料理の原点である塩に革命を起こす!「またいちの塩」”平川秀一”さん

塩作りを通して全ての料理を底上げし、味覚から食習慣を変化させていこうとされている平川秀一さんにインタビューさせて頂きました。

≪プロフィール≫

出身地:福岡県

活動地域:福岡県糸島市

経歴:新三郎商店株式会社 代表取締役

現在の職業および活動:おいしいものをつくる人

座右の銘:おいしいものをよりおいしく

「食習慣に影響を与える「味覚」を大事にし、その食材の背景も含めて味わってほしい」

Q.平川さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?

平川秀一さん(以下、平川敬称略):私は、塩は食べ物の中での大事なものであると思って作っています。料理の中で塩が入ってないものはなく、健康面で制限はしても摂らないことはありません。
大事にしている事は、日々摂らないといけないものを美味しいものにし、美味しいものをより美味しくするということです。

塩や食事の提供だけではなく、空間も提供しています。
食事はどこで誰と食べるのかがすごく大事です。
今後の構想として、食事処「イタル」では、食事をしながら目の前の田畑で米や野菜が作られる風景が見え、たくさんの果樹が実り、その間に芝生が植わり川が流れているような場所を作りたいと思っています。
食物が作られて収穫され、そして料理人によって調理され自分の口に入っているんだというプロセスを感じられる場として、多くの方に立ち寄って頂きたいです。

塩は1997年に自由化になったので、塩が海水から作られている事をまだ知らない方もいます。インターネットで情報は見れますが、実際に現地に足を運ぶのとは全く違いますし、音一つ例にとっても、都会だと雑音が多過ぎるため逆に遮断し、関心を向けにくいものだと思います。
なので、現場だからこそ感じられる、この薪を燃やす煙の匂いや波の音や風などを、自分の感覚で感じてほしいし、何かを感じてもらえる場でありたいと思っています。

塩の味は「辛い」と感じる人もいれば「美味しい」と感じる人もいます。
調味料で例えても、生姜焼きや焼き肉のたれなど、それを使えば味付けが完了してしまうような商品も増え、中に何の調味料が入っているのか?などを考える機会が少なくなっています。
今の時代は、感じるセンスが埋没する傾向にあると思うので、立ち返って考える機会を提供したいと思っています。

Q.どのような目標や計画をたてておられますか?

平川できる限りよそに頼らないで、自分達だけで塩作りをしたいと思っています。
精度をあげて、今燃料として使っている薪の量を減らせる釜を作るとか、太陽光を使ったシステム作りや、電力を風力に変えられるかなど、最新の技術は前向きに取り入れながら、持続可能なエネルギーで製造していけるように、色々と考えています。

だけど、海が近く更に塩作りをしているため塩分がきつく、すぐ機械が錆びてダメになってしまいます。できるだけ機械に頼らず、壊れたとしても自分たちで修理できるようなものとして作っていきたいと思っています。

農園で作物を作るのは、収穫できた作物で様々なバリエーションの塩商品を作っていく事を考える上で、誰でも安心して口にできるものとして、素材自体も自分達で作りたいと思っているからです。
塩にスモークの香りがついているものは現時点でもありますが、私たちは柑橘系の香りや木の香りなどを付けられないかと考えています。誰でも手に入れやすく使いやすい商品を作ることで、食事に変化や面白さを与え、更に楽しいものになるお手伝いをしたいと思っています。

記者:日本全国や世界にも広げていく事は考えておられますか?

平川:東京や海外にも商品を販売させて頂いていますが、今以上に作る量を増すことはスペース的にできません。
この場所での製造じゃなければ、例え量をたくさん作れたとしても質が落ちてしまうので意味がないです。

星がつく高級レストランでも使って頂いていますが、通常販売しているものも東京や高級レストランへ送っている商品も全く同じものです。時々、塩の味の変化に対しての意見を頂くこともあるので、日々神経を使って取り組むようにしています。

記者:地球は回転していますし季節もあるので、その時々で塩の味は変わりますよね?

