言霊をおろしてえがく想伝士、想伝書Art”東條久美子”さん
想いをArtで伝えられている、東條久美子さんにお話を伺いました。
【プロフィール】
想伝書ARTアーティスト・想伝士
Artist Kumiko
出身地:福岡県飯塚市、 思春期以降は奈良
活動地域:国内外問わず
経歴:
15年より現在まで年数回、国内で個展・グループ展を開催
17年4月:World Art Dubai 出展
18年4月:躍動する現代作家展 出展
18年8月:日米文化交流事業Japan Move in NY公式個展開催
19年2月:フランス マルセイユ Japan Art 出展
現在の職業および活動:
書画アーティスト、心理セラピスト、講演家
座右の銘:素直こそ最大の知性
Q:東條さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
東條久美子さん(以下、東條敬称略):縁があって海外での個展を開催させて頂いていますが、海外に出ると決めたのが2016年秋で、そこから2017年4月にドバイ、2018年8月ニューヨーク、2019年2月にフランスと、順調に海外に出展しています。なので、これからも海外出展を続けたいと思っています。
あとひとつは、5600年前くらいに天皇家の秘宝として使われていた”龍体文字”という古代文字・神代文字に偶然出会いました。
そのご縁で、龍体文字でのワインラベル製作のお話や、先日は宝石デザイナーの人と出会いジュエリー製作の話も進んでいます。
きっと意味があって龍体文字と出会っていると思うので正しく世の中に広めてお役に立ちたいと思っています。
“全ての出来事にはストーリーとヒストリーがある” “流れには竿をささない”ということを信条としています。
記者:なぜ“全ての出来事にはストーリーとヒストリーがある” “流れには竿をささない”と思われたのですか?
東條:2018/8ニューヨークでの個展が、19年前ニューヨークでの友人の個展と繋がっていたことがきっかけです。
19年前は、友人がニューヨークで個展を開催するための会場探しを担当していたのですが、知人のカメラ屋の奥さんが、グッゲンハイム4階にギャラリーを持っている人と繋がりがあり、会場を押さえる事ができました。
その時主催した方は特に意図してなかったと思いますが、「今回応援してくれた人は、将来ニューヨークで個展を開くことになるよ!」と話されていて、19年経って実現していることに驚いています。
去年、そのギャラリーに行ってみたけどもうなくなっていて、別のギャラリーを紹介して頂き行ってみたら、なんとそこがグッゲンハイムから移転したギャラリーだったんです!
19年前の友人の個展を担当した方とも偶然お会いでき、更にその方の奥さんが私の後輩の看護師さんであることや、会場手配してくれたカメラ屋の奥さんのこともご存知で、とても不思議な繋がり・ストーリーがありました。
今までのことも振り返ってみると、
書を習い始めたのは、人間関係の悩みを抱え相談してた時に、元夫から「何か習いに行ったら?書でも。」と言われたことがきっかけですし、教室を開講したのも、知り合いの方からの依頼や継続的に開催して欲しいという声が重なり、元夫からの後押しがあったからです。
ニューヨークでの個展も、博多座にエキストラで出た時の打ち上げでお会いした方と偶然再会し、ドバイで個展される方の作品と一緒に展示して頂いたことがきっかけで、その会社の方が私の書をみてくれて「個展をしましょう!」と声をかけて頂きました。
ワインラベルの件も、最初は友人との食事の席で、「こんなワインラベルの作成依頼こないかな〜」と話していたところから、アーティスト ラベルコンテストに応募することになり、そのコンテストでは落選したのですが、直接原画を見に来られた担当者の方が原画に感動されて、余市のワイナリーのラベル作成の依頼の話しを持ってきて下さいました。
他の文字も書いて欲しいという要望に答える中で、他の製品のラベル作成の企画も話しが進んでいきそうです。
このように、すごいことはあっさり起きていいと思っています。始まりはいつも小さくて良く、でもいずれ大きくなるという事を含んでいます。
直感に任せ、流れに竿をささないようにしています。
Q:どのような目標計画を立てていらっしゃいますか?
東條:やりたいことは、”叶えごと手帳”に書いて、今月はこれをするぞ!ということは、今年の手帳の毎月のシートのwishリストとToDoリストに書いて細かく論理的にしていってます。たまに叶え事手帳を見て、叶っている項目の横に叶った日付を書いていっています。
記者:大前提として”叶うものだ”と思われているのですね。
東條:はい!言った事は必ず叶ってしまうので、ビジョンに沿った言葉を言うようにしないと、変な事を言うとそれが叶ってしまうとまずいので言えない!というくらい思っています。
叶え事手帳に記載しているものでまだ叶ってない事は、タイムラグがあるだけなので「いつ叶う?」と考えてニヤニヤしています。
私は、何事もやる前に判断せず”やってみます”の精神で取り組んでいます。
SNSを通じて依頼を受けた友人のクリニックでの作品展の時も、会話の中で「書家の先生だから、着物で来るよね?」と聞かれたことに対して、浴衣もうまくきれない状態なのに、その場で「はい!着物で行きます!」と一先ず返答しました。とにかくできなくてもやってみるスタンスです。
記者:すごい行動力ですね。決めた時の即行動!というスピードがすごいです。
東條:やります!と言ってしまっているからやるしかないです(笑)。
Q:今はどのような活動をされていますか?
