感謝を忘れず、常に高みを目指し続ける プロスケートボーダー “清水潤さん”

小さい頃から、誰にも負けたくないほど負けず嫌いだった”清水 潤さん”。スケボーを続ける中で芽生えてきた周囲への感謝の心を、後世へ伝授すべく走り続ける清水さんからお話を伺いました。

清水潤さんプロフィール
出身地:
岡山県津山市
活動地域:全国各地(主に福岡県)
経歴:子供の頃は野球少年だったが、兄の勧めで始めたスケートボードの世界にはまりプロの道へ進む。プロ生活を続ける中、31歳で脊髄を大怪我し、下半身不随の危機を迎えるも、奇跡的復帰を果たし現在に至る。
現在の職業および活動:AJSA 公認インストラクター、プロスケートボーダーとして活動しつつ、後進の育成も務める。
座右の銘:「努力できることが才能である」松井昌雄氏(元・メジャーリーガー 松井秀喜氏の父)

「とにかく滑るのが楽しい!」

Q1.清水さんはどのような活動指針で、どのような活動をされているのでしょうか?

清水潤さん(以下、清水) まずはとにかく滑ることですね!自分自身がスケートボードに乗って滑り続け、映像に残していくことを大事にしています。

高難易度の技に挑戦する、常に上を目指して取り組むスタイルが好きです。スケートボードをしているとアドレナリンが出るし、極度の緊張感の中でやっているので、1つの技が成功するだけでも快感です!

それ以外としては大会のオーガナイズやジャッジ、イベントの企画、運営、それに撮影やスクールなどを通して後輩の育成も行っています。それらはスケートボーダーの環境創りにも繋がります。

育成に関しては十人十色なので、一回言っただけでみんながみんな、同じように吸収できるわけではありません。一緒に活動していく中で、性格が合う合わないはとても大きいですが、その中でも、スケートボードが本当に好きで、僕と同じように上を目指していきたいという気持ちが強い人はついて来れるかな、という感じです。

そんな後輩たちの夢を叶える手伝いとして、次に何をすべきか、少しずつ指南しています。彼らは当然のごとくスケートボードが大好きで、技術は勝手に伸びますから、心の持ち方や考え方、マインドセットを教えるようにしています。自分と同じようなことをやりたいと言ってくる後輩は自分と置き換えて見ていますね。

記者 清水さんと活動して、付いてくる方とそうでない方の違いはどういったところにあるのでしょう?

清水 繰り返しになりますが、性格の合う合わないは非常に大きいですが、その中でも”素直さとどれだけ前向きに行動し続けられるか”がポイントですかね。年上の人達の知恵や経験を吸収して成長していく素直さがなければ、必ず限界がきます。

記者 ご自身が楽しむのはもちろんのこと、後輩へ教えることも同時にされている点が素晴らしいです!

「スケートボードを通してみんなの幸せを」

Q2.清水さんが思い描くこれからの夢と、その夢へ向けた目標と計画を教えてください。

清水 今の夢は2つあります。

1つ目は”プロがプロとして稼ぐことができる環境を創り、それを後世へも伝えていくこと”です。

今の僕がいるのは、紛れもなくこれまで支えてくれた大勢の仲間たちがいたからこそです。自分だけが稼げるようになるのではなく、仲間たちへ利益を還元したり、後を継ぐ後輩たちのためにも環境を残していきたいです。スケートボードで稼げるのは本当にごくわずかの人だけです。ですから、いろいろなイベントや企業から収益を得て、2020年までには仲間たちへもっと還元できるような環境を創りたいたいです。

2つ目は”スケートボードを通して社会貢献する”です。

オリンピック競技になったとはいえ、まだまだスケートボードは反社会的なイメージが強いです。以前、プッシュ(スケボーを漕いで前進する動作)しながら募金をしたら、周りの人から「え?お前が募金するの?」という顔で見られました。それがスケートボードに対して持たれているイメージを象徴しています。そのように見られていることを逆手に取って、スケートボードを通して社会貢献をしたいですね。

具体的には、自分のブランドを立ち上げて、その売上の一部を自然災害のときに寄付できるように活動していきたいですね。実現のため、まずは東京へ行き協力してくれる仲間を集め、2019年中に立ち上げて、お店で流通させるところまでいきたいです。

記者 個人の幸せ成功だけにとどまらず、スケートボード界の未来まで考えた夢なのですね!

