みんながソーシャルワーカーみたいになればいい。一般社団法人キャリカ代表理事 松岡広樹さん

誰もが共生できる社会をつくりたい!みんながそこに取り組むようになったら、自分の「ソーシャルワーカー」という仕事がなくなってもいい。アツい思いを胸に秘めて人と人をつなげていく松岡さんにお話をお聴きしました。

プロフィール
出身地:埼玉県川口市
活動地域:埼玉県
活動: 大学を卒業後、介護老人保健施設介護士として勤務。その後25歳で精神障害者地域生活支援センターでソーシャルワーカーとして従事。41歳で起業し一般社団法人キャリカを立ち上げる。現在同法人代表とともに立正大学特任准教授として活動。

Q.夢やビジョンこれからこんな風になったらいいなと思ってることはありますか?

松岡広樹さん(以下、敬称略):今は福祉の仕事をしているのですが、福祉の究極の目的は、その地域で誰もが共に暮らせる町をつくるということなんですね。障害があろうとなかろうと、お年寄りになっても自分らしく生きていけるような社会をつくっていくというのが僕の最終的な目標ではあります。それに向かって、つながるということが大事だと思っていまして、私達、ソーシャルワーカーはつなげる仕事をしているんですが、それがソーシャルワーカーだけが特別にやるのではなくて、みんながソーシャルワーカーみたいになればいいな、と思います。自分の仕事がなくなってしまうかもしれないですけど、みんながやっていけば結果的に共生社会というのがつくれるかな、それが最終的な夢ですね。

記者:ソーシャルワーカーは一言でいうと、人と人をつなげるお仕事ですか?

松岡:そうですね、困っている人がいたとしたらつなぐ、制度にもつなげるし仕事にもつなげるし医療にもつなげるし住まいにもつなげる、とか何でもつなぎます。

記者:素敵ですね。

Q.その夢を具現化するために目標や計画などは立てていますか?

松岡:2月に「感動情熱共生プレゼンフォーラム」というイベントを開催しました。草加市の近隣に共に生きるということをつくり出したいという、熱い想いの人が結構いっぱいいるんですよね。そういう人たちが自分たちの夢や、今後やっていきたいことを発信していくような機会をつくりたかったのです。つくっていく中で、聞いているゲストの人たちが、「これやりたいよね」「一緒にやりたい」とか「こういうことだったら協力できるよ」とお互いに認め合って仲間が広がっていくような流れにしたいと思っていました。実際、いろいろなところで地域共生社会を目指しましょう、と熱く取り組んでいる方はたくさんいるんです。ただ個々でやってなかなか広がらないまま出来ては消えて、というような動きを感じていて、それではいけないと思いました。本当の意味の共生社会をつくっていくために、みんなのアイデアをシェアしてそのシェアの中からまた新しいものをつくり出していくことができれば、本当の共生社会がつくれるのかなと思います。将来はソーシャルワーカーがなくなった方がいいと言いましたが、みんながソーシャルワーカーのようになっていく、一つの機会になるのではないかと思い、イベントをやることにしました。「ごちゃまぜの会」といって、福祉や医療関係者だけではなくて、一般の人たちもどんどん巻き込んで、それぞれの共生社会のアイデアを5分以内でリレー形式でバンバン語ってもらいました。

私は仕事で、精神障害者の方々の支援をしていますが、こういう方が活躍するためには周りの人の協力と理解があった上でできることです。かつ、周りの人も精神障害者の方が来てくれてよかった、来てくれたことでこんなことができたという風に「お互い様」の形になっていくことが僕にとっては理想です。それは協力者の方々にも話を聞かないと分からない部分が多々あります。僕たちがこういう風にしたらプラスになるんじゃないかと思っていることが勘違いだったりすることもあるので、皆さんの思っていることを教えていただいて、そうやって知り合う中で初めてつながっていく形になるのかなと思っています。

記者:こういう取り組みをあちこちでしたいですね。

Q.普段からどのようなことを大事にしていますか?

松岡:現実的になると怖くなっちゃうんですよね。行動することを考え始めると「失敗したらどうしよう」と怖くなるじゃないですか。「周りからどう思われるか」とか人間なので当たり前にあるんですけれど、そこじゃなくて「自分はこうやりたい」「こういうことをしていくことが楽しそうだ」と常にその映像を頭の中に浮かべています。方法にいってしまうと今までの経験上、どう上手くやるかを考えてしまい、目的を失って振り回されたり、周りを排除しちゃったり、そんな数々の失敗を繰り返してきたので、出来る限り「自分がこうなっていたらいいな」という映像を忘れないようにしています。やりたい気持ちのワクワク感を保てないでうまくいかなくなると、無理やり周りに依頼しちゃうとか、共生ではなくて違う「強制」になってしまう(笑)。

記者:分かります、日本人てネバべきになりやすいですしね。

Q.そもそも共生できる社会を作りたいと思ったきっかけは何だったんでしょうか?そこにはどんな発見や出会いがあったのでしょうか?

