『すべての人々がお互いを尊重し認め合える世界を創る』NPO法人 九州海外協力協会 事務局長 馬田 英樹さん

長年にわたる海外ボランティアの経験や知識を活かして、二項対立の世界ではなく、お互いが尊重し合える世界を創られている、NPO法人 九州海外協力協会 馬田 英樹さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:
福岡県福岡市
活動地域:福岡県及び九州全域
経歴通信会社勤務、青年海外協力隊(ブータン派遣)、JICAボランティアコーディネーター(アジア、アフリカで5カ国)
現在の職業および活動:NPO九州海外協力協会事務局長:開発教育、国際協力、地域貢献等
座右の銘:「足るを知る者は富む」

「子供たちに胸を張ってバトンパスできる社会を」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

馬田英樹さん(以下、馬田 敬称略):すべての人々がお互いを尊重し認め合える世界を創ることです。多くの海外経験の中で、「日本人が海外でどう見られているのか?」や「海外に行った際にどういう扱いを受けるのか?」など、日本の中だけで考えると理解できないことが沢山ありました。異文化でマイノリティとして生活することで、あらためて相互理解の重要性を強く感じる機会でした。今は二項対立の考え方が強く、「これは劣っている、これは優れている」や「こっちは正義、こっちは悪」などとても排他的で、その考え方がどんどん酷くなっています。グローバルな社会だからこそ、お互いが理解しようと努力しないと尊重し合うことはできません。「〇〇人は使えない。〇〇人はダメだ」などという決めつけやヘイトスピーチを聞く度にとても悲しくなります。
 私たちが目指す夢はもちろん難しいことは百も承知です。しかし、日常生活の中で小さな信頼関係を積み重ねていきながら仲間を増やしていくことで、少しずつでもそんな理想な世界へ近づいていくことは可能だと考えていますし、諦めないことが大事だと思います。
 子供たちに、今の社会をバトンパスしたいかと考えた時に、私はバトンパスしたいとは思えません。次世代へ胸を張ってバトンパスできるように、お互いが尊重し合える社会を創っていきたいと思っています。

記者:
みんながそうなれば良いと思える社会であり、みんなが難しいだろうと思う社会。深い問題意識と未来の子供たちのことを思い、その社会を創ろうとしている姿勢が本当に素敵です。

Q.「すべての人々がお互いを尊重し認め合える世界を創る」ために、どんな目標や計画を立てていますか?

馬田:仲間と共に決めたミッションをコツコツとやり続けることです。

ミッション
1.『青年海外協力隊等の国際協力活動によって培われた経験を社会に還元します』
2.『自ら未来を切り拓く力のある人創りに貢献します』
3.『草の根レベルで世界と九州をつなぐ窓口となります』

 私は、スティーブ・ジョブズ氏が言われた「Connecting The Dots」という言葉がとても好きです。将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから私は、今やっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じて行動をし続けることが大事だと思っています。

記者:「やり続ける」ことは本当に難しいことだと思いますが、まさに実践され続けてきた馬田さんの言葉には響くものがありました。

Q.現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

馬田:仲間と共に決めた、行動指針があります。

バリュー(行動指針)
『共に行動し、学び合うことを大切にします』
『気づきを共有し、一歩ふみ出します』

 一方通行で何かを教えるのではなく、伴走するイメージで対話をしながら、私の経験を具体的に、例えば、「この国に居る時に、こんな状況で、こんな対応に迫られ、このように考え、こういう行動をした」など、心の動きや考えを紹介し、みんなで考え合える機会を提供したいと思っています。

記者:馬田さんが共に学び合うことを大切にされていることや、仲間への愛情や信頼を感じました。

Q.そもそも、「すべての人々がお互いを尊重し認め合える世界を創る」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