「支えてくれた人達への感謝を忘れない」

Q3.清水さんが「スケートボーダーの環境創り」「スケートボードを通した社会貢献」という夢を持ったきっかけは何ですか?

清水 スケートボーダーとしての生き方を支えてくれた人たちへの感謝が芽生えたことですね。

大学入学を機に出身の岡山県津山市から、福岡県飯塚市に引っ越してきました。飯塚で出会ったスケート仲間の一人は、今でこそ親友ですが、出会った当時、僕は真面目、親友はヤンキーと、性格が真逆すぎて大嫌いでした。

僕の方が実力は上のはずなのに、大会に出ると必ず親友が勝っていました。僕は緊張するタイプで本番に弱かったんです。それが悔しくて、切磋琢磨する内にお互いをリスペクトするようになりました。今では「お前のことは嫌いだった。」と目の前で言い合うような仲です。

僕がプロになれたのも、その親友のおかげです。大学休学中の2004年、その年にプロになれなければプロへの道を諦める予定でした。

同じ年に出場した全日本アマチュア選手権で、大会前日の練習中に、僕は頭を打って脳震盪を起こし、記憶喪失になってしまったんです。脳震盪を起こしたのが昼13時、目覚めたら夜中の深夜2時。親友はその間ずっと、僕の看病をしてくれていたんです。

翌朝、身体が普通に動いたので、ドクターストップがかかっていたのですが、こっそり大会にエントリーしました。その時は滑ることができるだけで幸せだったので、普段と違い全く緊張せず、全国で8位入賞を取ることができたんです!

一方、夜中まで看病してくれていた親友の成績はボロボロでした。その大会で8位までに入ると、プロへの昇格権がゲットできる仕組みになっていて、結果として僕はプロになることができました。

その後、親友は惜しいところまでいくのですが、結局プロになれなかったので、恩返しは常に意識しています。彼にスポンサーがつくようにメーカーに紹介したり、何をするにも彼と一緒に活動するようにしてます。こういった、感謝に対する恩返しがスケートボーダーの環境創りにも繋がると思っています。

記者 お二人の親密さが伝わってくるエピソードですね!

「頑固な自分を受け入れた」

Q4.「支えてくれた人達への感謝」に気づくことができた背景には、何があったのですか?

清水 ”頑固で弱い自分に気づいたこと”です。

小さい頃から「誰にも負けたくない!」という性格でしたね。それが津山という田舎から福岡に出てきたとき、あまりにスケートボードの実力差を感じて自尊心が消えたんです。小学校とプロ野球くらい違いましたね。

そこからはリセットして、素直に学ぶようになりました。何よりもスケートボードでのし上がりたかったからこそ、頑固な自分を捨てることができたんです。このことが今の活動、そして夢にも繋がっています。

メンタルトレーニングもしてきました。イメージとしては、自分の中に天使と悪魔がいて戦っている感じです。天使の自分を大きくしようとして、もう一人、天使を応援する自分をつくって、2対1で戦うようにしていますね。

記者 以上でインタビューは終了です。

頑固な自分を受け入れ、周りからも素直に学び、感謝も忘れず、恩を還元されている姿勢・実践行動が本当に素晴らしい方だと思いました。

本日はありがとうございました!

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Junn Shimizu (@junn_shimizu)

【編集後記】インタビューの記者を担当した吉田&草場です。

自分の中にいる天使と悪魔、その両方を客観的にみることができるもう一人の自分を認識できたからこそ、どちらにも縛られない本当のすごすぎる自分と出会われたのでしょう。

今後の更なるご活躍を楽しみにしています。

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