動画のチカラで伝えるお手伝いをして世の中を良くしたい HopeFilms 中山 望さん

テレビ業界でたっぷり経験を積んで、今はフリーの映像ディレクターとしてご活躍中の中山さん。お客さんの伝えたいことを伝えるお手伝いをして、動画のチカラで世の中を良くしていきたい、というビジョンについてお話を伺いました。

プロフィール

東京工芸大学芸術学部メディアアート表現学科卒。学生の頃からテレビ制作会社で働き始め、動画編集を担当し、技術を磨く。国内・海外にて自主ドキュメンタリーなどを撮影・編集・制作。
卒業後、都内のテレビ制作会社に就職。大手民放局にて情報番組、バラエティ番組、エンタ系番組などの制作に携わる。

フリーランスのTVディレクターとしてNHKに勤務。「おはよう日本」「ゆうどきネットワーク」「知るしん」など情報番組、ドキュメンタリーやリポートなどを担当し、日本全国を取材やロケで飛び回る。震災後は、被災地での現地取材、番組制作を行う。

現在は、企画構成・ディレクションの他、自ら撮影・編集も行う事ができるフリーランスの映像ディレクターとして、行政や企業の動画制作を多数手がけている。

また、「スマホを使った動画撮影・編集」「YouTubeチャンネル作り」「プレスリリース」などのセミナーを商工会議所・商工会、行政、職業訓練校、企業などで講師を行っている。Hopefilms代表  / 品川区創業支援センター動画専門アドバイザー/さいたま市産業創造財団 動画専門家 
月刊誌HIROBA「教えます!動画のツボ」連載中。

Q.中山さんの夢やビジョンは何ですか?

中山望さん(以下、敬称略):もともとテレビのディレクターをしていて10年ぐらいテレビ業界にいたんですけれど、今はフリーの映像ディレクターになり、お客さんの伝えたいことを伝えるお手伝いをしています。自分自身も映像で伝えるということを長期的には夢やビジョンとしています。あとは子育て中なので、今の私のビジョンと言うならば、まずうちの子ども3人をしっかり自立した大人に育てるということも私の中で目標にしています。

フリーランスになってからすごくモヤモヤするのは、前はテレビ局で皆さんの受信料をいただきながら世の中に動画を出すということをやっていたんですけれど、今は私は、お客様からお金をいただいて動画をつくる立場になったんですね。たとえそれが世の中のためになるサービス商品だったとしても、すごい良い商品、誰かのためになるサービスだとしても、今は見積もりが合わないと動画にできません。動画はどうしても高いので「出せないわ」と言われたら動画に出せないんですよ。私テレビディレクターだったら絶対取材するだろうなと思っても撮れないというモヤモヤです。今は動画学校とか講師に力を入れているのは、私に頼んで欲しいけどだめなら、せめてこの中に伝えていこう、みたいな感じで動画の力で世の中をかえるという意味合いはすごい入っています。

Q.ビジョンのために、どのような活動方針をお持ちですか?

中山:子ども向け、高校生、大学生にもYoutubeセミナーを開催しているんですけれど、この10年でテレビの存在も大きく変わるんだなと思っています。今子どもはテレビを見ないんですよね、Youtube ばっかりで。Youtubeは関連動画でずっと同じような動画が流れてくるので、昔、私が子どもだった頃の、金曜7時の番組を楽しみにするっていう感覚が全くなくて、そういう意味ではYoutube に少し危機感を感じています。でも、人に伝える難しさとか情報を整理して伝えるとかプレゼン力などを Youtube と動画を上手く利用して子供たちの教育にならないかなと思ってやっています。
Youtube セミナーをやっていると、小さい子の方が話すのが上手なんですよね。成長すると「恥ずかしい」となるのか、分からないですけれど、大きくなるにつれて伝えたいことをうまく伝えられないという、日本人のプレゼン能力の低さを思ったりします。
アウトプットとして YouTube 講座はいいなと思っているんですけれど。

Q.そもそもビジョンを持つようになったきっかけは何だったのですか?

中山:そもそも何故テレビディレクターを目指したかというと、映画などが元々好きだったんです。小さい頃から映画館で映画を見て漠然とハリウッドとかに憧れていました。高校の時アメリカに1年間留学して、日本に帰ってきてもうちょっと映像の勉強をしたくて芸大に進学したんです。長期休みはバックパック持って東南アジアに行ってビデオカメラを持ってドキュメンタリーを撮っていました。あまり学校も行かないで長期休みアジアに渡っていく中で、特に思いいれがあるのはカンボジアです。タイとの国境にポイペットというところがあるんですけれど地雷原とか残っているようなところで超田舎で水も電気もない小学校の裏に地雷原のドクロマークが貼ってあるんです。日本や海外からの支援で病院は立っているけれどドクターがいない。高級な医療機器を寄付するんだけど使い方がわからない。そういうところにまず疑問を抱き始めるんですね。もともとドキュメンタリーとか好きだから撮っていたんですけれど、ちょうど HIV でお母さんを亡くした子どもだったり人身売買で保護されたりした孤児院の子どもたち、地元の子どもたちと関わる中で、なんだか世の中がおかしいなと思い始めるんです。私の目の前にいる子どもたちはすごく大変な思いをしてお母さんもお父さんもいなかったり教育も受けられない、学校も給食が出るから行って来るぐらいの中で、なんか世の中っておかしいなと思い始めました。その時の世の中はイラク戦争していたんですね。
世の中テレビをつければイラク、イラクで、でも私の目の前にある現実はなぜ世の中に伝わらないんだというところから、じゃあ私がそれを伝えようと思ったのがテレビディレクターになろうと思ったきっかけです。