松岡:一番最初は介護の仕事をしていました。きっかけは正直、当時はあまりそんなに深く考えていなかったのですが、人の役に立ちたいなぐらいの気持ちがあって、それで大学を福祉の方に進みました。実際、人前で話すとか電話を取っていろいろ交渉するとかそういうのは苦手だったので、できれば体を使う仕事がいいということで消去法で介護に入っちゃったんですけれど、それで入った時に人の生き死をみるんですよね。当時は拘束というか、転倒してしまうと怪我しちゃうからとかで車椅子に結ばれて一日を過ごしている人たちがいました。そういう人たちの最期をみていて、「人生って何なんだろう」「何のために生きているのかな」とか考えるようになりました。人として尊厳も失ったように亡くなっていく姿をみるうちに自分も「どう生きたいか」とか「本当に後悔なく生きたい」というのがありました。当時は夜勤があって日勤・早番・遅番みたいなシフトがあるんですけれど、めちゃめちゃ大変なんですよね。体内時計が狂ってしまって、その中で本当に若干精神的な病気になってしまって仕事を辞めることになりました。辞めた時に、偶然、精神障害者の生活支援センターみたいなところのスタッフが「松岡さん来ないか」と言ってくれて入職したんですけれど、その時にいた精神障害者の方々が私とあんまり変わらなかったんですね。疲れていて気力を失っているような人たちと出会っている中で、この人たちも元気になれば自分も元気になるんじゃないかなと思いました。じゃあ元気になっていくためにはと考えた時、私も仕事をしているから今何とか生きていられるけれど、この人たちも仕事をすればもっともっと上手くいくんじゃないかと思って、「仕事就労支援」というのを始めたんです。けれども就労支援をしている中で差別とか偏見があったんですね。なかなかまだ受け入れてもらえるような時代でもなかったし、法律もありませんでした。しかし精神障害者の人たちにとっても働くというのは大事だと思うし、地域にとっても精神障害者が必要とされるような何か枠組みみたいのをつくっていけたらいいなと思いました。そういう中で共に生きる社会って何かなとか、ただ一緒に生きることってできるかなということを考えていました。

最初は「仕事をさせてください」というのではなくて、商工会議所みたいなところに行って何か精神障害者の人達とお手伝いできることはありますかときいてみたんです。そうしたら「商工会議所祭り」というのがあるから一緒に青年部のブースを手伝ってほしいと声をかけてもらって、一緒に縁日をやりました。ブースで子ども達が来て、ダーツをやったり金魚すくいをやったりして、そこに青年部の人達と一緒に関わる機会をつくってもらったんです。こういう形から人と結びつくっていうのはありだなと思った時に、もっともっと違う形でつながる方法があるか、と常々考えて今に至るという感じです。

記者:もっと新たなつながりを作りたいという思いを温めてきて起業されたそうですね?

松岡:そうですね、数年前に独立しました。私が若い時に上司に「ソーシャルワーカーがなくなった世界がいい世界なんだよね」と言われたんです。ソーシャルワーカーになった一年目に言われたんですよね、今から仕事しようと思っているのになくなった方がいいって何だよ(笑)って、その時はあんまり腑に落ちていなかったんですけれど、活動している中で「つなぐ」ということを実践していけばいいのかなって。そういう施設をつくってきたので、じゃあそれをもっと広げていきたい、ある地域の中で限定されているのではなくて、もっともっと違う地域の中でもそういうムーブメントといったら大げさですけれど、形をつくりたいということで独立してしまったと。ついうっかりやっちゃった(笑)。

記者:迷っていた心を決めさせてくれたのは何だったのですか?

松岡:未来科学館というところで量子力学の映画をやっているんですけれど「9次元の男」っていうのをやっていたんです。それをみて「宇宙ってこんなもんでできてるんだ、なんかもっとシンプルに生きていきたいな」と思いました。量子力学って因果関係じゃないんですね、こっちが変わると同時に変わる。因果関係じゃないって、自分が変わればいろいろ世界が変わるのかなそういう勘違いも含めて背中を押されました。

記者:すごい。飛び込める人と飛び込めない人がいると思うのですけれど、松岡さんみたいに飛び込める勇気はいいですね。

松岡:何でできたんですかって言われるとついうっかり、としか言いようがないんですけれどね(笑)。やるかやらないかって結構そこが大きいですよね。みんな同じような事を考えてる人はたくさんいるんですけれど、そこの一歩は全然違いますよね。

Q.起業してみての気づきや発見は何でしたか?

松岡:「ソーシャルワーカーがいない社会がいい」という言葉が、最初に聞いた時は腑に落ちなかったけれど、最近はみんながソーシャルワーカーになっちゃえばいいって思い始めているんです。

記者:腑に落ちた瞬間はどういう時だったんですか?

松岡:草加に来て、特に腑に落ちましたね。草加の商工会議所で経営者の人たちと話していて、みなさん社会貢献とか地域貢献をものすごくされているんですよね。それで人と人をつないで盛り上げていこう、みんながつながって生きられる社会をつくろうって皆さん考えてるのかなーと思った時に福祉とか福祉ではないとか関係ないと思いました。一定の職業の人が考えるべきことじゃなくて、そういう気持ちを持った人みんなでやればいいんだって思ったんですね。そして行動されている人たちがもういて、教えていただいた感じです。

記者:そういう素敵な出会いがあったんですね!
松岡さん、今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。インタビューは以上になります。

【編集後記】
お話を伺いながら「心根のよいあったかい人だなあ」と心がホカホカしました。ぜひ今の共生社会への取り組みを埼玉県の色々なところで、そして埼玉も飛び出して広げていっていただきたいと思います。応援します!

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