馬田:私は昔、2年間ブータン王国でJICAの青年海外協力隊(以下、協力隊)として活動させて頂いた時期がありました。その2年間を経て日本に帰って来た後、この経験をもっと多くの人に、特に若い人たちに伝えたいと思い、当時結婚もしていましたが大手通信会社を30歳で辞職し、教員免許を取るために大学に通い始めました。35歳で無事教員免許は取得できたのですが、当時(2000年前後)は就職氷河期で教員の採用数も極端に少なく、教員にはなれませんでした。
 そんな中、公益社団法人 青年海外協力協会の九州支部(現在の当協会)でアルバイトの募集の話があり、そこで働くことにしました。とてもやりがいはあったのですが、いつまでもアルバイトでいる訳にはいかない為、次のステップを考え始めました。その中で、その時に頭に浮かんだのが、ブータン王国で活動中にお世話になった、ボランティアコーディネーターさんでした。その仕事は私にはとても難しいと諦めていましたが、考える中で段々とチャレンジしたい意欲の方が強くなり、思い切ってチャレンジしたところ、なんと受かることが出来たのです。その時は本当にチャレンジして良かったと思いました。ネパールやカンボジアなど5カ国を回りながら16年間勤め、日本に帰ることを決めた時に現職のお話を頂き、私が経験してきたことや感じてきた世界をもっと多くの人に伝えることができると思い、事務局長を引き受けることにしました。
 もう一つ現職を続ける大きな理由は、ここまで導いてくれた多くの方々への「恩返し」です。特に協力隊に行くきっかけになった会社の先輩と、協力隊から帰ってきた後で、福岡県の協力隊OB会の活動を引っ張ってくれた先輩に大きな影響を受けています。お二人とも亡くなられてしまいましたが、その方々の分も思いを引き継いでやっていこうと思っています。
 私自身の「学び」や「気づき」を発信したり、海外で何かに挑戦しようとする人の支援をすることで、お互いのことを理解し合えるきっかけを作っていきたいと思っています。

記者:常に感謝の気持ちを持ち、色んなことにチャンレジされていることがひしひしと伝わってきました。

Q.馬田さんがそれ程まで伝えたい思いが溢れた海外で観た世界や、海外に行くに至った背景には、何があったのですか?

馬田:私は子供の頃からなぜか海外に興味がありました。日本と違う知らない世界を知れることがおもしろくて、小学校3年生位の時には世界の色んな国が掲載されている百科事典を読み込んだり、TV番組「兼高かおる世界の旅」を食い入るように見て、どんどん入り込んでいきました。しかし中学校に入り、英語の出来がとても悪く海外に行くことは断念しました。当時、機械をいじるのが好きだったこともあり、工業高校に進学し、高校卒業後に大手通信会社に技術者として就職することになりました。
 就職してからは海外や英語と関わる機会は無かったのですが、同じ職場に破天荒の先輩がいて、その人が協力隊で海外に行ったのです。それに触発され、あの先輩に行けたのなら、私にもできるかもしれないと再度海外に対して意欲が沸いてきました。英語を勉強し直し、27歳の時にブータン王国へ派遣されることになりました。いざ本当に行ってみると、英語が通じず日々勉強しながら過ごしたり、食べ物が合わなかったり、戸惑いや色んな衝撃がありました。しかしそれ以上に、多くの感動を頂いたのです。中でもブータン王国のGNH(国民総幸福量)を中心とした政策や大臣のスピーチを聞いた時に、今まで考えなかった「生きる意味」や「幸せの本質」等を考える機会となりました。こういうことを日本人のもっと多くの人と一緒に考えたり、共有したいと思うようになっていきました。この体験がその後の人生に大きく関わっていくことになります。

記者:馬田さんの海外に対する思いや、人に伝えたい思いの原点を知れた気がします。馬田さんが考えることや共有することをとても大切にされていることが伝わってきました。これから新しいチャレンジをしたいと思っている方にぜひ会って頂きたいです。貴重なお話ありがとうございました。

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馬田さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

HP:https://npo-kyushu.or.jp/

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【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知と坊上です。
ご自身の海外経験をもとに、未来の子供たちのためにコツコツと活動され続けている馬田さんの姿勢は本当にかっこよかったです。海外経験のお話もすごくおもしろく、ユーモアが溢れ、多くの方に知って頂きたいと思える素敵な方でした。(不知)

馬田さんのお話しにすぐに引き込まれていました。未来の子供達の笑顔の為にご自身が出来る事をブレずに続けられる姿にとても感銘を受けました。活動の事をお話しされる馬田さんがとても楽しそうで、きっと赴任された様々な国でも自然に人と人との関係性を築いてこられたんだなぁと思いました。
静かなる侍、とてもカッコよくて素敵な方でした。(坊上)

馬田さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

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