「琵琶演奏を通して心の豊かさと楽しさがある生き方を」筑前琵琶奏者 尾方蝶嘉さん

13歳の頃から琵琶に携わり、様々なコンクールでも表彰されている琵琶奏者の尾方蝶嘉さん。琵琶を通して、自らの生き方、地域のコミュニティづくり、社会への貢献など多岐にわたって尽力されています。そんな尾方蝶嘉さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地 福岡県
活動地域 福岡県を中心に
経歴   
嶺青流筑前琵琶保存会師範。
筑前琵琶 嘉の会主宰。
13歳より筑前琵琶を嶺旭蝶、青山旭子に師事。
日本初の筑前琵琶による人形浄瑠璃座「筑前艶恋座」にて琵琶・語り・作曲の三役を担当。
オリジナル創作作品も多数。
現在の職業および活動 
筑前琵琶奏者
座右の銘 おもしろがる

心の豊かさと楽しさがある生き方を

Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?

尾方 蝶嘉さん(以下 尾方 敬称略)   琵琶を始めてから28年間になりますが、奥深くやるほどに新しい気づきがあります。琵琶だけでなく芸能は、人間の深い感情に寄り添い、支えにもなる。だからこそ人の心は歌や芝居など様々な芸能を求めます。そんな芸能に、当たり前に触れられ楽しむことができる日常が今と変わらず、できれば更に身近に未来にも続いていって欲しいと思っています。

   私は琵琶を通して、芸能が身近な日常にあるコミュニティをつくりたいと思っています。そのために今、「箱嶋家住宅」という国登録有形文化財の古民家でささやかながら定期的な琵琶の演奏会を行なっています。そこで人の繋がりができ、文化の繋がりが生まれ、さらにコミュニティが広がっていき、豊かな人と人との関わりの中で心の輪が広がっていく。ゆくゆくは、そのコミュニティが私の手を離れて、自然と広がって、まだ違う何かの生き生きとした活動になっていくようになると良いなと。そして、未来を担う子どもが、心豊かに安心して暮らせる世の中を継続し、実現してゆくことに貢献していきたいと願っています。

   けれど、琵琶に限らず日本伝統芸能は厳しい状況に立たされています。筑前琵琶は福岡発祥の楽器ですが、琵琶を専門に商いにして成り立つ作り手がおらず、明治中期から昭和初期の筑前琵琶の最盛期には、福岡市博多区に20軒以上あったとされる琵琶屋さんが今では1軒もありません。日本が技術立国と言われるのは、車などの工業製品技術だけではありません。日本伝統芸能を支える楽器作りのようなソフトで精緻な職人技もあってのことです。その素晴らしい日本の技術、文化資産が消えていっています。私は日本の伝統芸能の素晴らしさをもっと認知してもらいたいですし、特に若い世代に楽しんでほしいと思います。そのためにも伝統芸能で、その担い手がちゃんと食べていけるように、仕事にできる状態をつくっていく課題に向き合う必要もあると思っています。

   私個人としては、筑前琵琶奏者としてこれからも技術を極めていき、最終的には芸術と認めていただけるような、質の高い領域にまで持っていきたいと思っています。一奏者として本物を目指していきたいです。

今の積み重ね

Q:「心の豊かさと楽しさがある生き方を」へ向けてどのような目標や計画を立てていますか?

尾方   まずは、頂いたお仕事を一つ一つ大切に取り組ませていただくことです。ご依頼あっての演奏活動と、目標ですから。そして、自ら取り組んでいる「箱嶋家住宅」での定期的な演奏を続けていくことです。「ここ(箱嶋家住宅)に行けば琵琶が聴ける」という拠点になることと、私と私の演奏する琵琶を知ってもらうことを目指しています。又、伝統文化を残すという点では、座付き演奏をしている「筑前艶恋座」の人形浄瑠璃芝居で、従来の古典ものとは異なる筑前琵琶による新作を作曲したり、かつその伴奏と語り手を担当して、観る人が分かりやすく楽しんでいただける作品づくりを心掛けています。他にも、学校へのアウトリーチ、お弟子さんの育成、自身の弛まぬスキルアップのためのコンクール出場などを継続しながら、筑前琵琶と自分自身に一体どんなことができるのか、可能性を感じる事柄はこれからもチャレンジしていきます。

   そして家では妻であり母でもあるので、家庭と琵琶を大事にし、日々を積み重ねていくことで次の10年が開かれていくと思います。いただいた役割を地道に重ねていくことです。芸事の世界は計画してその通り実行できることばかりではないし、水物でもあるので。。。何も特別な気をてらったことを考えたりはしません。

考えの切り替えをする

Q:その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?

尾方   自分自身が大事だなと、特にメンタリティの面で思うことですが、私は考えすぎる癖があるので、切り替えを上手にするように意識しています。気持ちを引きずると、体調も崩しますし、演奏にも影響が出てきます。又、琵琶はじっと座っての演奏になるので、散歩に出たり体を動かして、考えの切り替えをするようにしています。そうして思考を明るく保つように心がけると良い循環が生まれてきます。何はともあれ、体が資本です。

深い感情を伝えられる

Q:その夢やビジョン、目標・計画、行動指針を持つようになったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

尾方   なぜ琵琶をやっているのか、続けるのか、このことには何度も自分に問いかけ、悩んできました。辞めようと思ったこともあります。けれど、琵琶を通して、人の心の奥深い感情を引き出して寄り添ったり、伝えたりできると気づいた時、やっぱり琵琶をやりたい、これが好きだなと思ったのです。

