笑顔を大切に、人の心を動かす作品を創る アーティスト ”銀ソーダさん”
お母さんとのコミュニケーションツールだった絵。笑顔を大事に、人の心を動かす絵を描かれている、銀ソーダさんにお話を伺いました。
銀ソーダさんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県
経歴:1995年 福岡県福岡市生まれ
2018年 九州産業大学 芸術学部 デザイン学科卒業
2018年 個展(福岡・東京)
2019年 個展(福岡・東京)
ART FORMOSA 2019 (台湾)
ART FAIR ASIA FUKUOKA 2019 (福岡)
その他グループ展等多数出展
現在の職業及び活動:創作活動、個展
座右の銘:「為さねば成らぬ何事も」
生きててよかったと思える生き方
記者:銀ソーダさんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?
銀ソーダ:自分が生きててよかったなと思える生き方をすることです。その中に芸術も入っていて、芸術と向き合っている時がとても楽しいです。頭の中にある考えを形に置き換えることはエネルギーも使います。どうしたら自分が思い描いているものを形にできるのか苦しむことがありますが、そんな時に生きているなと感じます。
記者:その上で、周りの人達とはどんな関係性を創りたいですか?
銀ソーダ:自分の作品を通してだったり、自分が心動いたもので他の人も心が動いたら嬉しいです。
記者:どういう時に人の心が動いたと思いますか?
銀ソーダ:その人の中にあるものが呼び起こされた時です。抽象画は具体的な形が見えません。見る距離によって何に見えるかが変わり、人や動物、お釈迦様が見えたりと、その人の中にある記憶がフラッシュバックして勝手に像を作り出すから面白いです。形が無いところから、見る人によって何かに見える形を作り出すので、心が動かされないと形も見えてきません。人の心が動くことで、自分でも知らなかった自分の作品に出会うことができます。
自分のことを知る3年間
記者:「自分が生きててよかったなと思える生き方をする。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
銀ソーダ:今、”3年日記”をつけています。1ページが2018、2019、2020年に3分割されていて、過去の自分を振り返ることができて面白いです。1年前と同じことを繰り返しても同じようにしかなりません。成長していきたいですし、この3年で自分がどう変わるのかを楽しみたいです。
最近は海外での展示が増えてきました。日本だけでなく、もっと外へ外へ求めたいです。知らないことがたくさんあるので、3年間は海外に足を運んで見て感じたものを作品に表したり、自分の知らない自分の感覚を知るために使いたいです。
記者:自分を知ることにはどんな価値があるのでしょうか?
銀ソーダ:自分を知らないと何をすればよいのかわかりませんし、意思表示もできません。考えを持って言葉にも物に対しても表現できるのが人間だからこそ自分を知ることは大事です。
記者:海外はどちらに展示しているのですか?
銀ソーダ:フランスのパリと台湾です。東京のギャラリーで展示していた時に、フランスでの展示について声が掛かりました。台湾も別の東京のギャラリーがきっかけです。「こうしたい」と思うだけでなく、東京まで足を運ぶという行動を起こしたことで、海外展示が実現して良かったです。最終的には人と人が繋がって発展していく仕事だからこそ、人との繋がりを大事にしようと、できるだけ現地に足を運ぶようにしています。
毎日アウトプット
記者:銀ソーダさんは現在どのような活動指針を持って活動していますか?
銀ソーダ:毎日、何かしら絵を描いたり、画材に触れたり、日記や考えていることを書くことを大事にしています。
記者:行動に起こすことはずっと大事にしているのですか?
銀ソーダ:頭の中でずっと考えていても、考えはまとまりませんし、考えているだけで終わってしまいます。アイディアをたくさん持っていても、頭の中は共有できませんし、形に表すことで人と共有することができます。
母からの「笑っている姿が一番いいよね。」
記者:そもそも「自分が生きててよかったなと思える生き方をする。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?
銀ソーダ:小さい頃から絵を描くことが大好きでしたが、高校は芸術系ではなく普通科に入り、勉強は好きじゃなかったので身も入らず退屈でした。
高校3年の時、人間関係で悩んだことで自律神経が乱れ、何もしたくない状況になりました。死にたいわけでもいじめられているわけでもないけれど、この状態は家族にも迷惑かけるし、自分はいない方がよいのかなと考えたりもしました。
大学2年まで引きずっていましたが、絵を描くことを通して自分が生活している姿を見た時に「笑っている姿が一番いいよね。」と母が何度か言ってくれたのです。言われ始めてだんだん自分でも「そうか。」と思えるようになりました。母は私に対して恩返しを求めているのではなく、楽しく生きていてほしいんだな、と思うようになったのです。せっかくもらった命だからこそ、自分が生きてて良かったなと思う人生が良いなと思うようになりました。
記者:お母さんが恩返しを求めていると思ったのはなぜですか?
