「明日死んでも後悔しない生き方を」Navire noir代表 舘岡志保さん
漁師が獲った魚を直販する新しい道を切り拓き、水産業の活性化に努めるNavire noir代表の舘岡志保さん。水産業とは全く違う仕事から今の活躍に至る背景を伺いました。
プロフィール
出身地 東京都
活動地域 北海道八雲町落部(おとしべ)
経歴
看護師として13年間勤務。在宅医療の新規開拓の営業も務める
2013年 北海道に移住し、水産業に従事
2018年 漁業プロデューサーとして独立、Navire noir代表
漁師の妻であり、6次化コンサルタントとして活躍
現在の職業および活動 Navire noir(ナヴィルノワール)代表、噴火湾鮮魚卸龍神丸の営業・広報マネージャー、蝦夷新鮮組理事、落部ブルーツーリズム推進協議会プロダクトマネージャー
座右の銘 一期一会
子どもたちに誇りを持てる水産業を残したい
Q:どのような夢やビジョンをお持ちですか?
舘岡 志保さん(以下 舘岡 敬称略) 子どもたちに胸を張れるような水産業を残したいと思っています。子どもたちが漁師になりたいと言った時には、それを応援したいですし、自分が育った環境を誇れるような状態をつくっていきたいです。
水産業はとても厳しい状況にあります。漁獲量は年々減っており、数年後には日本の魚はなくなるとまで言われています。温暖化の影響や、今まで漁師たちが乱獲していたことも要因としてあります。とにかく一度海を休ませないといけない状況にまできていますが、そうすると漁師たちは収入がなくなります。漁師がいないと日本の魚は食べられませんから、どう収入の仕組みをつくっていくのかが水産業の課題になっています。
漁師の元へお嫁に来る人がなく担い手がいなかったり、来ても共働きで忙しく、少子高齢化が進んでいます。親も子どもに大きくなったら漁師になりなさいというより、安定した職業に就いて欲しいと思う状態です。
けれど、水産業に携わる人たちはとても人間味があって温かく、1日1日を生き切っているように感じます。漁師という仕事は次の日帰ってくる保証がありません。実際に亡くなっている方たちがいるように、夫も見送った次の日は帰ってこないかもしれません。だからでしょうか、漁師たちは日々たわいもない話をしながら飲んで、思いっきり喧嘩してぶつかって、でも翌日には笑いあって仲良くなる。そんな今を生きる漁師たちの姿が羨ましく、こんな風に人間らしく生きたいと思います。
魚のおいしさ、漁師の魅力をより多くの人たちに知ってもらい、次世代に誇れる水産業を残していきたいです。
魚を獲る→人をとる
Q:「子どもたちが誇りを持てる水産業を残したい」へ向けてどのような目標や計画を立てていますか?
舘岡 魚を獲ることが厳しいなら人をとろう、ということで、観光型漁業へシフトしています。八雲町落部は、函館、札幌からそれほど遠くなく、国内・国外から観光客がよく訪れるところです。農家も近く、地域全体で連携して取り組みやすい土地で、観光客に合わせてカスタマイズしたツアー企画を進めています。
又、都心部の学校の修学旅行の受け入れもしています。学生さんたちが家に泊まりに来て一緒に水産業の体験をするんです。最初は知らない人を家にあげることや、漁師は夜に漁に出るライフスタイルなので受け入れも悩みました。けれど、実際にやってみると、私たちが当たり前に思っていることも、学生さんたちはとても喜んでくれたり、色々質問してくれるので、改めて自分たちがしていることの価値を気づかされてとても良い機会になっています。
こうした取り組みを継続しながら、一緒に取り組める人を増やしていきたいと思っています。
人とのつながりに感謝を
Q:その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?
