「人」中心にした本来の看護・パーソン センタード ケアを広める認知症看護認定看護師、武田桂子さん

 〜プロフィール〜
武田 桂子(たけだ けいこ)さん
【出身地】 北海道留辺蘂町温根湯温泉(現在の北見市)
【経歴】高校卒業後、美幌医師会附属准看護学院で准看護師資格を取得。その後周囲の協力のもと、中村記念病院付属看護学校へ通い、正看護師となる。以降看護師として現在に至るまで第一線を走り続ける。
【現在の活動】 北海道全域から、全国から多くの人が集まる北海道大学病院に勤務。2017年に認知症看護認定看護師資格を取得。看護部看護師長を2019年4月から務める。
【座右の銘】 思い(想い)は叶う、思えば叶う

記者:今のご活躍のきっかけは何ですか?

武田桂子さん(以下武田):「認知症になっても人生は終わらない」(著 認知症のわたしたち harunosora出版)という本があるのをご存知ですか?あの本を読んで、私たち医療者のほうが一般の方々より固定概念があり、意識が遅れているんじゃないか!と思ったことがありました。

医療者こそ「認知症は手がかかる」「認知症は変わらない、よくならない」と、思いこんでいるんじゃないいか、と。

私は大学病院や急性期病院(入院して2週間以内の患者さんが多い病院)で20年以上働いてきました。入院したばかりの認知症のある患者さんを「治療の妨げになるから」という大義名分のもと、手足を紐で縛ったり、ミトン(点滴など体に入れたチューブを自分で抜かないように予防するもの)をつけたり、鎮静剤を投与していました。「治療だから」というのが当然視されていました。

ですが、そこで治療って何のため?医療って何のため?というの疑問が浮かび、はっきりした答えが出ず、10年以上もやもやしていました。

私自身の祖母はひどい認知症で、自宅で母が介護をしていました。私は祖母に最期までちゃんとしたことをしてあげられなかったんです。そのことをずっと後悔してました。

また、これから高齢者がどんどん増えていき、認知症だからしょうがない、治療だからしょうがないと言えなくなる時代がすぐ来るだろう、このままではいけない、という「焦り」がありました。

2014年にある研修を通してそのことに気づき、このまま何もしなかったら後悔する!と思っていたところに認知症看護認定看護師の研修のお話がきて、今につながっています。

記者:ご自身のおばあさまのことが一番のきっかけになったのですか?

武田:以前から無意識的にあったと思います。でも意識したのは祖母がきっかけですね。浴衣の似合う素敵なおばあちゃんだったんです。でも、認知症になってからはオムツになって。周囲のいうことを聞かない、オムツを外してしまう、入れ歯を冷蔵庫にいれたまま「ない、ない」と言って探す、それからボヤを起こしたこともありました。

その時、おばあちゃんをまっすぐに見ることができませんでした。腫れ物に触るように接していて、今思えば逃げていたんだと思います。

患者さんにもそういった向き合い方をしていました。何かあった時も「またか」ときちんと向き合わずに逃げていました。いつしか認知症のある方に「苦手意識」を持つようになって。そこに立ち向かっては折れ、立ち向かっては折れと10年が過ぎ、研修を受けるに至りました。

その頃、副看護師長という立場で本来異動は難しかったんですが「認知症ケアができるプロフェッショナルになりたい」と思って、症例豊富な脳神経外科に異動させてもらいました。理解ある上司で本当によかったと思います。

認知症看護認定看護師の受験を控える中、夜勤も多い職場でした。さらに私の甲状腺癌がみつかって、手術が必要になりました。「受験は来年にしたら?」ということも言っていただいたんですが、手術後病室で何もすることがないなら勉強しよう!と、教科書を病室に持ち込んで勉強しました。10年持ち越しにしたものだし、病気を理由に延期にするのは嫌だったんです。

職場の皆さんをはじめ、認定看護研修の同期の仲間たちの協力もあって、奇跡的に合格し、資格をとることができました。その仲間でずっと連絡を取り合って、互いに助け合って来ました。それが今でもすごい強みになっていると思います。


記者:
武田さんの夢やビジョンを聞かせてください。

武田:自分が歳をとって、認知症になったりしても、亡くなる時に「幸せだな〜」と思って死にたいです。自分が亡くなる頃、今の新人の看護師たちが中堅クラスになった時には「自然に」「楽に」認知症のケアができるようになっていてほしいんです。

認知症に対して、社会も、地域も、家族も、自然に振る舞えるようになったらいいですね。車椅子や松葉杖、目が見えない人に自然と手を貸すのと同じように、自然になってほしいです。

記者:病院内ではどのような活動をされていますか?

