安心安全健全な社会を目指して ノンフィクション作家 廣末登さん
日本でただ一人の暴力団離脱者の研究をしており、大学の非常勤講師、福岡県更生保護就労支援事業所長を務める廣末登さんにお話を伺いました。
プロフィール
出身地:福岡県福岡市
活動地域:福岡県から関西、関東圏
経歴:1970年生まれ。北九州市立大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。国会議員政策担当秘書を経て、現在は福岡県更生保護就労支援事業所長を務める。ノンフィクション作家。ヤクザ関連の著書が多く『暴力団博士』と呼ばれる。
現在の職業および活動:法務省(保護観察所)において更生保護就労支援を行う。
座右の銘:学知利行(単なる知ではなく、悟性的認識に加えて、それを世のために使ってこそ意味があると考えます。)
「元暴5年条項の緩和を悲願して」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
廣末登さん(以下、廣末) 日本国憲法第25条には、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。ですが、暴力団を離脱しても暴力団排除条例に規定された「元暴5年条項」により、ヤクザと見なされ、銀行で通帳などがつくれなかったり、お子さんが幼稚園の入園を拒否されたりということがおこっています。「元暴5年条項」は法律ではなく条例ですが、全ての都道府県に施行されているので、法律のようになっています。一応、この条例による社会権の制約は5年間ですが、実際には離脱後10年経過してもヤクザ扱いされて不利益を被る現状が続いています。
すべての国民が平等ではなく、排除が為されていることに私は疑問を感じます。排除がおこなわれるから、暴力団離脱者は社会的な居場所をなくし、再犯に至ってしまうのではないでしょうか。
最近、東京三弁護士会の方々が動いてくださり、「元暴5年条項」の緩和を、弁護士によって判断するようになった変化は、大きな一歩かと思います。人が排除されない社会、その第一歩として「元暴5年条項」が緩和されることが悲願です。人として当たり前の権利が保証される社会に変わっていけば、私も生きていて良かったと思います。
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
廣末 声を上げ続け、伝え続けることです。10回言ってもわからなければ、20回、100回と言い続けていけば賛同者が生まれてきます。社会に理解してもらい、気づきを促したいので、何年というのはわかりませんが、生きている間は、声をあげ続けたいと思います。
社会的排除の歴史を例に挙げましょう。ナチスドイツは、ドイツ「アーリア」人種の血と尊厳の保護のため、断種法に基づき、まず、精神病や依存症を持つ人たちを排除しました。次に、ロマ族(ジプシー)を、最後に、ユダヤ人を排除するに至りました。
自分には関係ないと社会的排除を放っておくと、もしかしたら自分にも降りかかってくるかもしれません。社会が人を排除する――それは健全な社会の姿ではありません。
安心安全だけではなく健全性も社会には必要です。利己ばかりではなく、利他の心を持つことが、健全な社会の第一歩あると考えており、暴力団離脱者が社会復帰するには地域の協力も必要です。健全な土壌の上に、排除のない安心安全な社会が作られると考えるので、私の小さな活動が、安心安全、そして健全な社会になる一助になればと願っています。
Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?
廣末 今、メインで活動しているのは大学の講義と、法務省の更生保護就労支援の活動です。保護観察所と連携して、刑務所から出所したけれど仕事がない人、仕事に就けない人に、就職してもらうお手伝いをしています。来年、「第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)」が50年ぶりに日本で開催されます。東京オリンピックもあるので、世界の国々に、安心安全な日本を示したいですし、安心安全を皆さんと作っていきたいと思います。ですから、現代ビジネス(講談社)や日本ビジネスプレスで連載記事の執筆もしています。
私の活動の中で大事にしていることは、常に客観的な視座を持つことです。ヤクザや刑余者、警察署、法務省の方など様々な立場の人とお話しすることが多いので、自分は中立な立場をとっているだろうか?と、常に意識しながら行動しています。
Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
廣末 以前、永田町の秘書をしておりましたが体調不良により退職し、福岡に帰ってきました。数か月間の静養後、リハビリも兼ねてテキ屋で働き、元ヤクザの方達と話をしていたら「元暴5年条項」という社会的排除の存在を知りました。彼らに話を聞いてみると、暴力団離脱者だけでなく、奥さんやお子さんも、社会から理不尽な扱いを受けていることを知るに至りました。永田町の時は政策担当秘書として働いていたこともあり、条例に違和感があったので、この不平等さ、理不尽さをなんとかせないかんと思ったのがきっかけです。
Q.理不尽な扱いを受けていると知って、行動を起こせた背景には何があったのですか?
廣末 私自身、あまり学校にはいかず、学生の頃は不良少年でした。中卒後、飲食店で働き始めて当時の大人たちと交流すると「中卒」という学歴だけで下に見られ、理不尽な扱いを受け、辛く悲しい思いをたくさんしてきました。たとえば、オーナーや店長の言うことが一貫性に欠け、権力を盾に、恣意的に使われたことに、とても理不尽さを感じました。
その理不尽さに嫌気がさし、17歳のときにカナダにホームステイをして、他にもNY、ロンドン、パリ、ローマなど異国の地を渡り歩きました。そうやって世界をみると、日本の福岡という地方都市が客観的に見えてきて、まだまだ未熟さを感じましたね。
帰国後、アパレルの店で働いて、デザイナーになりましたが、そこでも「中卒」というレッテルで判断されたのが悔しかったですね。このままでは後悔すると思い、23歳の時に通信制の高校へ通い、大学院修了に至りました。社会の理不尽さを感じ、そのあとに海外に行って、世界の広さを知り、この社会を良くしていきたいという思いが生まれたのかと思います。
記者 お話を聴きながら、恣意的な裁量による理不尽さを無くし、一人ひとりの人間の尊厳がもっと守られていたら、日本という国はより輝くかと感じました。貴重なお話、ありがとうございます!
*******************************************************************
廣末さんの活動、連絡については、こちらから↓↓
●廣末登さんプロフィール
https://www.shinchosha.co.jp/writer/5348/
【編集後記】
今回、インタビューを担当した岩渕、島崎、清水です。
ここには書ききれないぐらいのエピソードがあり、知らない世界を聞けてとても面白かったです。
地域の繋がりがあることで、街が変わり、国が変わります。2020年東京オリンピックに向けて尊厳溢れる日本にしていきたいとより感じました。
これからの活動も応援しています!*******************************************************************