビューが多くの人の福音になることを願っています。伊藤監督貴重なお話をありがとうございました。
また、多くの方のご協力のもと今回の記事まで完成しました。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

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