アスリートの強みを活かし”人生の金メダリスト”を育成する 株式会社集中力 森健次朗さん

世界で活躍する有名プロスポーツ選手のウェア開発を経て、全国への講演・研修でご活躍中の森さんにお話を伺いました。

■森健次朗さんプロフィール

株式会社集中力 代表取締役

一般社団法人 日本集中力育成協会 代表理事

集中力プロデューサー®️ 森健次朗

1963年生まれ。長崎県南島原市出身。

国立名古屋工業大学大学院博士前期課程

1989年ミズノ株式会社入社(商品開発本部ウェア開発課配属)

オリンピック競技ウェア(競泳、陸上ウェア等)の研究開発に従事。

特に2000年シドニーオリンピックでは開発担当であった「サメ肌水着」が、12個の世界新記録樹立し世界中から注目を浴びた。特許出願数は約30件(「サメ肌水着」世界特許等)

現在は「集中力プロデューサー」として、全国の企業や学校にて講演や研修を実施。

著書には「30秒集中法」(ワニブックス)「机に向かってすぐに集中する 技術」(フォレスト出版)や「ビジネスの9割は集中力で決まる!」(ゴマブックス)がある。

テレビ出演 NHK Eテレ 中高生に大人気の「Rの法則」など多数。

世界中の水泳界の話題をさらった「サメ肌」水着開発を経て

Q.どんなお仕事をされてるんいるのでしょうか。
森さん(以下、敬称略 森)基本的には講演ですね。あと研修もやっています。株式会社集中力と一般社団法人集中力育成協会があるのですが、株式会社集中力の顧客の7割は企業です。銀行の支店長研修、メーカーの店長研修、学校の先生の研修など、分野は様々です。残りの2割は学生が対象で、高校生の受験指導、甲子園の出場チームや金賞をとっている吹奏楽部、就職活動の高校生など、そして最後の1割がオリンピック選手関連とかプロ野球選手やサッカー選手など、研修のテーマは「集中力」です。
 以前は、ミズノという会社で水泳と陸上のオリンピック日本代表や水泳のイアンソープなど、世界のアスリートのウェアの開発をしていました。SPEEDO社はロンドンにあって、ミズノとライセンス契約を結んでいたんです。ウェアのものづくりって日本がナンバー1なんですよ。30年ぐらいSPEEDO社のトップ戦略のものづくりは基本的にミズノの開発者がやっています。なのでシドニーとかバルセロナのメダリストの8割は 僕が開発したウェアをSPEEDO社が世界に卸していたということになります。他にも陸上の日本代表やいろんな国の代表、全日本の女子バレー、Jリーグや箱根駅伝などいろんなスポーツのウェアの開発をやってきました。
 しかし、40歳でうちの奥さんが病気で亡くなってしまい、子供たちがちょうど小学校1年、2年生だったので会社を辞めざるを得なくなって無職になったんです。

トップアスリートのリラックス方法を体系化

 会社を辞めて無職になって、子供たちにご飯を食べさせないといけないので、自宅で学習塾を始めて『元気塾』って看板を出したんです。僕もずっとスポーツをやってきた人間なので、大学までは野球、大学ではトライアスロンを始めて国際大会にも出たことがあるんです。その時に、カイロや整体院によく行っていたということもあって、昼間は整体師、夜は学習塾をやっていました。

 学習塾だったのですが、そこには不登校の子供たちなど元気になりたいという子がいっぱい来てくれました。みんないじめられっ子や勉強やスポーツができない子供たちなので、お母さんや先生、友達に怒られるのではないかと緊張しているんですね。僕はトップ選手のリラックスの仕方を知っていたので、まず彼らがやっていることを体系化してテキスト化していったんです。子供たちがいっぱい来て、教えた子が東大に行ったり、スポーツで有名になったりとかいっぱい出てきて8年やったんです。当時ブログが流行り出した時、『子育ては自分育て』っていうブログをずっと書いていました。途中でその噂を聞きつけた全国の主婦の人たちが、子供の元気だけでなく大人が元気になる話もしてほしいということでセミナーの場を開いてくれたんですね。そこから講演につながったんです!

Q.以前から人前に出て話すようなタイプだったんですか?
 ちっちゃい頃から人間関係が苦手で、特に大学では研究をやっていたのですが、大学の研究室って密室なんですよ。教授との人間関係が悪くなると居場所がなくなるんです。道を歩きながら「赤面症」という看板を見ると行こうかなと思うぐらい病んでいて、就職を決めるのも人間関係が苦手なので苦労しました。運動だけは得意だったのでスポーツメーカーだったら存在意義はあるかなというのと、人と会わない仕事だったので研究職を選びました。それでミズノに入ったんです。ただ本音の部分では人と喋るのが好きだったみたいで、違和感を覚えた15年だったんですね。

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Q.人前に出るような講演活動はどうしてできたのでしょうか? 