東條:自宅での教室はもちろん、直方市でも開講しています。
人数が集まれば開講できます。今後久留米でも開催して欲しいと言う話しもきています。
SNS等で発信して生徒さんを募集したり、アクロスで開催した生徒さんの作品展やイベントをきっかけで興味を持たれる方もいます。
そして、ワインラベルの依頼やジュエリー作成など、様々な企業とのコラボレーションの仕事が増えていっています。
解決したいテーマに対して3枚カードを引いてもらう龍体文字のカードセッションもしています。1枚目は”(依頼者の)迷いごとへの回答メッセージを承る”、2枚目は”どう転じるか”、3枚目は”結がどうなるか”なのですが、何に悩んでいるのかは詳しく聞かずにセッションスタートしますが、受けられた方からは、「なんで分かるの?」と驚かれますし、気づきを持って帰って頂いています。
私は書家なので、出たカードを書き下ろしてご本人にお渡ししています。
私は、”生”への執着はなく、とにかく楽しく生きていきたいと思っています。
私が思う楽しさとは、思った事がどんどん実現して広がっていく事です。
1人1人が可能性の塊ですし、蓋をするのも外すのも自分です。
物事を決める時、いつも私は考えるのではなく直感で3秒で選択します。
ニューヨークでの個展の話は時間とお金のことで迷いましたが、時間は仕事辞めればできるしお金はどうにかなると思い、その時だけは30秒かかりました。
それ以上判断に時間がかかることは、自分にとってやりたくない事だと思います。
ニューヨークに行くためには2週間の休みを取る必要があり腹をくくって職場の上司に辞めると話すと、逆に「行って来い!」と応援してくれました。
記者:直感で決めて、後悔したことはないですか?
東條:ありません。死ぬ訳でも警察がくる訳でもないし、例え自分で決めてニューヨークでの個展が大失敗でも、自分で決めた事は自分で責任取ればいいんです。
「あの時あーやっとけば良かった」とか、「あの時反対されたからできなかった〜」とか、最終的には自分で選んでるくせに、棺桶に入る時に誰かのせいにするような生き方はしたくないと思っています。
Q:言葉の大切さを感じたきっかけは何だったのでしょうか?
東條:35歳の時に読んだ、大島純一さん翻訳の「マーフィー100の成功法則」という本です。
昔から思った通りにならないことばかりだし、実の母からも「あなたは幸せになったら命がなくなるかもしれない運命なのよ」という意味で母は私に言い聞かせていました。
それは私の生い立ちが不幸だったから母なりの愛情だったのかもしれません。ですが子供だった私にはその言葉は呪縛でした。
この本を読んだ時、私も欲しがっていいの?お金持ちになってもいいの?幸せになってもいいの?思ったら私も叶う?って、それまでの自分の当たり前を変えていいんだ!と大転換を起こすきっかけとなりましたし、HowTo本で泣く人なんかいないと思いますが、私は感動して泣いてしまいました。
Q:なぜそこまでの大転換となったのでしょうか?何か背景はありますか?
東條:小さい頃の家庭の事情が影響していると思います。
両親が小さい頃に離婚したので、私は祖母に育てられました。9歳の時、祖母が亡くなってからは父の家に引き取られました。父はすでに再婚、お手伝いさんがいるような裕福な家だったにも関わらず、継母からのネグレクトに遭いました。食事がもらえない・お風呂も入れてもらえない当時の私には小学校の図書室だけが唯一の居場所でした。
運動するとお腹が空くし家に帰ってもご飯はないので、司書の先生から帰るように言われるまでずっと図書室にいました。
本を読んでいる時間は、ネグレクトにあっている惨めな自分を忘れられるので幸せな時間でした。
小公女セーラとか赤毛のアンなどは、空想の中にどっぷり入り込んで読んでいましたから、本を読むときには全く別の自分や色々な主人公になれる時間でした。
4年生の終わりから5年生になる時にはその小学校の図書室の本は全て読んでいました。読んだというか分からないこともあったけど活字を追った感じです。分からない字は漢和辞書を引きながら読みました。
ドストエフスキーの罪と罰とかも読みましたし、江戸川乱歩とかも端から読みました。
読むものがなくなってしまったので、先生から児童図書館もあると教えてもらって、日曜日も夏休みも図書館に行っていました。
言葉が降りてくるようになったのはその頃は、本が友達だったので空想の世界にいつもいました。それまでに活字をたくさん読んでいた事で、言葉と空想がバラバラではなく繋がってイメージ化される様になったのだと思います。
今思えば、ネグレクトがなければ私は本の虫にならなかったので感謝していますし、私の人生では必要だったと思っています。
記者:それから何か変わっていきましたか?
東條:ネグレクトは近所の人が通報し福祉事務所が動いて色々ありましたが、結局小学校6年生の2学期くらいに実の母の所に引き取られることになりました。引き取られた実母の再婚先は経済的に貧しかったし、私を引き取ったことで継父に遠慮している実母の立場も理解できたので、年の離れた弟妹の世話や家事なども言いつけられるままにこなし、高校や看護学校への学費などは奨学金やアルバイトをして自分で賄いました。
2年生の終わりには准看護師の免許が取れるので、3,4年生の時は准看護師として夏休みにはバイトして給料をもらっていましたし、母へ仕送りもしていました。
更にその後も奨学金をもらって進学したので親から学費を出してもらうことはなかったです。
記者:なかなかない人生ですね!
東條:そうですね。昔は語れませんでしたが、今はこんな風に語れるようになりました。9歳まではおばあちゃんからたくさん愛情をもらった記憶があるから、人を愛せるんだと思います。
記者:東條さん、今日は貴重なお話、本当にありがとうございました。
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≪東條久美子さんの詳細情報について≫
■ホームページ ↓↓
http://fudemoji-kyoshitsu.com/
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【編集後記】
今回インタビューを担当した波多江&多田野です。
東條さんの柔らかさの中にある力強さの理由を知り、偶然が重なっているように見えるくらい自然な流れで、確実に現実化していく力強さがとても印象に残りました。
今後の更なるご活躍を応援しています。