武田:病院スタッフ向けの認知症対応能力向上のための研修を開いています。この病院は入院患者さんが1000人近くいるので、それなりにスタッフも多くいます。知ったことを他のスタッフ、自分の周囲に伝えることができる、影響力、実践力のあるナースを中心に受けてもらっています

記者:医師やリハビリなどナース以外の職種についてはどうですか?

武田;病院の中でナースの勢力は数も影響力も絶大です。その力を信じて、まずは看護が変わっていくことから始めています。


記者:
今、認知症看護の現場で必要なことはなんでしょうか?

武田:今は「成功体験の共有」が大事な時期だと思います。今の立場をいただいて、たくさんのアンテナナース(各セクションでセクション全体を把握しながらセクションの外にもアンテナを張っているナースのこと)とたくさん交流しながら「成功体験の共有」を促しています。

自分だけの(言葉にしない)成功体験、というのをみんな持っているんです。それを「成功」と気づけない、共有すればそれが宝になるのにそのことに気づけない。だから私たちはナースに質問をしながらそのことに気づいてもらう交流をしています。

「うまくいった、とはどういうことだろう?」
「どうしてそれはうまくいったの?」

知識を与えるだけではなく、質問で、「why」が整理されて、アウトプットできるようになるとその人だけでなく、それが周囲に広がっていきます。無意識の意識化や成長のきっかけになると思うんです。

特に認知症の方の急性期のケアは重症度や緊急度が高いがゆえに自然と感情的になり患者さんへの言葉がきつくなってしまうことがあります。そうなってしまう自分にナース自身がジレンマを感じ、疲弊してしまう。患者さんにも、自分自身にも苛立ちを感じてしまう。でもその中で私はwhy がわかることで楽になって、人にも自分にも優しくなれました。だからこそ、何故この人がこうなっているかを考えよう、ということを伝えています。

記者:「why なぜ」を考えるようになったきっかけはなんだったんですか?

武田:認知症看護認定看護師の研修のスタートは「なぜ」から始まるんです。歩き回っている人がいる。この人が歩き回っているのはなぜか。ということを徹底的に考えるところから始まるんですよね。

それまで学んできたこととは「この人に何をするのか」から始まるので、全く逆の発想でした。その人の理由よりも先に「やること」を探してしまう。それは知らず知らずのうちに医療者目線になり、自分目線だったんです。そのことに気づけたことはとても大きかったですね。

パーソン・センタード・ケアという認知症をもつ人を一人の「人」として尊重し、その人の立場に立って考え、ケアを行おうとすることがすごく重要だと思うようになりました。実は社会全体がその目線が大切だということに、研修後に気づきました。自分中心に考えるから問題が起きるんだ、と。

北海道大学病院の看護部の理念にも「患者中心の看護」というのはありますし、そのつもりで20年以上やってきていたので、かなりショックを受けました。「私の理解は間違っていた」と。今までの患者さんに申し訳ないし、プロとしてやってきたことを間違っていた、わかっていなかった、と認めなければ始まらない、でもそれはとても辛いことでした。研修をやめてしまいたいと思ったこともありました。

記者:それでも続けられたのはなぜですか?

武田:仲間がいたからですね。それとプロになって、困っている人をなんとかしたいという思いが強かったのだと思います。自分がここでやめたら、自分が出会う患者さんも、自分が育てられるナースたちも今までのまま、自分もまたもやもやしたままま。ここで乗り越えて、プロにならなければ私は一生後悔すると思ったからです。

記者:IT中心からAI中心の時代へと移行していますが、看護業界においてはどうでしょうか?

武田:AIがもっと進んできたら、私たちが普段作成している一人一人の患者さんの看護計画も簡単な入力だけでAIが作ってくれるようになると思います。AIが作った看護計画に沿って、私たち人間が使われる、という感覚になるかもしれません。真剣に看護とは何か、看護をする人とは何かを考えなければならない時代になってくると思います。

患者さんの本音を引き出して、それに沿った「パーソナルでクリエイティブなケア」ができることが看護に残された可能性なのかもしれないですね。

記者:本日はお忙しい中、素敵なお時間をありがとうございました。

〜武田桂子さんについて〜
*北海道大学病院看護部認知症看護*
http://www.huhp.hokudai.ac.jp/kango/hotnews/detail_sp/00000432.html

*武田桂子さんのfacebookページ*
https://www.facebook.com/keiko.takeda.77770

〜編集後記〜
取材を担当させていただいた深瀬と堀江です。脳神経外科の病棟に隣接した武田さんのお部屋で取材をさせていただきました。今回は記録用の録音のため、ドアを閉めさせていただきましたが、武田さんのお部屋はいつでも看護師や職員が相談に来られるようにドアは開いているそうです。ドアだけでなく、心のドアが常にフルオープンな武田さん。取材しながらその人間としての魅力に魅了されました。葛藤を抱えながらも、仲間とともに前進し続ける武田さんの瞳は子供のような輝きを放っていました。さらなるご活躍を楽しみにしています。

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