相手のことをいかに考えられるか出会いによって人生は変化する、泉屋浩二さん
マイコン(マイクロコンピュータ「小さいコンピュータ」)の開発とアプリケーションの開発。今まで培ったノウハウにより、この2つを融合させて独自に新しい分野を構築しソフトウエアの可能性をさらに広げようといている株式会社アプリ 代表取締役 泉屋浩二さんにお話しをお伺いしました。
プロフィール
出身地:大阪府
活動地域:大阪府
経歴:ソフトウェア関連の会社を2,000年に独立
現状の職業及び活動:マイコン、アプリケーション、シミュレーターソフト開発
座右の銘:座って半畳、寝て一畳
「多くの人の喜ぶ顔がみたい」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
泉屋浩二さん(以下、泉屋 敬称略):うちはソフトウエアやシステム開発をやっていますが、机の上でメールとソフトウエアで終わりみたいな一般的なIT企業の感覚は薄いです。僕たちは現場にいきます。
スティーブ・ジョブスが「ユーザーは自分の欲しいものを知らない」と言っているように、困っている方は何が困っているのか具体的に聞いてもなかなか出てこないことが多いです。
それを僕らが行って第三者的なところから具体化していきます。
「こういうことでしょうか?」「それならこれが必要ではないでしょうか?」みたいな話から、どんどん会話が深まってきます。そうなるとお客様は僕ら以上に分かっているはずなので具体的な話が出てきます。
その最初の部分が特に楽しいです。知らない世界のことを知れるのが嬉しいのもありますし、お客様も分からなかったところのピントが合ってくるのが目に見えてわかります。そういう人同士で話していくと、言葉の速度も速くなるし、口数も多くなります。今しゃべらないと忘れたりするので、すぐにしゃべりたくなります。
このように、その人の立場になってその人の言葉で引き出すというか、一緒に気付いていくという感じから始まるのですが、それが実際に形になって依頼主さんや実際に使ってくれた方の喜ぶ顔がみられるのが嬉しいです。
自分も時代も変化していますが、もっと多くの人の喜ぶ顔がみたいです。
「最近はシミュレーターソフトが強み」
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
泉屋:うちはソフトウエアやシステム開発をやっていますが、最近はシミュレーターソフトが強みになっています。
シミュレーターを使った教育ソフトです。ビル空調のシミュレートをパソコン一台の中でできます。ビル内部の空調をメンテナンスするための教育スキルアップのためのもので、9か国に対応しており世界中で導入にしてもらっています。
ビル用空調の教育は大きい機械がないと、もしくはパソコンの紙芝居式のソフトでしか操作の説明ができなかったのです。
私たちのソフトを使うことによって完全リアルに再現するというシミュレーターができるよになりました。
教育用ソフトにした最大の理由が大きな機械は持ち運びができない、壊したら損失が大きいからです。
だからソフトを使ってどんどん失敗して下さい、壊れることもないですし、損害も出ません。むしろ失敗が多ければ多いほどどんどん覚えていくので、それをどんどんやって下さい。マニュアルを読まずに文字を追いかけずに、ただただ操作を自分でマスターして覚えて下さいという思いでやっております。
シミュレーターソフトが開発される前と後とでは、相当なコスト削減ができた言われました。また、今までの教育授業だと授業の終わり時間が近づくと帰り支度をしたり、そわそわしていた人が授業が終わってもPCをいじっていたという言葉が何よりも嬉しかったです。
今は開発自体をPCの中でやるシステムをつくっています。
「どんな仕事も人のためにやるもの」
Q.目標や計画に向かって、どのような活動指針を持って基本活動をしていますか?
泉屋:バチスタ手術を行った須磨久善さんの「人を喜ばせたい、人を喜んでいる姿を見るのが自分の至極の時だ」という言葉がありますが、まさにその通りだと思っています。
いつも気にしていることは、ご依頼いただいた方にどれくらい喜んでもらえるかと、それを使ってもらえる方にどれだけ喜んでもらえるかです。
どんな仕事も人のためにやるものです。自分が儲けるためにやっているわけではありません。儲かるのは結果であってそれを目的にしてしまうと、たぶんうまくいかないと思っています。
あと社員が働きやすい環境を整えてあげることも大切にしています。
残業や手間のかかる無用な申請書制度を無くし、福利厚生を充実させたり、安心して働ける環境をつくとことを心がけています。
仕事は本当に泥臭いところがあって、なかなかスピーディに進まないのと、相手の立場にどっぷり入らないといいものができないので、広げるのが難しいのがあります。もっとこうした方が効率よくお金を儲けられるんじゃないかという価値観の人からは、はなかなか理解が難しい商売の仕方をしています。
例えば昔ヒットしたトイレの開発をした時も揉めました。それは自分が楽をしたいからではなく、こうした方がいいに決まっているという各々の主張があります。だから普段は仲がいいのに、目を血走らせて毎日喧嘩をしていました。それくらい真剣で熱かったです。
その時は使う立場の人のことをずっと考えていました。それでどれだけ時間がかかるかとか、大きな赤字になるのはさすがに無理ですが、いくらの商売になるかなんてあんまり考えなかったです。一緒に作っていて面白かったです!
