「福祉と農業で世界を繋ぎたい」社会福祉法人 福岡慈愛会グループ理事長 池田浩行さん

早くから農福連携に取り組まれ、自然栽培に拘って、障害者と共に歩み続けて来られた池田浩行さん。福祉という一点から生き様を語る池田浩行さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地   福岡県
活動地域   福岡県
経歴   
46歳の時、脳動脈瘤発症、オペにて一命を取り止める。
平成26年   特定非営利法人   伊都福祉サービス協会設立
平成27年   農業生産法人(株)すまいるファーム設立、農福連携自然栽培パーティ全国協議会設立
平成28年   社会福祉法人   福岡慈愛会理事長就任
令和元年   (一社)エディブルフラワープロモート協会設立、事業協同組合   日本ケアワーカー協同組合設立
現在の職業および活動   伊都福祉サービス協会理事長、(株)すまいるファーム代表取締役、(一社)農福連係自然栽培パーティ全国協議会理事、社会福祉法人福岡慈愛会理事長、エディブルフラワープロモート協会理事、日本ケアワーカー協同組合理事長、(社)飯盛会理事、(医)飯盛会理事

福祉と農業で世界を繋ぎたい

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

池田   浩行さん(以下  池田   敬称略)   「福祉と農業で世界を繋ぎたい」。少し漠然としていますが、これが私の原点であり、最終的な夢です。

   今、私は様々な事をしていますが、その中の一つに農福連携があります。今でこそ国が農福連携を進めていますが、私たちはもっと早くから取り組みを始めていました。それは意識していたわけではなく、私はたった1人で農業をやりだしたのですが、それはものすごく孤独だったんです。その孤独感に耐えられず、元々福祉の仕事をしていたこともあって、障害者の方と一緒に農業をするようになったことがきっかけでした。

   「食」は全ての土台となります。安心・安全であってほしいので、最初から無農薬にこだわり、自然栽培をしています。農薬や化学肥料を使うことで、発達障害などの影響が出ているデータが出ています。少子化で小学校は統廃合されていっているのに、特別支援学校は増えているんです。おかしいことだと思いませんか?特別支援学校が増えることで、放課後デイサービスも増え、保育士も必要になり、社会保障費も上がります。食の問題は、結局全体に繋がってくるのです。

   私にとって福祉は生き方、生き様のようなものです。福祉の中身は制限がなく、ここまでと範囲を決めることができません。高齢者福祉や障害者福祉、施設での福祉もあれば在宅での福祉もあります。他にも、お米や野菜、花などの栽培の農業による就労やその格付け、外国人技能実習生を交えた人材交流など、福祉を通して無限の繋がりが広がっていきます。その中で福祉の精神は変わりません。そして、日本の福祉のすごいところは精神だけではなく、技術が伴っており、その水準は世界に誇れる高さだと思います。今は介護・福祉のスタッフは人材不足に陥っており、外国から技能実習生を招かないといけない状況ですが、将来はしっかりと人材育成をして、いずれ介護・福祉スタッフは海外に行って、日本の介護や障害者就労における精神や技術を発信していけるのではないかと思っています。まさしく福祉と農業は世界を繋いでいくのです。

一つ一つをこなしていく

Q:「福祉と農業で世界を繋ぎたい」という夢やビジョンへ向けてどのような目標や計画を立てていますか?

池田   大風呂敷を広げても形にならないなら意味がないので、時間がかかっても一つ一つこなしていく事が大事だと思っています。

   一つは、オリンピック、パラリンピックの選手に私たちが作った自然栽培のお米や野菜を食べてもらいたいと思っています。来年へ向けてはお米は時期的に無理になってしまったので、野菜などで何かできないか模索していきます。

   又、食の安全をもっと広めていきたいですが、農業の経済状況を考えると、農薬などを使ってきた今までのやり方も無視はできません。そこで、農家の格付けをしてはどうかと提案しており、九州農業の格付け研究会を立ち上げようと思っています。

   有志6名で設立した事業共同組合では、海外からの技能実習生の受け入れを始めています。まずは主食がお米であるミャンマーから始めています。技能実習生は母国へ送金をしているので、給与以外にお米がもらえることがありがたいようです。又、ホームシックにもよくかかるので、イベントとして楽しみながら、一緒に田植えや稲刈り、バーベキューなどをしてホームシックを吹き飛ばしてもらおうと考えています。こうした技能実習生の受け入れもどんどん進めていきたいです。

感謝をする

Q:「一つ一つをこなしていく」という目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?

