人との出会いがターニングポイント 国際医療NPO看護師 野田実里さん
2019年7月現在、ミャンマーにて国際医療NPOの看護師として研修中の野田さんにお話を伺いました。
■野田実里さんプロフィール
出身地: 愛知県知多市出身 27歳
活動地域:ミャンマー
経歴: 名古屋市立大学看護学部卒
東京都中央区聖路加国際病院の救命救急センターにて3年勤務。
救急車がひっきりなしにやってくる超急性期の病院で、自分が誰のために何のために看護師になったのかが分からず、モヤモヤが募る日々…
偶然の出会いにより、国際医療NPO団体の研修プログラムへ参加を決意。
看護師5年目。現在はミャンマーで看護師として奮闘中!
周りの人たちが幸せに暮らせるように
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
野田さん(以下、野田 敬称略)5年後10年後っていう目標を持つのが苦手なんですが、一緒に働いているミャンマー人スタッフや日本人の研修生、今私と関わっている人を幸せにしたいというのがあります。
私のいる国際医療NPO団体の別の施設として養護施設があるんですね。その施設の子どもたちは、中国やタイ国境近くの子たちなんですけど、元々はエイズ孤児なんです。今はエイズ孤児もだんだん減ってきて、親はいるけど兄弟が多すぎて養ってもらえなかった子どもたちがその施設に来ています。
そして、高校卒業のような10年生の試験にパスした子が看護助手の学校にも入れたりするんですけど、まずは働かなきゃ生きていけないので、自分が育てて貰った恩があるからここで働くとか、将来の夢は高校の先生などいろんな子がいます。ただ、ここで働くことだけがベストだとは思っていないので、その子達が幸せな人生を歩めるような支援ができたらいいなって思ってますね。
記者 幸せってどういうイメージなんですか?
野田 家族といることが幸せって思うんですよね。 この村もちょっと田舎のマンダレーという第二の都市から1時間離れたとこなんですが、 どの家もみんな賑やかなんです。 一人でポツンと食べてる様子を見たことないですし、家の中じゃなくて庭みたいなところで、近くに座って喋ってるんですよ。それはおしゃべり好きな国民性もあるのかもしれませんが、近所の子どもたちも垣根を越えて遊びまわって、走り回って3世代も4世代も一緒に住んでいて、こういうところで暮らす幸せっていうのは本当に豊かなんだろうなって思いますね。
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
野田 研修生のプログラムを終えると、アドバンスドナース という枠があるんですね。 アドバンスドナースの役割としては、研修生の時の悩みや大変だったことを経験してるので、次に来る人達の支援、さらに半年間海外でインプットしたものをアウトプットする。
アドバンスドナースに関わることで、前よりもプレイヤーとしてだけではなくマネージメントとして病院やこの研修、全体を見て足りないところに手を出して、つまづいたり立ち止まってる人がいたら フォローしていきたいと思っています。具体的にはそれぞれ研修生もスタッフもNPOに関わることでどうなりたいのかを理解して、そこに到達できるように自分だけではなくて、病院の事業責任者だったりここに長期でいらっしゃる医師や看護師もいるので、共同してここに関わる人の夢が叶うような場にしたいです。
何のために生まれてきたのか
記者 NPOのどのような理念に共感されたんですか?
