人の喜びを我が喜びとしよう 株式会社グラッド 代表取締役 松本 健志 さん

苦い社会人経験やガンの克服、奥さんや恩師の社長、天職との出会い。波乱万丈の人生の中、人を喜ばせることを一貫してやり続け、現在鳥貴族のFC経営を20店舗以上されている株式会社グラッドの松本 健志さんにお話を伺いました。

出身地:大阪
活動地域:大阪、東京
経歴:近畿大学卒 
現在の職業及び活動:株式会社グラッド(鳥貴族カムレードチェーン)代表取締役
座右の銘:「人の喜びを我が喜びとしよう」

「身近な人から世界中の人が幸せを感じられる社会を創る」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

松本 健志さん(以下、松本 敬称略):私は、会社の規模大きくすることには関心がありません。スタッフたちを人として、成長させてあげることが一番大事だと思っています。地位や財産があれば幸せになる訳ではありません。幸せはなるものではなく感じるものだと思っています。小さなことでも幸せと感じることができ、感謝してありがたいと感じる力を得ることが大事だと思います。そうすれば、争いもなくなります。まずは身近な人を変えていき、それがお客さんに伝わり、お客さんの周りに伝わっていったら日本はもちろん、世界も変わり、いい世の中になっていくと思っています。私は家庭でもいかに相手を喜ばせるかを考え、ずっとやり続けているので、結婚生活34年ですが今でもラブラブです(笑) 

今までは求める時代で、それによって成長してきましたが21世紀になり、その成長の仕方では限界を感じます。日本は諸外国に比べて、思いやりや気配りができると感じますし、世界も日本の考え方になってきていると思います。まさに”心の時代”になったんだと思います。私はハワイが大好きで以前、念願のお店を出店した時に、日本と変わらず「人の喜びを我が喜びとしよう」という理念を現地のアメリカ人のスタッフに伝えました。初めは「この店では宗教を勧めるのか?」と言われたりもしましたが、「お客さんを喜ばしてその喜びが返ってきたらすごいハッピーやねんで」と日本と変わらず伝えて続けると、段々と思いが伝わり始めスタッフの意識が変わり、人を喜ばすことに喜びを感じてくれるようになったんです。ハワイでも「ローカルのスタッフをどうやって変えたんや?」と話題になりました。他にも鳥貴族ではお客様満足度の毎月覆面調査があるのですが、1年間のトータル集計の結果、641店舗中グラッドがベスト3を全て獲得できたのです。しかも、1位のお店はインドネシア人などの外国人スタッフが多い店舗でした。一人ひとりが人を喜ばせることを大切にし、自分の成長のためにやった結果だと思います。私はその経験を通じて、思いは世界にも伝わることを確信しました。

記者:人を喜ばせるお話をしている時の松本さんの楽しそうな表情が印象的でした。松本さんの思いが広がれば、本当にいい世の中になると思いました。

Q.「身近な人から世界中の人が幸せを感じられる社会を創る」を叶えるために、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

松本:「人の喜びを我が喜びとしよう」です。私はその理念をしっかり伝えたい思いから、全アルバイト、スタッフの最終面接は全て私が行っています。そこで「うちはこんなこと目指してて、本気でやったらこうなるで。稼ぐためならやめとき。」と熱く面接に来てくれた人たちに話します。その時に「そうなりたい!」と顔つきが変わるのがわかります。売上の為にいい接客をするのではなく、成長の為にいい接客をする。飲食業で人を喜ばせて、それが嬉しいと喜べる自分になれたら、それに勝るものはないと思っています。売上を上げるためにお客さんを喜ばそうと思っているお店は沢山あると思いますが、うちは逆です。まずは自分が成長して、売上はついてくるという考えです。

記者:従業員やお客さんの満足度の高さの裏には、松本さんの熱い思いと、しっかりとした教育があることを知り、教育をされている時の松本さんの発信を聞きたくなりました。

Q.そもそも、「身近な人から世界中の人が幸せを感じられる社会を創る」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

