進化させていくことが守ること日本文化継承と仲間の大切さ、辻野 佳秀さん
世界を一畳ずつ気持ちよく。日本で生まれ育まれた畳を通して、気持ちのよい空間づくりを目指している株式会社TTNコーポレーション代表取締役 四代目 辻野 福三郎(辻野 佳秀)(以下、辻野 敬称略)さんと、企画課の石井 近恵さん(以下、石井 敬称略)にお話をお伺いしました。
プロフィール
氏名:辻野 佳秀(4代目 辻野福三郎)
年齢:41歳
出身県:兵庫県
現在の職業及び活動:TTNコーポレーション
多くの方々に畳を好きになっていただくこと、畳を通して気持ちのよい空間づくりを手掛けてる。
座右の銘: 畳の上にも三年
「真の日本一を目指して」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
辻野:日本一の畳屋になることが僕の夢です。規模的に日本で一番になってもサービス面や技術面、全てで日本一かと言うと、そうではありません。だから僕の中ではまだ日本一とは自分自身で認めてなくて、今もまだ真の日本一を目指して努力しています。
一つは北海道から沖縄まで全国に僕たちのお店ができたり、サービスが行きとどけばいいなと思っています。かと言って地域の畳屋さんが潰れるようなやり方では業界のためにはならないので、全国の畳屋さんと共存共栄しながら僕たちのサービスが日本全国に行き届き、また僕たちもサービス、商品、品質などで自分が納得いく日本一になりたいと思っています。
そして、うちのスタッフ全員が日本一の畳屋で働いているというプライドを持って働けるようにしたいです。
「進化させていくことが守ること」
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
辻野:昔ながらの畳をただ守るというだけが、文化を守るとは思ってはいません。今の時代やお客様のニーズに合ったものもつくること、進化させていくことが畳文化を守ることじゃないかなと、畳の大事な部分、本質はしっかりと残しつつ、僕らが文化をしっかり引き継いで、次の世代にバトンタッチしていかないとと思っています。
僕たちがつくる畳にはこだわりがあります。
日本の住居は近代までは、ほぼ板の間でした。板の間の上は冬はすごく冷たくて、足が冷えると痛いのです。そこから畳の上に一歩踏み込んだ時に柔かくて暖かかった、これが畳に憧れた良さじゃないかなと思います。
今は床暖房という畳より暖かい床材があるので、畳の魅力は少し低下していますが、その頃はきっと高機能の床材だったと思います。
だから、僕らが作る畳は柔らかくて暖かいという特徴を持っています。そういった部分は残し続けなければならないと思っています。
記者:床暖でも使える畳があれば、元から暖かいので、なおさらいいですね。
辻野:そうですね。そして今は畳のリサイクルも開発中です。そもそも畳はすごくエコロジーな床材です。
例えばですけど、 い草だったら中に入っている藁はお米を取った後のいらない部分を使っています。い草は1年に一回しか植えることはできないのですが、半年で伸びます。森林を切り裂いて伐採するのではなくて、計画的に生産できて計画的に収穫できる草です。それだけでも環境に優しい床材になりますが、二酸化炭素を出してつくるものではなくて、どちらかと言うとお米も、い草も二酸化炭素を吸って成長していきます。それを編むとか畳をつくるために機械を使っているのですが、それ程大きな電力を使っていません。トータルで見ると多分、一枚仕上がるのに二酸化炭素はマイナスでできていると思われるぐらいエコロジーな床材です。
ただ残念ながら、いらなくなった畳を燃やす時にも二酸化炭素が出てしまいます。これを何とかするために、いらなくなった畳を固形燃料にしてボイラーの燃料として使ってもらうリサイクルをしています。
僕が今後やりたいのは、いらなくなった畳をもう一度生まれ変わらせて畳に戻すことです。
畳は世界一、環境に優しくて人に優しい床材であり続けられたら、もっと畳の存在意義や必要性が認められる時代もまた来ると思います。畳の材料や技術を使うのだけれど、少し見た目が違うとか、使える幅を広げたりデザインの幅を広げたりすることで、自然を愛する人たちに使ってもらえるような床材にしたいです。
「文化継承と仲間を大切にすること」
Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?
