障碍者福祉の新時代を切り拓いた革命家 特定非営利活動法人「ケア・センターやわらぎ」代表理事 石川治江さん

 一人の障碍者との出会いにより、キャリアウーマンから一転して福祉の現場に飛び込み、ソフト・ハード・ヒューマンそれぞれに革新を積み重ね、現在の介護保険制度をはじめ、介護・福祉界に大きな影響力を与え続けている石川治江さんにお話をお伺いしました。

石川 治江さんプロフィール
出身地:東京
活動地域:東京
経歴:ウールマークの事務局で秘書を務めた後、喫茶店、居酒屋、手紡ぎ工房などを経営する傍ら、障碍者との出会いから介護・福祉分野に問題意識を持ち、1978年に生活支援ボランティア組織を発足させる。その後、1987年に非営利の民間福祉団体として「ケア・センターやわらぎ」を設立。日本初の24時間365日の在宅福祉サービスを実施する。2009年、第1回Social Entrepreneur of the Year (SEOY) 審査委員特別賞受賞。
現在の職業及び活動:特定非営利活動法人となった同会代表理事、社会福祉法人にんじんの会理事長、元立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授、社会デザイン学会副会長、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク理事。「困っている人を助ける福祉」から「当たり前に暮らすためのしくみづくり」を構築するための活動を続けている。
主な著書:
『介護はプロに、家族は愛を。』(ユーリーグ株式会社発行)
『水辺の元気づくり』(理工図書株式会社)
『川で実践する』(学芸出版)などがある。
座右の銘:
「一人の夢は、ただの夢。一人の夢をみんなの夢にしたら実現できる」
「いい仲間といい仕事」
「介護はプロに、家族は愛を!」

出会いから知る未知の世界

Qどんな背景から、今の活動をするようになったのですか?

石川 治江(以下、敬称略):私は、28才までは外資系の仕事場でバリバリ仕事をしていました。ところがひょんなことから結婚して、妊娠しました。当時は子育てと仕事が両立できる環境がなかったから、泣く泣く仕事を辞めて家庭に入りました。ある時、学生運動で頑張ってる友人が私を誘いに来ました。彼女の友人が障碍を持っていて授産施設に入所しているけれども、駅にエレベーターを設置したいから署名が必要だということでした。けれども私には、駅にエレベーターにつけたいという障碍を持った人のイメージが出来なかった。それで、「一緒に授産施設に行こう」ということになりました。それが私の運命を決めることになったのです。私は、授産施設の現実を全く知らなかったのです。それが47年前のことです。そこで高橋修さんという運命の人と出会うことになるのです。ちょうど私が二人目の子を妊娠中の時、「日本で初めて羊水検査で障碍の有無がわかる」というニュースが流れていました。彼から「石川さん、羊水検査するの?」と聞かれて、「あっ?!」と思いましたね。「どうしようかな?」と伝えました。彼はとても優秀で、重度障碍者で、立つことも歩くことも出来ない状態だったのです。彼は、「僕は生まれて来ちゃいけない子だったんだよね。」と。そう彼が言った時の顔が、今でも焼き付いています。それが原点なんです。彼は、「僕のお母さんが早死にしたのは僕のせいだ。」と言っていました。彼は、たった一枚の写真をいつも持ち歩いていました。それは6、7才くらいの時のもので、晒(さらし)でお母さんの背に彼がぐるぐる括(くく)り付けられているような写真でした。治療できる医者を探すために、その姿で全国を廻ったそうです。

原点にある感情ー怒りと申し訳なさー

石川:日本の教育制度では、「就学免除児童」というのがあります。教育委員会から、「あなたの子どもは障碍の程度が重いので学校に来なくていい」というハガキが来ます。今でもその制度はあります。私は彼と出会ったことで、今まで知らなかったもう半分の世界を知ることになりました。
私は、それを知ったことで、一言で表すなら“怒り”を感じました。産む性としての怒りです。それは男とか女とかいうことではないのです。私が彼に、「どうしようか、わからない。」と言ったことに“申し訳なさ”がありました。「そんなの関係ないよ。産むわよ。」と言えなかった申し訳なさがあります。
それから47年間走ってきて、今に至ります。

人間はやる氣=感情が必要

記者:活動の原点となっている怒りというのはどういうことなんですか?
石川:人類が生まれてから文明は発展して近代となって、戦争などもやっているけれど、そんな中でも、どう生きたらいいのか?ということを誰もわからないわけです。私の怒りは、科学がすごく進歩し、人間が月にも行けるような時代にはなっているけど、根本にある人類の悲しさ苦しさはほとんど解決されていないということです。つまり、無力であることを知らされています。これだけの知力財力が日本にも世界にもあるし、ロボットもAIも生み出したにも関わらず、人類が困難な状況に置かれるなんていうことがおかしいと思います。
“怒り”を説明する言葉が見つからないです。説明が簡単ではなく、Wordが見つからないです。「生まれてきたところから格差がある」、「こんなはずではなかった」、「これが私なのか?」こんな感じの怒りです。いや、それよりももっと原始的なものでしょうか。「単に怒ってる」、「悔しい」、「何にも出来ないのが悔しい」という感情ですね。
人間って感情なんです。情熱なんです。それしかないと思います。感情とはやる氣です。どんな立派な企画書があったとしても、やる気がなければただの紙になってしまいます。Passion、情熱、やる氣がなければだめなんです。私は、お金が無くても、どんどんやっちゃいます。プロジェクトは全てが借金なんです。「私のいのちが担保だ」と言って土地を買います。世間ってそんなに甘くないけど、皆さんの協力があるからありがたいことです。

「いま、ここ」を楽しむ

Qどのような夢・ビジョンを描いていますか?