池田   活動というと少し違うかもしれませんが、私は常に周囲の人に対して感謝をするようにしています。

   全くの素人が農業を始めることは簡単なことではなく、この7年間大変なことがたくさんありました。今もまだまだ大変です。けれど、窮地の時に、いつも人によって助けられてきました。人は一人では生きられません。好きな人に限らず、例えばちょっと苦手な人からも助けられているんです。昔の私を知っている人は、「ありがとう」と言う頻度が増えたねと言います。私がここまで来れたのは、全て人のおかげですから、これからも感謝を忘れないでいたいと思っています。

自分が食べられるものから始めよう

Q:その夢やビジョン、目標計画、活動指針を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

池田   生死を彷徨う病気をし、奇跡的に生き延びた時、まずは自分が食べられる物から始めようと思いました。今まで農業や食なんて全く無縁だったのに、病気の原因を色々調べる中で食の大切さに気づき、まるで神様から言われたかのように、「農業をやるしかない!」と思ったのです。

   とは言え、道は険しいものでした。勉強する中で、農薬の問題に気づき、無農薬野菜を作ろうと思っていましたが、どうすれば良いか全くわからず、まず佐世保の無農薬農家の吉田氏のところへ弟子入りさせていただき、1年間無給で学びました。又、荒れた農地はたくさんあっても、素人には農地をもらえないんです。困っていたところに、たまたま農地を貸してくれる人が現れて、始めることができました。

   最初の一年間は全く農作物が取れず辛かったですし、素人と障害者が無農薬をやるなんて、どうやってやるんだ、と散々批判もされました。何度もやめようと思いましたが、自分で作った作物を、自分で調理して自分で食べる、これほどの感動はありません。この感動があるから、きつい農業を止めることなく続けてこれたのだと思います。

自分は一度死んだ

Q:「自分が食べられるものから始めよう」という背景には何があったのですか?

池田   私は20代の頃から福祉の仕事をしていて、35歳の時に事業を興し、年商20億円までいきました。

   46歳の時に、突然金属バットで頭を殴られたような痛みに襲われました。脳動脈瘤。破裂したら助かる確率は10%。奇跡的に破裂しておらず、手術の順番待ちになりました。医者は、運動やお酒は関係ないと言うので、検査後退院しました。けれど、頭に爆弾を抱えている状態で、いつ破裂してもおかしくありません。家に籠っていても気が滅入るので、普通に仕事をし、お酒も飲みにいきました。飲み友達には「今、破裂したらお前が病院に連れて行くんだぞ」と冗談交じりに言ったものです。手術まで実に2ヶ月待ちました。10人に1人は死亡にも至るという手術。なぜこんな病気になったのか。色んな本を読み漁りましたが、これという原因はわかりませんでした。今まで自分がしてきたことが頭の中を巡りました。あの時、人を傷つけていたのか、申し訳ないことをしていたのか、懺悔が尽きませんでした。前日の夜には、息子に宛てて遺書を書きました。感情が湧き上がるままに全ての思いを込めて書きました。これが最後、もう二度と会うことはないかもしれない。その時、私は一度死にました

   そして手術が終わり、麻酔が醒めた時。「生きているんだ」。まるで浄化され、生まれ変わったような気持ちでした。生き方を見直そうと思いました。全てをまっさらにしよう。自分だけの商売は全部やめて、人のために生きようと決めたのです。

   全くの素人が、しかも無農薬にこだわって自然栽培の農業をやり始め、7年になります。多くの人たちに支えられながら、やはり私の原点である福祉と繋がって、一つ一つ形になってきています。平成から令和になってきた流れの中で、私の考え方は完全に「お金」から「人へ」変わってきています。日本の福祉の精神と技術を世界へ発信していくためには人材育成が必要ですし、まずは私たちが諸外国の人々を受け入れる姿勢が必要です。その中で、私はこれからも日本のスタッフと世界の技能実習生の人々へ福祉の精神を伝え続けていきたいと思っています。

読者への一言メッセージ

池田   人と人のご縁を大切にしていきたいです。皆さんとも繋がって協力して頑張っていける時代ですから。

記者   死を通過する経験を経て、人のために生きるということを土台に、安心・安全の食によって人生を立て直しながら、ご自身の原点である福祉に立ち戻って来られたのですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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池田さんの詳細情報はこちら↓↓

http://sunsmile.or.jp/

【編集後記】
今回インタビューを担当した小水と小野です。
人とのご縁を大切にし、感謝を持ち続けておられる実践そのままに、インタビューの時も思いやりや気配りに溢れておられ、こちらが安心の心になりました。
死を通過することで、自分の範囲が全く変わった池田さんが語られる福祉は、全ての繋がりを生み出す間のようなイメージが広がります。
全く新しい哲学を土台としたこれからの福祉の精神を語ることで、福祉の技術が世界に花開いていくと思いました。
池田さんの今後の益々のご活躍を応援しています!

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