株式会社ネオ倶楽部 代表取締役社長 栁川 敏昭さん
「頑張る学生の未来を応援する」をスローガンにネオ倶楽部は創業されました。栁川さんが大学生時代、旅行サークルでリーダーを経験し、活動した時の事と、現在ネオ倶楽部を起業し会社創業以来18年間学生さんと共に成長し、また、やりたい事をやって今を楽しむピーターパンの心を持つ栁川さんにお話を伺いました。
プロフィール
出身地 静岡県
活動地域 福岡県を中心に、大阪府、東京都
経歴 宗像高校卒業後、1983年福岡大学商学部貿易学科に入学、1987年ラド観光入社、2001年ネオ倶楽部設立
現在の活動および職業 株式会社ネオ倶楽部代表取締役社長
座右の銘 実るほど頭を垂れる稲穂かな
日本を代表する学生のたまり場をつくる
Q:どのような夢やビジョンをもっていますか?
栁川 敏昭さん(以下、栁川) 僕たち、ネオ倶楽部は学生さんを応援し続けている会社です。最初は旅行会社として起業し、今では人材紹介事業、アパレル事業、イベント事業を手がけています。旅行会社を立ち上げたのは、僕が学生の頃に旅行サークルをやっていたところから始まります。
その旅行サークルでは自分たちでツアーを企画し、集客・集金・添乗業務まで全てを自分たちでやっていました。現在でいうベンチャー起業ですね。そこまで出来たのは、僕たち、学生の熱い想いを支えてくれた、当時の企業の方たちの応援が大きかったです。卒業後、僕はその時、お世話になった旅行会社に就職しました。入社後、僕は福岡の大学に足を運び、部室まで直接行き学生さんと話をしました。そこでは自然と就活・恋愛などの悩み相談が始まりました。学生にとっては就活は大きな悩みなんだとわかりました。
僕はサラリーマンを13年間経験しました。お金をもらいながら専門学校の実習を体験させてもらった様だなと思っています(笑)。僕自身が大学生時代に多くの大人の方々に応援を頂いたので、ネオ倶楽部を起業した時、自分が学生時代に大人の方たちから頂いた恩を今の学生さんたちに少しでも返したいと思いました。旅行会社として起業しましたが、学生さんがマジで就活に悩んでいる事を知っていたので、人材紹介の事業を立ち上げました。アパレル事業は、元々は別会社でした。Tシャツなどの打ち合わせも一緒に出来る事は学生の活動の応援になると思って、アパレル事業を設立する事になりました。
学生さんと仕事をする事を悩んだ時期もありました。でも2001年9.11アメリカ同時多発テロがあった時、多くの旅行会社が潰れて行く中、学生さんに重きを置いていた僕たちはキャンセルとかもなく、悪い影響があまりなかったんです。学生さんと仕事をしていて良かったなと思った瞬間のひとつでした。いずれは北海道から沖縄まで、全国の学生を繋いで行って、「ネオ倶楽部、あそこは学生が集う場所だね!」と言われたい。日本を代表する、元気な学生の集える場所(たまり場)をつくりたいと思っています。
夢に向かって僕は毎日楽しくやっていきたいと思っています。一見イヤそうな事が起きたとしても、子ども心で何でも楽しんでしまう。そう、僕はピーターパンなんです(笑)。これからも学生と一緒にピーターパンとして楽しく生きていく、それが僕のベストです。
全国の学生の繋がりをつくる
Q:その夢に向けてどんな目標や計画を立てていますか?
栁川 九州でネオ倶楽部といえば学生の間ではある程度、知名度が出来ました。東京と大阪は、九州の7倍の学生市場があります。そこにはまだネオ倶楽部で取り込む事が十分に出来ていません。そこでまず福岡、大阪、名古屋、東京の学生の繋がりをつくっていきます。そこから日本全国へ広げていきます。
また、会社のコーポレートサイトを変えていきます。会社を紹介する名刺としての機能ではなく、弊社で企画する楽しいイベントをたくさん掲載して、商業ベースにしていきます。学生合宿、バブルランなどの色んな楽しい活動を載せて、学生が気になったところにアクセス出来るようにします。現在はスマホの時代なので、TwitterやInstagram、TikTokなどのSNSとコーポレートサイトを連動させます。今は一人ひとりが発信者、マスコミを作れる時代です。ですからSNSの活用は必須だと思っています。
日々の中で新しいチャレンジをする
Q:夢に向けて、どんな基本活動に取り組んでいますか?