平川:もちろん変わるので、火にかける時間や火力で調整していきます。火が強過ぎてもダメ・弱過ぎてもえぐみが出てダメなので、燃料には薪を使いベストな状態に調整していく必要があります。火にかけたもの全部を塩にするわけではなく、どのあたりで止めるのか?などの引き際を見極めることも大事です。

記者:とても繊細な世界なのですね。

Q.今どのような活動をされていますか?大事にされていることはありますか?

平川:海水が原材料なので、なるべく地域や環境にストレスがかからないように気を付けています。
使う必要があるものは再生可能な素材に変えていきたいので、ビニール袋ではなく埋めたら土に戻るように竹のチップとぬかを使って塩を入れる容器を作ることなども検討していますが、まだまだ道のりは長いです。
プリンの容器をプラスチックから瓶にしたのも、瓶は7割がリサイクルされているからです。

環境への配慮ということもありますが、もっといい素材があるのではないか?という探究心もあります。

Q.塩作りを始めたきっかけは何だったのですか?

平川: 塩が自由化される前は日本では一種類しかなかったので、海外に行った時に色々な塩を好みで使い分ける事ができることに驚きました。

日本では塩か醤油ですし、サラダであればどのドレッシングをかけるかって感じですよね。海外はマヨネーズは瓶に入っているので気軽に使わないし、何でも塩で済ませます。ですが、その塩がものすごく美味しかったんです。

私は昔料理人をしてたので、食べる事に関して当たり前に塩を使ってきました。
塩に興味を持って、24,25歳の時に天草で塩作りをされている方の所へ作り方を見せてもらいに行って買って使ってみたら、今までのものと全然違うものでした。
「これが本当の塩だ!」「これくらいの設備と環境でこれだけの塩ができるのであれば、もっといい環境・いい条件であればもっといい塩がつくれるはずだ!」と衝撃を受け、塩作りを始めることを決めました。

ここは綺麗な海水の内海と養分豊富な外海が混ざっている所です。南向きの海なので、塩田に1日通して陽もあたりますし、北に山があるから台風も避けてくれます。そしてこの先に家もないから生活排水の心配もないという抜群の立地です。
もしこの場所が借りれなかったら、他の地域を考えていました。

記者:塩の何に感動されたのですか?

平川:和食の料理人の時に、塩の大事さも凄く厳しく教えてもらっていました。もとから塩に対しての固執みたいなものがありましたし、塩の質が変われば料理が随分変わる!ということに衝撃を受けました。

実は、素材を引き出すのも味を付けるのも塩しかありません。しょうゆや味噌にも塩が入っているし、酢や油で美味しい料理が作れるか?というと違います。塩が他の調味料との味を繋いでくれているのです。
素材の味を引き出して、味の輪郭を出すのが塩の役割であり、塩以外にはないのです。
一番大事にしているのは、素材の味をきちんと出してくれる事ですし、そういう塩を作っています。

塩は、料理に革命を起こす原点であり、全ての料理が底上げされ美味しくなるキーポイントだと思います。

記者:25歳のときに塩作りをすると決めて、ここまで形にしていくのはとても大変だったと思いますが、1人でスタートされたのですか?

平川:様々なお手伝いを頂きましたが、すべりだしたのは1人でした。この場所は、始めは波の音は聞こえるけど海は全く見えない荒れ地だったので、まずは開墾からしました。竹が生い茂ってたので、根っこを引き出したりととても大変でした。

記者:そのバイタリティはどこからくるのでしょうか?