野田 「医療の届かないところに医療を届ける」というのが理念なんですが、自分が最初からそんなふうに共感したかというとそうではなくて、研修に参加すると決めた後に、課題で代表が書いた本を読む機会があったんです。すごく哲学的なんですけれど、「自分がまず新鮮な空気を吸うためにはどうしたらいいと思いますか」という質問の回答として、「それは今、肺の中に入ってる空気をすべて吐き出すこと。全て全部吐き出したら何もしなくていい、自然と入ってくる」と お金、時間、経験 、知識や自分の考え、価値観全てを出し切る。吉岡先生(最高顧問)はここでの活動を始めようとした時も自分の全財産がなくなる覚悟で全部費やして、自分の奥さんの 貯金でやって行こうと思っていたくらいでした。全部投資、全部そこに注ぐと、自然と何かが入ってくるんだという感じなんですけど、その何かを知りたいと思って理念というより研修に対する先生の考え方に共感しました。
記者 お金も時間も投資して研修を受けて何かを得ようということですね。
野田 つい3日前、以前研修を担当されていた方と電話でお話しした時に研修の状況を話したところ「 何のために研修してるんですか?やりたいことは何ですか」「 自分のお金も時間も投資しているのにすごくもったいない時間を過ごしてますね」って言われて。
なかなか人って変わらないものだなって思いました。周りの人に対してこうしたいっていうのは出てくるんですが、じゃあ自分が何がやりたいのかというとわからないんですよね。器用貧乏でなんでもできちゃうんで、自分が努力するまでもなく、周りから求められることもあったし、両親にも反対されないだろうというレベルのことをやってきました。このまま行っても順風満帆に送れると思うんです。それなりに国際医療に行ってきてその経験を伝えて、響く人もいたり、頑張ってるね、すごいねって言ってくれる人もいる。外側の皮ばかりが厚くなって表現すること、しゃべることはだんだん磨かれていくんですが深まっていかなくて。自分の本当にやりたいことって何だろう、何のために研修来たんだっけ、そもそも自分は何のために生まれてきたんだろうと考えています。
記者 なるほど。本質的な疑問ですね。
Q.その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
野田 ここにいる人たちを幸せにしたいと思ったのはここ半年で、ふつふつとここにいる人たちへの愛着というか、一緒に関わることで自分が笑顔をもらったり安らぎをもらったり癒しをもらったり、もっともっとできるようになりたいという想いもあります。これといったきっかけはないんです。
ひとつひとつの出会いを大切に
記者 もし看護師にならなかったとしたら人生でどんなことをしたと思いますか?
野田 四柱推命で自分は看護師を選んだ運命を感じたんですけれど、看護大学1年の時にミャンマーに国際交流で来ることになって、自分の持ってる文化なんて何もないって思ってた時に、指導にあたってくださったお琴の先生がとても素敵な方でした。今70代の日本人として女性としてすごく素敵な人で、帰国してからは弟子入りして、日本料理屋さんでバイトして着物が着れるようになったり、お茶の稽古に行ってみたりして、日本文化に興味を持ちました。自分の子供に残していきたいと思うものを自分が身につけたいなという想いがあったので、いずれどこかで繋がるかもしれないと思って今別々にやってるんです。父にはお琴を始める時に、本業忘れるなよと念押しされたのでプロなることは考えられませんでした。
記者 お琴の先生は日本人として女性として素敵ということでしたが、どのようなところで感じられましたか ?
野田 会話の一つ一つの言葉なんですけど例えば 、人生で自分の持ってる箸をどれだけ長くできるか。今持ってる箸は自分が食べるための箸じゃないですか。それをどんどん長くすれば自分は食べられないけど 、たくさんの人にご飯をあげることができる。だからどれだけ長いお箸を持てるかをあなたは頑張りなさい。他にもあなたにお琴を教えてるんじゃないの、あなたの次の世代に教えてるんだから。そういう意識でお稽古しなさいと。
文化のこと歴史のことに詳しく、頭の回転も速くて温かい先生なんです。海外に来る前、空港から先生に「今から行ってきます」って電話したら涙声で「頑張ってくるのよ」と言ってくださり、愛がすごく深いというか、全部自分ごととして捉えてそこに対する感情が動くというか、芸術家なんだなと思って、一緒にいて居心地がよく、背筋も伸びるんですけど 尊敬する指針となる人です。
記者 ミャンマー人の家族の話、周りの人々との関係性、お琴の先生の話から、人との出会いを大事にするからこそつながりが生まれるのかなと思いました 。
野田 人との出会いというのは人生のターニングポイントになっているという感じがします。
記者 一つ一つの出会いを丁寧に紡ぐことで多くのつながりが生まれることが、野田さんの人生に大きく影響を与えているのだと感じました。
本日は海を越えて素敵なお話ありがとうございました。
野田さんの情報はこちら
【ミレニアルダイアリー】ミャンマーに来る前の島暮らし…島で出逢った大切なものは…?#これがわたしの日常millennial-diary.com
【編集後記】
今回、インタビューの記者を担当した樋口、坂村です。ご紹介で初ZOOMインタビューに挑戦。ネットの壁、時差の壁を超えて第一声を聞いたときは感激しました。言葉も文化も違う場所で日本人としての誇りを活かし、医療を通して繊細に人との関係を作ってらっしゃる野田(nodami)さん。哲学的な問いにも溢れていてこれからのご活躍がとっても楽しみです!
この記事は、リライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”に