一人ひとりがコンセプトを持ち輝く社会へ 半農半X研究所 塩見直紀さん
25年前に「半農半X」という単語を生み出した塩見さん。新たなるコンセプトを生み出し続けたいと思う塩見さんにお話を伺いました!
プロフィール
出身地:京都府綾部市
活動地域:京都府綾部市
経歴:25年前より、21世紀の生き方、暮らし方として「半農半X」コンセプトを提唱。33歳で帰郷、半農半X研究所を設立。著書『半農半Xという生き方【決定版】』は翻訳され、東アジアにもひろがり、海外講演もおこなう。
現在の職業および活動:半農半X研究所代表、福知山公立大学特任准教授、総務省地域力創造アドバイザー、AtoZ Maker(ひとと地域のエックスの可視化)
座右の銘:啐啄(そったく)同時
「言葉で世界をデザインする」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
塩見直紀さん(以下、塩見) 一言で言えば、言葉で世界をデザインしたいです。言葉とは、つまりコンセプトでもあり、新しいコンセプトを提唱し、世の中に広めていきたいですね。
今は世界はビジョンを失い、方向性を失っていると思います。そのような時だからこそ、地球市民としてこれからのビジョンを提案していきたいと思っています。
例えば、半農半X研究所という屋号で活動して来年で20年が経ちます。今は一人ひとりが自分のXを研究所にできたらいいと思っています。Xにあたるのは福祉、まちづくり、心、健康や、自然でもツキノワグマ、オオサンショウウオとかなんでもいいですが、大事なのは自分の大好きなことを生涯、研究・探求することです。
そんな社会を「1人1研究所社会」と呼んでいて、自分の大好きなことを探求する時代にしていきたいですね。自分の好きなことなら漫画でもロボットでも構いません。好きなことをやっていると人は輝くと思います。
また最近では「天職観光」というコンセプトも考えています。例えばバルセロナでは、人が来すぎてオーバーツーリズム(観光公害)が問題になっています。天職観光とはただ旅に行くのではなく、その人の人生や天職において何かヒントをもらえる旅にしようという概念です。自分を変えたり、未来のヒントを探したくて人は旅をすると思いますので、未来の旅、未来の観光というイメージで天職観光という考えを提案したいですね。そうなると旅人を迎える側も旅人の人生を応援するような街になったら、世界も変わっていくと思います。
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
塩見 今は着実に前に進んでいるという実感があります。今後、取り組みたいこととしては、自分が考えていることを、まとめて活字化することです。今後も私一人だけで活動するわけではないので、文字化するものも増やしておけば、それを見た次の世代が続きを考えてくれます。次の世代へ思想、考え方をバトンタッチしたいです。
私は「収斂」という言葉好きで、収斂とは虫眼鏡で太陽の光を集めるというような集めるイメージです。ですが今の世の中は「散逸」だと思っていて、つまり情報はたくさんありますが、たくさんありすぎて悩み、大事なものを失ってしまっている状態でもあります。そんな時代だからこそ、各自が今までやってきた活動もまとめて何か成果物にしておくような「収斂社会」を目指しています。
Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?
塩見 半農半Xという言葉をつくってからは25年がたちます。昔からご存知の方もいれば、最近知りましたという若い子もいます。最近はXにあたる、「街のX」、「村のX」の発見の応援をしています。X発見の手法として古典的編集手法であるAtoZを使ったキーワードを見つけるワークショプなどしています。
活動する中で大切にしていることは、セルフインスパイア、自分で自分を鼓舞するということです。モチベーションを自分で維持するために、私自身は言葉貯金とも言っているのですが本を読み、いい言葉を書き写し、読み返しています。それと考えていることをアウトプットして文字に残すことの反復することで思考も整理され、モチベーションも維持できるので、アウトプットを繰り返すことを大事にしています。
Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?
塩見 20代の時、2つの言葉に出会います。1つが「新概念創出能力」と、もう1つが「ソーシャルデザイン」という言葉です。1992年にこの言葉に出会いましたが、これが自分のやりたいことだなと思ったのがきっかけでもあります。
この言葉と出会ったとき、ブラジルで地球サミットが開催されていたり、働いていた会社では環境問題に取り組んでいたのがあり、環境問題に興味を持つようになりました。次の新しい生き方、働き方や、今でいうSDGsのような持続可能な社会がどうしたらいいのかと考えていく中で半農半Xという言葉も誕生しました。
後世に何を残すのか、と思った時に負の産物を残すのではなく、より良いものを残していくために世界を変えたいと感じていた時に出会った言葉でもあり、それが後の活動にも影響を与えたと思います。
Q.世界を変えたいと思える背景には何がありましたか?
塩見 私が10歳のとき、母が亡くなりました。そのあとは父と祖母に育ててもらい、不自由なく生活はできたことは本当に感謝しています。母の死を身近にみていたのがあり、母が亡くなった年齢である42歳をずっと意識してきました。「42歳で自分も逝ったとしても後悔のない人生を」という思いを20~30代のとき持っていて、大きな影響を自分に与えていたと思います。その思いがあったのと、入社した会社が環境問題に取り組んでいたので、後世には何を残すのか、より良いものを残す為には、これからはどう生きるのか、どう働くのかという考えになりました。
私はコンセプトというものを大事にしています。新しいコンセプトが生まれるということは、新たなる世界を伝えることでもあります。これからも誰もが新しいコンセプトや世界観を考え、伝えられるような人材を増やしてくことで、一人ひとりが輝く社会になるように微力ですが、活動していきたいと思います。
記者 方向性を失っている時代だからこそ、一人ひとりが輝ける時代にしていきたい思いに、感銘を受けました!貴重なお話、ありがとうございます!
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塩見さんの活動、連絡については、こちらから↓↓
●AtoZ MAKERS
【編集後記】
今回、インタビューを担当させていただいた清水です。
新たなる言葉を生み出し、25年間伝えづける行動力と、また今でも新たなるコンセプトを生み出そうとしている想いに感動しました。
これからの活動も応援しています!*******************************************************************