結局のところ、私も10年テレビ業界にいたんですけれど、カンボジアも、その間にだいぶ発展しましたけれど、あの時のことは、報道的にはもうネタが古いんですね。いくら企画書を出そうが、「もうこれ昔、散々やったから」ということで企画が通らない。あとは業界的にすごく忙しかったので、どんどん私の中でコアとしていた「現実を伝えたい」というのが小さくなってしまって、10年働いて、今は子どもが3人いて、今は何もできないですよね。カンボジアで出会ったストリートチルドレンたちも今は大きくなっちゃっているはずで、カンボジアにかかわらず、色々な所に闘争が起きていて、同じような子どもたちは存在しているけど今私は何もできない。

Q.報道がおかしいと思った時にどんなことを考えたんですか?

中山:あの頃は映像でいえば、テレビか映画しか、動画のメディアはなかった。インターネットもありましたけれど、地球の裏側のことを知るには、ビジュアルで強いのはやっぱりテレビや映画という時代でした。

でも流行りってやはりあるんですよね、特に民放は視聴率ありきのテレビ設定なので、情報の不平等さというか、結局イラクもまた10年たっちゃえば悲しみ、苦しみも忘れ去られてしまう。その時若かったので、メディアに対してそのような流行り廃りにすごく憤りを感じて、今まで見ていたものは全て出ない、その裏側とか過ぎ去った時間のものはもう映し出されないですからね、そういう憤りがありました。テレビがいつも正しいことを言っていて、それを見ていたらすべて分かるみたいな幻想を子どもの時は抱いていたけれど、つくる側の意図というか、「これが売れるから出す」とかそういうものがすごく働いているんだなというのが大人になってからわかりましたよね。その当時の二十歳そこらの私には何もできなくて、どうすればよかったんでしょうね。おかしいですよね、今もそんなもどかしい気持ちは消えないので、最初にお話しした、長期的なビジョンに繋がるんですけれど、やっぱりもともとマスコミなので、映像の力でジャーナリズムじゃないですけれどそういうところから変えたいという気持ちはあります。

Q.中山さんが思う映像の力、動画の力はどのようなものですか?

中山:そうですね、私自身が色々な映画やドキュメンタリーテレビを見たりして新しい世界が広がっていったという意味で、力を与えられていたという意味でしょうか。

記者:思い出に残る作品とかあるんですか?

中山:何ですかね、たくさん見ましたけどエンターテイメントしか浮かんでこないです。スターウォーズとかジュラシックパークしか浮かばない(笑)。

記者:それはショックを与えられたんですか?

中山:特別すごいですね。ジュラシックパークは小学6年生の時に映画館で見たんですけれど、そんな恐竜が好きとかではないんですけれど、あの大画面に、リアルにないものが目の前にリアルにあるという経験は子どもながらに「映像ってすごいな」と思って、あたかもそこにいるかのような、今 VR とか出ていますけれど、あの当時はすごい世界だなと思いました。スターウォーズもそんな宇宙が好きなわけではないんですけれど、世界が広がりますよね。山に囲まれた、本当に片田舎で育った私にとっては、世界って広いんだとか可能性ってものすごい秘めてるんだということで、そういうところで興味を持ったというのがありますね。自分の知らない世界を見せてもらった映像というのは、すごくインパクトがあの時は強かったです。テレビディレクターになって放送する側になって、取材することによって色々な反応がありましたとか、問い合わせがありました、こんな人にご連絡いただきましたとか、そういう意味ではテレビの力のすごさを経験してきたので、私ができることであればやっていきたいなという思いがあります。

記者:ぜひ頑張っていただきたいです!今日はお話をどうもありがとうございました。

中山さんの情報はこちら
↓↓↓
動画学校
https://www.youtube.com/c/DOUGASchool/about
https://hope-films.com/school/

HopeFilms
https://hope-films.com/

【編集後記】
インタビューさせていただいた見並です。中山さんの、知られないで葬られてしまう、目の前の事件をつたえたい、でもなかなか思うようにいかなかったという悔しさはとてももどかしかっただろうと思いました。でも、その大きな意志は、当時の限られたメディアだけしか伝えられなかった頃と違い、誰でもが動画を撮って発信することができる今の時代に、たくさんの子どもたちに伝わって、また生きているのだと感じました。これからもご活躍楽しみにしています。

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