平川とりあえずやってみる!です。たくさん失敗もしましたし、いっぱい怪我もしました。
ですが、中途半端に失敗するよりも凄く失敗した方が記憶に残り「次どうするべきか?」と考えることに繋がり、結果として習得できるので、失敗はいい経験だと思います。

高校で建築を学び、祖父と父が作った山小屋の壊れたデッキを一緒に直した事をきっかけにログハウスに興味を持ち、作り方を学ぶために20歳の時にカナダに行きました。思いだけであまり調べずに英語も話せないまま行ったので、行ってみて思っていたよりも現地にログハウスの会社がない事を初めて知りましたし、夢をもってカナダに来ている日本人は、英語でコミュニケーションがとれる状態まで準備して来ている状況もあり、私も何社か受けましたが落ちました。
とはいえ、生活もしていかないといけないのでレストランの面接を受けて受かり、そこから料理の世界に入ることになりました。

ログハウスを作る夢は叶わなかったですが、建築で学んだことはこの場所を作る上で、建物の構造を考えるのにとても役立っていますし、ログハウスの面影がこの場所には結構ありますね。

記者:小さい頃、ご両親の教育方針はどのようなものだったのですか?

平川:母はB型気質で、何でもやってみなさい!という方針でした。母は言い出したら曲げない人で、決めた事は最後までやるという部分では、母の貫く精神は受け継いでいると思います。
よく母と戦っていましたね。門限に遅れると怒って外に出され、どうにか家の中に入ろうと上の窓によじ登っていたら、母に見つかってほうきでたたき落とされ、諦めずもう1回やるけどまたたたき落とされ・・・日付変わるくらいまで家に入れてもらえませんでした。それでも遊んでいたので、私はとても打たれ強いと思います。

記者:塩作りをする中で、紆余曲折はたくさんあったのではないですか?

平川:何度もありましたが、やりたい!という意志が変わることはありません。最終の完成型をイメージしているから、そのイメージに沿って商品も空間も作っていっています。
「完成させるために、どこをどう詰めていったらいいか?どう改善したらできるか?」を常に考えています。
最終的にその完成形のイメージが出来上がったらいいので、一度棚上げしたとしても、いつかできるタイミングがきた時にまた始めたらいいと思っています。

ずっと前からの果樹園と段々畑の構想が、3年くらいかかって要望が通りやっと最近動き出しています。

Q.塩作りに必要性を感じられた背景は何だったのでしょうか?

平川「味覚」だと思います。美味しいか美味しくないかという感覚を、家族によって非常に多く持たせてもらえたと感謝しています。
味覚は長い時間をかけて刷り込まれていくもので、両親や祖父母の「美味しいよ〜!」というものが継いでいくものだと思います。
そうやって両親や祖父母から受けたからこそ、私も食事を通して受け継いでいると思いますし、いいものの味を感じさせてもらえたから、今塩を作っていると思います。

会社の名前に祖父の「新三郎」塩の商品名に父の「またいち」という名前をつけているのも、綿々と受け継がれてきたこの「味覚」を作ってくれた事に対しての感謝です。

私が食べ物に関心を持った理由として、「おばちゃんが農薬も使わずに作った大根だから美味しいよ!」「赤土で作った大根だから柔らかく美味しいよ!」など、背景もセットで美味しいよ!という風に、家族が話してくれていたことも要因としてあるのではないかと思います。
「お肉はあそこのが美味しいから」と20分かけて買いに行ったり、「あそこのうなぎが美味しいから」とわざわざ柳川まで食べに行くということが、家族の中でもよくありました。

塩作りの背景を知ったことが、私自身が塩作りに興味を持ち、作ることを決めたきっかけにもなっていると思います。

記者:この場所に足を運んで欲しい理由は、この塩の背景も一緒に味わってほしいという思いがあるのですか?

平川:そうかもしれないですね。塩作りには終わりがないので、ゴールも正解もないと思っていますし、そういう気持ちで作っています。
計れないからこそ、目には見えない思いの部分が大事だと思います。
私1人でできることではないので、スタッフの協力もあるからこそ、大変な作業だけど飽きずにやれているのだと思っています。

記者:平川さん、本日はありがとうございました。

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≪平川さんの詳細情報について≫

■またいちの塩 ホームページ ↓↓
https://mataichi.info/

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【編集後記】
今回インタビューを担当した波多江&岩渕です。
平川さんの塩作りへの思いやその背景をお伺いできたことで、改めて塩という調味料の重要性を知ることができました。
「味覚」に影響を与える家族の存在はとても大きなものであるということを改めて実感しました。
今後の平川さんのご活躍を心より応援しています。

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