辻野:夢や目標、さらに最近では志といったものが源になっています。
僕たちは、日本で生まれて日本で育まれた文化を扱っていますから、僕たちもそれを次の世代へ、100年後に残せるような取り組みがすごく大事だなと思ってやっています。
皆さんのライフスタイルが洋風化していっているのを、また日本の住まい方に変えるのは難しいと言うかできないですけども、僕たちが努力をすることで減る速度を遅らせたり、いいなと思ってもう一度見直してもらえたりとかは微力ですけども、できる気がしています。
あと心がけていることは、うちに集まっている仲間を大事にすることです。
人間一人では何もできない、特に経営者は一人では何もできないです。
自分に足りないものがあるから、そういう能力を持った仲間が集まってやっているわけなので。
石井:現場からの声で言わせていただくと、うちの会社は社長との距離が近いので、文句もダイレクトに聞こえちゃいます。それを受け止めてくださるので社長に申し訳ないところもあります。うちの会社の相談窓口のような感じになっています(笑)
辻野:僕が社長の仕事だと思っているのは、意見が分かれた時に最終決定をすること、みんなが判断つかないことを決断するのは僕の仕事だと思っています。でも僕が決断しなくても決断できることは決断してもらったらいいと思っています。みんなで意見を出し合った方が僕の貧相な考えで導き出したものより、いいものが生まれます。
基本的にはみんなで考え、みんなでやっていこうというスタンスです。
「外にいったことで、日本がよりみえた」
Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
辻野:僕は畳屋の息子として家の一階が畳を作る作業場、畳屋さんで二階が住居という環境で小さい頃育ちました。
友達から畳屋って凄いなあとか、あまり言われずどちらかと言うとそれを茶化されたりしていました。
そういう環境で育ちましたので畳屋を継ごうとか、畳に対してかっこいいとか美しい、文化だとかポジティブな感じよりは、将来畳屋はどうかなと思っていた幼少期があります。
しかし、学生支援で海外に行って外から見る日本に出会いました。日本は四季がしっかりあるので楽しめるし、食材も色々あって食べ物も美味しいです。日本から離れることによって日本人の良さや日本の窮屈な所など、いろいろなものが見える中で、世界にない日本で誕生して日本で育まれた独自の畳文化は素晴らしいと感じました。
これは残すべき文化だと僕なりに感じて、その頃から畳屋で目指すなら日本一を目指そうと僕の畳屋人生がスタートしました。
「変化と仲間の大切さ」
Q.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
辻野:日本一になるために、 新しい商品を作ってみたり、畳に色をつけてみたりと色々試してみたのですが、まったく売れなかったのです。
商品に特徴を付けたからといって、簡単に売れるものではないという痛い思いを若い頃にしました。じゃあどうやって他の畳屋さんと僕たちの違い独自性や差別化みたいなものをつくればいいのだろうと父親と色々語り合う中で、それはお客さんの一言から始まりました。
レストランチェーンの購買担当の方から「夜中に畳を変えることはできないか?変えられるのであれば、うちは是非全店舗お願いしたい」という相談をいただきました。それが僕らの独自性、一つの味付けだなと感じ、是非これはチャレンジするべきだということで24時間営業が誕生しました。僕が25歳くらいの時でした。
変な畳屋があると注目を集めたのは確かにありますね。
記者:それは業界初ですよね。今までの会社のやり方を50年くらいずっとやってきている中での改革はすごいですね。
辻野:そうです。僕ら畳業界で24時間営業は非常識です。
でも他の業界で24時間営業をやっていて、機械を止められなところもいっぱいあります。
そういう意味では僕らの業界では非常識かもしれないですけど、日本全国からしたらそうでもないのでチャレンジしました。
ただ24時間の覚悟を決めずに入ってきている職人さん達からは抵抗しかなかったです。最初はいろんな大変な思いがありました。
みんなが共感してくれなくて当たり前、まず自らが先頭に立ってやって、協力してくれる人がいたら協力してくれたらいいなと思っていました。最終的にはみんな協力してくれるようになりました。共にやる、でもしやりたくないのだったら僕がやるスタンスです。
記者:そういう人柄が変化を可能にしていく部分は大きいのかなと感じました。
辻野:今は変化に柔軟に適応するのは TTN の文化になっていると感じています。変化にそこまで抵抗する人が逆にいないです。それは僕も含め今までやってきたメンバーの作り上げてきた文化で、うちの会社が一番得意としているのは変化だと思っています。できないっていうよりも、こうやったら求めているものが形になる、どう工夫したらいいかといったマインドがみんなににある感じがしています。
一番最初はできないという意見が飛び交っていましたが、 できないのではなくて、どうやったらできるかを一緒に考えてきたら、そういう癖がついていったのではないでしょうか。
石井:社長がポジティブなので、お話するとみんな元気になっていきます。楽観的ですね。
辻野:アホみたいな言い方やめてもらえますか(笑)基本的に前向きです、僕はすぐポジティブ変換しますから。僕と話して気分が楽になってもらえたら、僕の言葉が何かポジティブに向かうヒントになればと思っています。
人は助けられた時、皆愛を感じ感謝して助けないとという感覚が生まれてくるのではないかと思います。その気持ちが大きいか少ないかは個人差があると思いますが、人に助けられてうっとうしいとは、ならないと思うのです。
僕の性格だって、いいとこばっかりじゃないです。自分の性格の悪さだったり、自分の思い通りにいかないことがストレスになったりということもありました。色々失敗もしました。でも自分が困った時に助けてくれる人の温かさを感じて今の自分がつくられています 。
やはり自分が困った時に助けてくれる仲間がいるわけですから、その人たちが困った時には僕は助けないといけないですし、普段からみんなが困らないように僕が考えられることは考えてないといけないと思っています。僕の周りで働く絶対的な安心感を与えてあげたいと思っています。こういった感覚は社会で働いて養われたもので、とても感謝しています。
Q:最後に今の時代を共に生きている人たちに対してメッセージをお願いします。
生きることは苦行だという人もいるぐらい楽しいことばかりじゃないと思います。
ただ、自分なりに目標を持ったり、どんなことでもいいから夢を描いたりすると、それだけで楽しく変わっていくような気がするのです。
僕は苦しいだけが嫌なので夢を持つようにしています。そうすると楽しくなるし、力がみなぎってきます。また、それを強く願えば願うほど現実に手が届くようになってきます。
人生まだ40年、社会に出て20年ぐらいしか経ってないですけど、20年間で人生が変わりました。それが僕なりの働き方のコツです。
皆さんにもそういうふうに人生を楽しんでもらえたらと思います。
【編集後記】
インタビューの記者を担当した川名です。
和やかな雰囲気の辻野さんと石井さんとお話しさせていただく中で、インタビューの中で語られていた想いを実践されていることを感じました。
日本の畳文化ともに、不可能に挑戦し続けるマインドと仲間を大切にする思いやりも継承してもらいたいと感じましたし、私もそういうものを育んでいきたいと感じました。
ありがとうございました。