舘岡 水産業というのは漁師だけで成り立つものではなく、他業種や消費者など多くの方々との関わりがあって成り立っています。そうしたつながりに感謝を忘れないようにしています。
又、私は消費者側と生産者側の両方の立ち位置がわかるので、つなぎ役のようなポジションになれます。ですから、直販する時、まずは私がお店を探してきて話をしますが、漁師である勇樹さんにも料理人さんに会ってもらうようにしています。漁師は一生懸命獲った魚がどうなっているのか、その反応や評価が見えないんですね。直接お店に行って、料理人さんが丁寧に魚を扱い、お客さんが喜んでいる姿を見てから、勇樹さんの中に感謝と喜びが生まれ、魚をより丁寧に扱うようになりました。又、私が話すより、漁師から直接現場でのストーリーを語ってもらうと伝わり方が全然違い、お店の方にも応援したい心が生まれます。こうしてつなぐ立ち位置をブレずに持っていきたいと心がけています。
水産業もサービス業だと気づき、プロ意識が芽生えた
Q:「子どもたちが誇りを持てる水産業を残したい」という夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
舘岡 魚が獲れず収入も厳しい状況を解決するために、直販を始めました。水産業はまだまだ閉鎖的で漁師が表に出て直販することを良く思わない組合もたくさんあります。しかし、国は6次産業化を進めていて、直販はきちんと段階を踏めば可能でありルール違反ではありません。
初めて直販した時、そこの料理人から思いっきりダメ出しをされました。正直、親戚が魚を送ってくれたら嬉しいように、送れば喜ぶだろう、くらいに考えていたので、箱に氷と活き締めの魚を入れただけの状態で送りました。魚の処理の仕方、包装や保管が全くなっていなかったのです。
ダメ出しをされた時、水産業もサービス業なんだと気づきました。対価をいただくというのは責任が伴います。看護師として勤めていた時は、こちらが提供する医療に対して患者様はお金を払ってくれているのだから、サービス業としてその分しっかりやるプロ意識を持っていました。水産業に関しては、楽しい、広めたい、という程度の思いで、自分がいかにプロ意識がなかったのかを痛感しました。
その料理人さんに、お代はいらないと伝えたのですが、先行投資として払うから頑張ってと言われた時、とても嬉しかったですし、期待に応えなくてはというプレッシャーも感じました。そこで東京にいて看護師をやりながらの二足のわらじだったところを、潔く辞めて、北海道に引っ越して本格的に水産業に取り組むようになりました。
明日死んでも悔いがないくらいやり切りたい
Q:「水産業もサービス業だと気づき、プロ意識が芽生えた」という気づきや発見の背景には何があったのですか?
舘岡 看護師として勤めていた時は、在宅医療をし、施設もたくさん回ってきましたが、人生100年時代とはいえ元気な人は10人に1人くらいです。家族もご高齢になって施設を訪ねる人もいない、食事も同じようなものばかりで外にも出られない。会うたびに「死にたい」と口にします。過去のことを悔いて愚痴を言い続けるお年寄りたちを見て、こんな生き方はしたくないと思っていました。寂しい人生でダラダラ長生きするのは嫌だ、生きるなら、明日に死んでも悔いがないくらい1日をやり切ろうと決めたんです。
そんな思いを持っていた中、在宅医療が頭打ちになり、新規開拓は止めようとなって営業ができなくなり、やりがいを感じられなくなってきていたのです。そんな時にいとこだった勇樹さんから漁業のことで相談されました。水産業の現状を知るにつれ、まるで治療法があるにも関わらず、諦めてその治療を選択しない患者様のように見えたのです。それで迷わずやろうと決めました。
最初の頃は、女だから、漁業の何がわかるのかと、受け入れてもらえず色んな批判も受けました。けれど、負けず嫌いの私は知識と行動で必死で補ってきました。何よりそんな私に色々と教えてくれる人たちとの横のつながりがとてもありがたかったです。今では水産業に関してそれなりの知識があると自負しています。
5年経った今、やっと私たちの取り組みに関心を向けてきてくれ、どうやっているのかと漁師仲間から質問が来るようにもなりました。医療の世界でも、患者様を中心において、看護師一人でなく医師や他の医療・介護従事者がチームになって患者さんを診るように、水産業も、魚・海を中心において漁師、行政、組合、農家、消費者、地域などがチームとして一体となる必要があります。そんなつながりを大切にしながら、これからも水産業の可能性を伝えていきたいです。
読者への一言メッセージ
舘岡 海、魚、漁師に興味を持って、皆で水産業の明るい未来をつくりましょう!
記者 明日死んでも悔いがないくらい1日を生き切ろうという舘岡さんの決断から、水産業もサービス業としてプロ意識をもって真剣に取り組まれてきたからこそ、直販や観光型漁業の動きが生まれ活性化しているのですね。本日は貴重なお話をありがとうございます。
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舘岡さんの詳細情報はこちら↓↓
https://www.facebook.com/shiho.yanagida.7
【編集後記】
今回インタビューを担当した小水です。
選択する時は迷わないという舘岡さん。その在り方は刀の刃の上に立つ侍の精神のように感じられました。
舘岡さんの笑顔と実行力で、変革がどんどん起きていきますね。
人の心の結集を起こした時、全く新しい水産業の未来が拓けるイメージが広がりました。
舘岡さんの今後の益々のご活躍を応援しています!