松本:鳥貴族の大倉社長との出会いです。大倉社長とは35年前に私が大学を出て、就職してすぐに大倉社長が店長として働く焼鳥屋さんにお客さんとして行き、出会いました。その後、大倉社長が独立をすることを決めた時に、「日本一の焼鳥チェーンを一緒につくろう!右腕になってくれないか」と家にまで口説きに来て下さったんです。すごく行きたかったのですが、「飲食店で働かせるために大学に行かせた訳ではない!」と母子家庭でずっと育ててくれた母親から反対され、それを断る勇気もなく渋々断りました。その後18年間職を転々としながらも、ずっと大倉社長のお誘いを断ったことを後悔していました。40歳を超えた時に、このままではいけないと思い大倉社長に「一緒に働かせて下さい」と言いに行きました。一度断った私なので、絶対無理だろうなと諦めの気持ちもありましたが、なんと大倉社長からは「待っていたよ。喜んで一緒にやろう」と温かく迎えて下さったんです。その時は本当に嬉しかったです。

大倉社長は本当にすごい人です。鳥貴族のうぬぼれ「焼鳥屋で世の中を明るくしていきたい、という想いを永遠に持ち続けます」の通り、熱い想いを持ち一人でも多くの人を幸せにするために誰よりも実践されています。ビックリされますが、FCのオーナーが大倉社長よりも給与を多く貰うことを喜んでくれたり、カムレードチェーン(同志)という仕組みも、儲け度外視でみんながよくなって欲しいという思いが伝わる仕組みです。そんな大倉社長だからこそ、14人のカムレードチェーンオーナーが集まれば愚痴などはなく、いつも「感謝。感謝。どう恩返しをしよう。」という話しかでません。そんなところで働けることはまさに天職でした。あれだけ続かなかった仕事ですが、朝から晩まで働いても、楽しくて楽しくて仕方なく、お客さんにも喜んで貰って、こんないい仕事はないと思いました。しかしずっと順調だったわけではなく、働きだした半年後にがんを患いました。余命2か月の宣告もされ、まだ子供も小学生で、人生これからと思っていた矢先だったのですごくショックで頭が真っ白になりました。その後、3回の手術の後に奇跡的に一命を取り留めることができました。その時に「再び命を貰ったんやから、残りの人生は思いっきり人を喜ばせたい」と考えるようになりました。

そして、どんな時でも陰で支えてくれたのが家内でした。家内には18年間安定して仕事もできず、病気にもなり、迷惑を掛けっぱなしでした。でも家内はどんな時でも、責めることはせず「次こそは頑張れる。大丈夫、大丈夫。」と支え続けてくれたんです。大倉社長に会いに行った時も、周りからは「サラリーマンで通用しなかったから焼鳥屋の親父になるのか?世の中そんなに甘くないぞ!」と大反対されました。その時も家内だけは、「よかったやん、やっとやれるね。」と応援してくれたんです。そしてやっと事業が乗って来た時にガンになり、本当に迷惑を掛けたと思います。この家内を幸せにしてあげないと男じゃないと思っています。

記者:大倉社長や奥さんへの感謝が端々から感じました。大倉社長の男気、希望からの絶望。この波乱万丈の人生を超えてきたからこそ、今の素敵な松本さんなんだと知れてすごく納得ができました。

Q.「人を喜ばせたい」と思うようになった松本さんの背景には、何があったのですか?

松本:私は8才の時に父を亡くしました。弟もいましたし、小さいながらも「自分がしっかりしないといけない。いい子でいなきゃいけない。」と強い責任感を持ちました。迷惑を掛けない様に、グレルことなどもなく、人の顔色ばかりを見る子供時代でした。

そんな私が変わったきっかけは家内との出会いが大きかったと思います。家内からはいつも「そんなに気を使っても仕方ないやん。十分やさしいし、相手のためになってるよ。」と言って貰いました。そのお陰で、段々と顔色ばかり見ることがなくなっていき、自分を出せるようになり、気を遣う自分から人を喜ばす自分に変わっていきました。その変化があったからこそ、大倉社長に目を掛けて貰えたんだと思います。

記者:今の松本さんからは想像しにくい子供時代。奥さんとの出会いによって、変化されてきたストーリーはとても印象深かったです。常に人のことを思い、裏表なく感謝の気持ちを伝える。松本さんの在り方は本当に素敵だと思い、もっと色々お話を聞きたくなりました。貴重なお時間ありがとうございました。

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松本さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

HP:

http://glad-1.co.jp/

Facebook:

https://www.facebook.com/kenji.matsumoto.752

【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知です。
終始柔らかくも熱い雰囲気で、感謝の気持ちが溢れ、人柄の良さがとても印象的でした。多くの方から支持をされ、結果も出し続けている裏にある苦悩と大きな出会い。とても心温まる時間でした。
松本さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

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