   琵琶を始めとした芸能は、例えばお米を育てたり、車を作ったりというように、すぐに目に見えて消費できる物質的な何かを生産するわけではありませんし、極端に言えば、人生に必ず必要なものではないとも言えます。けれど、洋の東西を問わず芸能は途切れることなく何千年も人類と共に存在します。最近では震災の時なども、窮地が過ぎると自然と芸能などの歌や演奏といった楽しみを人は求め出します。それは、芸能が人間の不変的な営みから生まれる感情や熱を誰かにお伝え、共有することができるからだと思います。

   世の中は無常というように変化しかないですが、人間が生まれ、老いて、病気になり、死ぬといった生老病死の移ろいは変わりません。そうした生老病死と共にある喜怒哀楽という感情も常に移ろいながら人間と共に有り続けます。そうした脈々と繋がっている人の生きた足跡は、今では映像などでも伝えられますが、琵琶は生身の人間がその物語を語り演奏することで、生き生きとした感情をストレートに、あるいは柔らかく緩衝して表現できるので、伝わり方も違うと思っています。

   ですから私はいつも心の奥深く届けよう、深い心の動きを引き出し、何か少しでも、聴いて下さった人の思いの中に良いものが残ればと意識しながら演奏しています。

人の役に立ちたい

Q:「深い感情を伝えられる」という気づき、発見の背景には何があったのですか?

尾方   私が琵琶に出会ったのは13歳の時でした。友達がやっていたのですが、琵琶の音色や語りがとても鮮烈で美しく、訳は分からないのに「かっこいい!」と思いました。私は覚えていませんが、琵琶をやりたいと、半年間、親を説得し続けたそうです。

   最初はただ弾いて語るのが楽しくてプロとしてやっていくことなど考えておらず、就職超氷河期だったので、大学の選択も、小心者の私は就職に潰しがきくかもと思った法学部に入りました。大学生になると、師匠から色んな場所での演奏に連れて行っていただけるようになり、琵琶を通して様々な人たちと出会え、それまで知り得なかった自分の世界が広がっていくのが楽しく、琵琶を本格的にやっていきたいと思うようになりました。

   しかし、プロでやっていくには難しい世界です。食べていくために卒業後は普通に営業職に就職し、その次は法律事務所に勤めました。法律事務所では、法の下での難しく多様な人間模様や紛争をたくさん見て、実務として勉強させていただいたと思います。けれど、やっぱり自分がやりたいのは琵琶だという思いが募り、プロとしてやろうと決め、仕事を辞めることにしました。

   最初は自分が弾いた曲で喜んでもらえることがただ嬉しかったのですが、段々と、自分の演奏は社会にとって何の関わりがあるのか、ただちょっと珍し気な楽器を弾いて自己満足でしかないのではないかと、限界を感じるようになりました。歌舞伎のように、その「家」に生まれた、というわけでもありません。考えても考えても晴れず、何年も悩み続けました。自分がやっていることに何の意味があるのか、私の存在は何なのかというところまで思い詰めました。

   そんなある時、私の演奏を聴かれた70代のご婦人が「良いもの聴いた、生きてて良かった!」と言ってくれたのです。私は、人の役に立てているのだと初めて気づきました。人の心の奥深い感情を引き出すことができる、伝えることができるのだと思えたのです。

   私の中から喜びが込み上げてきて、演奏も変化してゆきました。深い感情を伝えること、引き出すことを意識しながら弾くようになりました。物語の解釈を深め、登場人物はどんな感情をもっているかなども更に追及するようになりました。

   悩みながらもやり続けてきたのは、やっぱり琵琶が好きだからです。実は、昨年父が亡くなりました。父とはとても仲良く、ショックが大きかったですが、良い意味で背中を押してもらう機会にもなりました。人の命には限りがあり、生きていることは奇跡の連続だと言えます。だからこそ好きなことを思いっきりやって、生きることを楽しもう、おもしろがろうと、心新たにしました。

   正直なところ、私は変化する世の中や、変化していく自分や環境にいつも不安を感じていた究極の小心なビビリです。けれど、琵琶を通して、答えは常に自分の中にあることを知りました。自分が変化、成長すると、同じ題材でも演奏していて全く違う気づきがあったりします。琵琶は人生の窓です。これから10年、20年と時を経て、どんな気づきがあるのか、そしてどんな方達に出会い、より良い未来を形作っていけるのか、琵琶と共に生きる道が楽しみです。

読者への一言メッセージ

尾方   自分の好きなことを何でも一つ持って、頑張ってほしいです。一つ窓が開けると、色んな世界に繋がっていますから、好きなことを突き詰めると人生の幅が広がっていきます。筑前琵琶の演奏、聴いてください!

記者   変化する世の中で、生老病死、喜怒哀楽といった営みは不変的であり、常に私たちと共にあります。そんな奥深い感情を伝える琵琶は、自らの中に多様な出会いを提供してくれ、人に楽しさや安心を与えてくれるのですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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尾方蝶嘉 筑前琵琶奏者

【編集後記】
今回インタビューを担当した小水です。
なぜ琵琶なのかと悩み問い続けてきた尾方さんだからこそ、琵琶の価値を心底感じておられ、伝える言葉には深みがありました。
変化しかない世界を生きる不安定さに向き合いながら、琵琶を通して不変に出会われた尾方さんの生き様は、強さと儚さが同居した美しさを感じます。
伝えるという難しさを超えていくことで、琵琶を始めとした伝統芸能が広く愛されていく未来が開けていくのだと思いました。
尾方さんの今後の益々のご活躍を応援しています!

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