森 仕事を辞めて、家でブログを書いていたらディズニーランドのコンサルティングをやっている方がオープンセミナーをするということで行ってみたんですね。僕の奥さんが亡くなって3ヶ月後でした。5時間の研修で「皆さんの人生が残り2ヶ月だったら?」って聞かれたときに、 50人いる中の一番前に座ってずっと泣いていたんです。講演が終わった後、「あなたはどうしたの?」って聞かれて、実は嫁が亡くなって…という話をしました。そしたらその方が、おもむろに手帳を出されて「 2ヶ月後の何月何日空いているからダブル講演をしよう」って言ってくれたんです。僕は学会で研究発表をしたことはあるけど、自分の話というのはしたことないので断りかけたんです。でも大丈夫だと言われ、僕が40分で先生が2時間のダブル講演をしました。実際、僕はお調子者なので喋り出したら 勝手に口が動いていたんですよ。結局80分も喋りました。その後、東京で『日本初・世界を感動させた、あのサメ肌水着の開発者がヒット商品の秘話を語る』というテーマで2時間の講演をしました。
 人とやり取りをするのが苦手だったので 、一番やりたくない仕事が講演のような仕事でした。ビビリだし始めは断ろうと思ったんです。でも今僕は講演会などでも言うんですが、絶対に無理というものが何かのきっかけで変わることもある。マイナスにマイナスかけたらプラスだよねって言うんです。だから人生は面白いんだよって。勉強できない、スポーツできないが何かのきっかけで変わるからねって。初めての講演のときは一週間前のリハーサルがボロボロだったので、必死で一週間、緊張しても喋れるように何回も何回も練習したんですね。それで当日を迎えたら開き直ってうまくいって今に至ります。

Q.ビビりってのはどれぐらいビビりなんですか?
 共通一次試験で鉛筆が持てなくなるほど緊張していました。あと、小学生の時から運動には自信あって、ずっと野球もやっていてピッチャーだったんですが、練習試合ではいつもノーヒットノーランをするくらい打たれたことがなかったのに県大会などになるとビビってストライクが入らないんですよ。ビビってしまうことでの悔しい経験はいっぱいあります。小中学校は背が高かったので目立つじゃないですか、児童会長、生徒会長を嫌々させられたんですね。ビビりながら朝礼で話していました。今ではいっぱい恥ずかしい体験をしていますというのをいろんな人に伝えることでその人たちを元気にしています。

大人を元気にさせるコンテンツを逆輸入

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
 出身が長崎なんですが2年前から布石を打っていて、ものづくり・人づくり・地方づくりをやろうとしています。去年、地元島原の原城が世界遺産になったんです。人もお金も東京に集まりすぎているので、この流れで戻ると思うんですよ。5年以内に帰るからねって長崎のメンバーには言っていて、地域づくりをしようかなと今その勉強はずっとしています。そうすると地方創生をやっている人との出会いが結構ありますよね 。
 10年後は長崎と東京の両方に本拠地となる事務所を構えようかと考えています。今、YouTubeを作るのに英語を学んでいるんです 。YouTubeで流れると一瞬で世界に伝わるでしょ?日本語と英語で30分ぐらい集中力の話をする。世界中に教材があるので、世界に行って、世界で流行らせてから日本に持ってくる。海外で流行った物だったら日本はなびきますからね。

 僕がいなくても 若い人たちが使える情報を日本だけじゃなくて海外からも集めてそういう仕組みを作りたいかな。喋りながら頭の整理になりましたけど(笑)。 長崎は被爆の土地なので、拠点を長崎に持ってきたら世界中から注目を浴びますよね。これから世界に発信して長崎に来てもらったりして交流をしたいなって思います。

Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
 学習塾を8年やって不登校の子供たちがいっぱい来たんです。なんでかなと思った時に、子供たちの周りの大人が元気じゃないんですよね。土日も疲れたーって子供たちのモデルが元気じゃないから不登校になる子がいる。だからまずは大人が元気になりましょうという講演や本を書いています。子供たちには「人生とは」人生には限りがあるからという話をしています。限りがあると逆に元気になって生きられるんじゃないかな。今の講演活動だったり 「50代からの強みを生かす人生の習慣化」っていうのを今書いてますけど、人生には限りがあるから楽しく生きないと損だよっていうことを発信し続けています。

記者 ご自身の経験を糧にして語る姿は、多くの人に勇気と感動を与えるのではないかと感じました。本日はありがとうございました。

森さんの詳細はこちら↓↓↓
http://syutyuryoku.jp/

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【編集後記】
今回インタビューを担当した樋口、見並、秋葉です。有名スポーツメーカーでヒット商品を開発したお話から一転、学習塾から講演活動まで幅広い人生経験で、いくら時間があっても足りないくらいたくさんの話をお伺いしました。ご自身の苦しみも沢山あった中、そのプロセスをも大事なものだったと思わせる人生に強さと迫力、そして人への温かさも感じました。更なるご活躍をお祈りしております。

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