石川:何もないです。行き当たり“ばっちり”(笑)。私は計画性なんて全くない人なんです。 計画した通りに行くわけないし、だけどどうしてもやんなきゃならない時にはやるだけ。行き当たりばったりが、行き当たりばっちりになるかどうかってところを喜んでいて、楽しんでいます。
私は、経営が大好きなんです。目的のために、人・もの・金……全ての資源を活用するアート。これが一番飽きないです。いま、やっていることを全部辞めたとしても、多分また何か違うことやり出すでしょうね。

美しさが評価基準

石川:私たちはばったり出会ったりするし、ばったり倒れたりしますが、何かを評価することは難しいですね。どこに基準を設けるかによって評価が変わります。時間軸にしても5年、10年、50年、100年、1000年の間隔によっても評価が変わります。どこから評価するかで変化してしまうことに対して、それに振り回される必要はないでしょう。そんなことにオタオタしていられません。自分を信じるしかないでしょう。だから、この事業を起こしたことも、全部が自分の好みになっています。いつも脳みそが動いてるから、いろんなアイデアが湧いてきます。私が一番強いセンスを持っていて、私は自分の感性を一番信じてる人なんです。私は、傲慢にも、自分のセンスが一番だという誤解と錯覚の中で生きています。だからこそ、何か支障があっても他人のせいにはしません。自分で始末をつけるという覚悟があります。自分の世界は自分が責任を取らないといけません。
他人のせいにするのは美しくありません。私の基準は、美意識なので、美しくない仕事はしたくありません。

記者:美しさのイメージとはどんなものなんですか?
石川:一番端的にいえば、意思決定の判断基準となっています。私は油絵を描いていましたが、美しさの基準は答えようがないです。表現する言語がないです。自分の中での基準は何か?という問いに対する解は、”仕事とは、美しいありさま”だと思います。佇(たたず)まい、仕事のありさま、挨拶から始まる全てがそうです。How toではなくて、DoとBeの違いです。

ただの夢ではなく、具体の夢を実行する

記者:未来のイメージとはどんなものですか?
石川:そんなのはありません。真逆的に言えば、いつも常にあります。
夢には、二種類あると考えるとよいでしょう。社会はこうあった方がいいとか、こうあるべきとかいう漫然とした夢と、さまざまなデータや情報がある実現可能な夢。ただの夢ならなんぼでも言えるけれど、人様のただの夢につき合ってる暇はないのです。日々何かしらの身の下相談、身の上相談があるのですが、そこには二種類の夢があります。実現可能な夢と全くそうじゃない夢です。”いま”といっているうちに既に過去になりますから、漫然とした夢ではなくて、夢を具体化させましょう。日々日々決意したことをやりましょう。具体の行動をしていきましょう。

「自分が何者なのか?」を問う

石川:行動をする時のキーワードとして、私は何者としてそこに向き合うか?ってことが重要です。そこが本当に辛いところです。何者としてなのか?は、いまだに模索中なんです。「何者になるんだ?石川治江は」…これを問うているうちに、具体的になり、ひょっとしたら足元に答えがあるのかもしれない。答えは案外、足元にあるかもしれません問題はいつも足元にありますから。
ゴーギャンが自殺した時に、その時の絵が、「我々はどこから来たのか、我々は何者か?我々は何処へ行くのか?」という問いの絵でした。このWordに尽きるのではないでしょうか。そこにいつも自問自答する人が増えていけば、未来は悪い社会にはならないと思います。
「我々はどこから来て、何者で、何処へ行くんだ?」
人間とは、そういう問いをずっと考えながら生きる生きものであると思います。

記者:最後に若い方々にメッセージをお願いします。
石川:若い人が生きることで悩んでると言われますが、「当然だよ、うんと悩め」と言いたい。そんなに簡単に解はないです。「よい解を得ようとするなら、よい問いを作れ」と言っています。よい問いがない人は、よい解はないんです。自分で問いを立てることです。答えばかりを先に求めたらダメです。多くの人が、中途半端に悩むのです。とことん悩んでもらいたい。
「ざまあみろ!」とバシバシ指導しますよ(笑)。

記者:今日は、石川治江さんの物語をまるで講談を聞いているような感動体験でした。今に至るパワフルで美しい、チャレンジの生き方の原点、原動力の背景を伺うことができました。忙しい事業経営の中、貴重な時間をいただきましてありがとうございました。
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石川 治江さんに関する情報はこちらです
↓↓↓
【特定非営利活動法人ケア・センターやわらぎ】
https://yawaragi.or.jp/

【社会福祉法人にんじんの会】
https://ninjin.or.jp/

【編集後記】
取材を担当させていただいた大場と細井です。石川さんが、パワフルかつ厳しく伝えることばの裏には、人間に対する優しさが裏打ちされていると感じました。「自分は、何者なのか?」の本質的な問いをいつも抱きながら向き合い、美しさを基準に経営を営む姿には、ソクラテスと侍が融合したような印象を受けました。
ご一緒に日本を目覚めさせていきたいです!

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