銀ソーダ:母子家庭で、仕事を3つ掛け持ちして働いている母の姿を見ていました。そのこともあり、お金は大事なんだということが染み付き、自分に掛かったお金は母に返してあげたいと思うようになっていました。「お金は求めていない。」と母には言われていましたが、「自分がいなかったらここまで働かなくても良いのに。。」とネガティブに考えてしまっていました。母が大変な思いをしていることに対して、勝手に責任を感じていたのです。自分で自分の人生を楽しんでいませんでした。
記者:絵を描くようになったきっかけは何だったのでしょうか?
銀ソーダ:母は少ない時間の中、食べ物の絵などを描いてくれて、私はそれを真似して描いていました。絵がコミュニケーションの1つになっていたのです。
母が経営しているお店で、氷とお酒のグラスを見ていたことが今の作品に影響していると思います。子供の頃は初めて見るものが多いから衝撃も多く、初めての記憶を、表現することで残すことができます。日々の記憶は自分だけのものですし、自分にしか描けないものでもありますから、作品に生き様が出ます。
記者:お母さんから「笑っている姿が一番良いね。」と言われたときは、どんな気持ちだったのですか?
銀ソーダ:笑顔は自分が嬉しいだけでなく人に対してもパワーがある不思議ですごい力があるんだな、と思いました。心から楽しんでいないと笑えませんし、笑顔で送る人生はいいな、という大事なことに気付いたキッカケでした。
親戚や周りからも「いいところに就職して早く家族を楽にしてあげな。」と、プレッシャーも感じていました。今までは母のために授業料が安い高校に行かないと、といった他人の顔色を伺うような人間でした。母から「あなたが笑顔で生きてくれているのが本当の幸せだから。」と言われた時「自分は何をしているのだろう?」と思いました。やりたいことをしっかりやって、人からどう言われようが笑顔だったらいいじゃないか、と思ったのです。それからは吹っ切れて作家活動をするようになりました。
夢を持ち続けたい
記者:お母さんから「笑っている姿が一番いいよね。」と言われ、楽しく生きようと思った、その背景には何があったのですか?
銀ソーダ:夢を持ち続けたい自分がいたことです。
子供の頃はこの職業に就きたいなど、何かになりたい思いはありますが、大人になってもその思いを持ち続けている人はそうはいません。夢を持ち続けて夢に向かって生きていくことで笑顔に繋がります。
笑顔になるためにはどんな生き方をしたらいいのか?と考えました。それが、生き生きしていることであり、夢物語ではなく夢を実現していることです。
絵を描く環境が無くなることは私にとって恐怖ですし、楽しく生きる上で夢が大事な存在です。何もせずに夢を否定する人も多いです。私はそういう人に対して「やりもしないでそう言えるんですか?」「一握りにも入ろうとしないんですか?」と思える謎の自信があります。絵に関して、自分がやりたいという強い意志があるからこそ、思い続けて実現していけば、なろうとすればなれると思っています。
記者:夢を持ち続けたい銀ソーダさんがいるからこそ、お母さんから「笑っている姿が一番いいよね。」と言われたことで、笑顔でいることの大事さに気づかれたのですね。それが「生きててよかったと思える生き方をする。」という今の夢に繋がっていることが伺えるお話でした。
銀ソーダさん、今日は本当にありがとうございました。
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した吉田&小水です。
銀ソーダさんの印象を一言で言うと「”力強さ”と”柔らかさ”」でした。雰囲気は優しそうな一方、1つ1つの言葉を発する時の様子、目にはとてつもない力強さを感じました。一人一人のことをとても思いやることができる方であり、大きな夢を持てない今の20代の生き方モデルとなれる人だと思います。(吉田)
自分とは何か、自分はどう生きたいのか、に真摯に向き合っている銀ソーダさん。形がなく、何モノでもないようで、何にでもなれる可能性を秘めている銀ソーダさんの絵そのもののような人だなと感じました。本当の自分を知ることで、多くの人たちの心を動かしていくのだろうと、世界で活躍する銀ソーダさんの姿が観えるようでした。(小水)
今後の更なるご活躍を期待しています。