今でも根本は同じです。
記者:そこまで考えてつくったものは、結局使いやすいので、じゃあ買っていこうとなりますね。
「周りによって活かされている」
Q.今のお仕事をするようになったきっかけは何でしょうか?
泉屋:両親の事業の失敗で何をしていいか分からなくなりました。
家計も厳しかった時、友達から電車洗いの仕事を紹介されました。
掃除の仕事は鉄道会社を退職された方がほとんどの中、若者自分が1人いる珍しい状況だったので、それを見ていた周りの人の紹介もあり鉄道会社の職員になりました。
そこで5年くらい働いた時に、鉄道会社の職員が出向する流れになりました。その時は普通の会社員みたいな仕事をしたいと思っていました。いろんなものがある中で、コンピュータソフトウエア開発の募集が目に止まりました。周りには無理だろうと言われましたが、受けるだけ受けたいと思いました。そこで説明会場に行ったら10人の募集に200~300人くらいいました。無理だと思いましたが、説明会から試験日まで2~3か月くらいあったので、そここら勉強したら受かりました。
僕は子供の時から電気回路とかを組むのがすごく好きで、小学校の時から自分で部品を集めてインターフォンやラジオをつくったりしていました。プログラムと電気回路を重ねて説明された時にすごく面白く感じてきて、プログラムが回路図のようにだんだんと見えてきました。そこで家電品のソフトを組む部署に配属され、オーディオや電話機、空調機をつくりました。
仕事が面白くて仕方がなくなったので、本当は3年で鉄道会社に戻らなくてはならなかったのですが、このままここにいさせて欲しいと言って鉄道会社を辞めて完全に移籍しました。
自分は開発に携わりたかったのですが、課長になり部下の進捗管理や評価などをするようになり、最終的に辞めてフリーになりたいと思いました。
有難いことに辞める時にいろんなところから沢山のオファーをいただきましたが、まずは自分1人でやることにしました。
そこでつけた社名が「アプリ」です。本来は「アプライ」応用するという意味ですが、アプライは当時の日本人にあまり馴染みがなったのでアプリという名前にしました。
今まで積み上げてきた技術を応用して新しい何かをつくり出すという意図を込めました。
一緒にやりたという人が何人か出てきたタイミングと、空調会社で一緒に仕事をしていた方からの勧めがあり、大阪にはじめて事務所を持ちました。
3畳くらいの小さいところで、机を二つ並べたら満席になるくらいの事務所でしたが、そこから、おかげさまで仕事も徐々に増えてきました。
自分は周りによって活かされている感じがすごくあります。
マイナスからの出発なので、その時その時の状態に満足してしまう傾向があります。商品のネットでの評価がショックだったりする時がありますが、それが無いと進歩につながらないと受け止めています。
「出会いに感謝」
Q.きっかけの中で、どのような気づきや発見がありますか?
泉屋:自分の利益だけを考えて、相手のことを何も考えないと、最終的には人にそっぽを向かれ見放されてしまいます。父親の事業の失敗を通して教わりました。
今はどれだけ正直に生きるを大切にしています。
例えば自分が失敗したら、失敗したことを相手に詫びて理解していただいて、その対策、フォローをどう手を打つのかの協議させていただくのが、まず第一番だと思います。
しかし、そういうことは日ごろからその人とコミュニケーションが取れていないとできないわけです。相手のことをいかに考えられるかでないと、自分の徳は積めないと感じています。
あと一つ自信を持って言えるのは、最初にバイトを紹介してくれた友人と今でも飲むのですが、酒が進むと「あの時におれがバイトを紹介していなかったらお前は今頃のたれ死んでいる」と言われます(笑)
確かにそれがなければ、鉄道会社で働くことも、ソフトウエア開発をすることもなかったでしょう。
独立をすすめてくれた人や、独立の時に心配してバックアップしれる人がたくさんいました。
その節々でキーパーソンがいますが、そういう人に出会えている。
それが唯一の自慢です。今の社員にも恵まれていて、すごくやりやすいです。
記者:人の喜んでくれることを広げてきた結果今があるし、これからもその範囲が広がっていくのを感じました。
Q.読者の方に向けて一言お願いします。
泉屋:仕事で行き詰った時にいつも心がけ話していることですが、「出来ない理由なんて考える必要はない。出来る方法を考えよう!」です。
記者:お客様のニーズを共に気づき、それを具現化していくことに真摯に向き合う気持ちが現れた言葉だと感じました。
【編集後記】
インタビューの記者を担当した川名、帆足、磯原です。
すべてを正直、丁寧にお話して下さる泉屋さんさんの人柄があふれるインタビューでした。泉屋さんの相手への配慮や思いやり正直な人柄が、一緒に仕事をする人を成功に導く大きな要因ではないかと感じました。
これからのますますのご活躍を楽しみにしております。