栁川 やりたい事を楽しくやるだけです。無理だと思う事も、実は単なる思い込みで意外とやってみたら簡単かもしれません。だから何でもプラスに捉えて、日々の中で新しいことにチャレンジするようにしています。普段違う道を歩いたり、食べないものを食べたり、ささやかな事でいいんです。もちろんそれが正しい事なわけではなく、しなくてもそれはそれで良い。でも時間は無限ではありません。もしかしたら日本で戦争が起きて通常の明日が来ないかもしれない。だから悔いのない様に、今出来る事を楽しくやりたいです。
「他人のせいにするのでなく、実は全て自分のせいではないか?」という気持ちで毎日を送っています
Q:夢をもつようになったのはどのような発見や気づきがあったのですか?
栁川 昔の僕は根クラでした(笑)。やりたいと思っても自分に自信もなかったし、できないと思っていました。その原因を全部他人のせいにしていました。いつも心の中で、「親が悪い!」「友達が悪い!」って。でもそれが全部自分のせいなんだってわかった時、変わりました。自分がどう思うか次第なんだって。そこからはどうしたらやりたいことがやれるかとしか考えなくなりました。ずっと我慢して出せなかった感情も、今では思いっきり出します。僕は感動的な映画(最近は、ボヘミアンラブソディ)を見たら6回は映画館で泣きますよ(笑)。
人間は何でも出来るし、何にでもなれる。ブレーキを掛けているのは、やらない言い訳をしている自分!
Q:「他人のせいにするのでなく、実は全て自分のせいではないか?」だと気づいた背景は何ですか?
栁川 僕の子ども時代は、「隣近所の人と同じことをしなさい」と教育されてきました。やりすぎはダメで横にフラットでないといけない。そんな時代の中で両親は、僕がやりたいことに対していつも理由をつけてダメだと言ってきました。他の家の子どもと比べたり、「成績が良くない」「九大に行け」と言ってくるんです。両親のことは大好きでしたけれど、我慢が蓄積して気持ちが滅入っていきました。極めつけは2歳上の姉が優秀だったことです。小学校も一緒だったので先生にまで姉と比べられるのが本当に辛かったです。それで気づいたら根クラになっていて、大学生の時も友だちは2人しかいませんでした。
それが変わったきっかけは、大学2年生の時に作った旅行サークルでした。与論島にツアーを組んで行きたかったんです。「みんなで行こう!」って言い出したらヘッド(代表かな?)になってしまいました(笑)。何をどうしたらいいかわからなかったけれど、ヘッドを必死で演じました。でも役を演じているとだんだんそのものになっていくんです。みんなで一緒に作ったツアーは本当に楽しかったです。友だち2人よりこっちがいいなって思ったんです。気づけばサークルの規模が80人くらいになっていて、やっぱり僕はその代表でした。僕はできないと自分で勝手に思い込んで殻を作っていただけで、人間は何でもできるし、何にでもなれる可能性をもっていると気づいたんです。だから殻は絶対に破れるんです。それは僕だけの力ではなく一緒にやってくれた仲間や、応援してくれる大人がたくさんいたおかげです。当時の仲間とは今でもよく会って飲みながら語り合います。
ネオ倶楽部は起業してから19年目になります。僕は今、経営者という役をやらせてもらっています。人生の残りの時間をどこまで楽しく、そして人を楽しませることができるのか、この社長という役を演じ続けます。これからも仲間と一緒に、やりたいことを楽しく事業を作っていく、ピーターパンでい続けます。
記者 ありがとうございました。人は何でもなれる可能性をもっているとわかっているからこそ、全ては自分のせいだと受け取って、やりたいことをやって楽しめるのですね。
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【編集後記】
今回インタビューをした小水と曽田です。
人間の無限の可能性を見ているからこそ、全ては自分が原因であることがわかる。あとは人生という物語をどう楽しむかだけ。そんな人間に対する深い尊厳と愛情を持っている栁川さんは、お話をしているだけで心が温かくなりました。
これからも栁川さんの益々のご活躍を応援しています!