「世のため人のためになる」時代に合った神社で在り続ける ”鳥飼八幡宮 宮司 山内圭司さん”

1700年の歴史を持つ鳥飼八幡宮で宮司をされている、山内圭司さんにお話を伺いました。

山内圭司さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県
経歴:皇學館大学文学部神道学科卒業後、宗教法人若八幡宮に所属したのち鳥飼八幡宮へ。趣味はサイクリング、スノーボード。
現在の職業及び活動:鳥飼八幡宮 宮司
座右の銘:「一期一会」

産業と歴史の両輪を持つ福岡に

記者:山内圭司さん(以下、山内 敬称略)はどのような夢やビジョンをお持ちですか?

山内:産業にプラスして、産業と歴史という両輪によって、福岡を住みやすい街にすることです。

福岡には偉人が多くいるのですが、なかなか知られていません。正しい歴史を世界の人々に知ってもらうことで、福岡のファンになってもらいたいです。

世界の富裕層は自分自身や世界のルーツを知りたいと思っています。福岡には観光資源は多くありますが、京都などのように観光資源に行くための仕組みが整っていません。

3年後に体験型の博物館をつくる

記者:「産業と歴史の両輪によって、福岡を住みやすい街にする。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

山内:早ければ3年後には、今の時代に合った体験型の博物館をつくりたいです。

例えば、博物館に入ったら福岡の偉人が歩いていて、アプリをかざしたら偉人と会話ができたり、プロジェクションマッピングで歴史が書いてあったりする博物館です。子供から大人まで、さらには海外の人も楽しめるようにしたいです。それによって福岡の歴史を全世界へ発信することができます。

陽の当らないところに陽を当てたい

記者:山内さんは現在どのような活動指針を持って活動していますか?

山内:陽の当らないところに陽を当てたい、という思いで活動しています。

具体的な活動をいくつかご紹介します。

日本全国には81000社の神社がありますが、毎年1000社ずつくらい無くなっていっています。日本の人口が減ってきているので、神社は多くの人間で守っていかないと維持するのは難しいです。このような神社の現状を知ってもらいたくて、よく東京に話をしに行っています。

鳥飼八幡宮では毎月第3日曜日にマルシェを開催しています。野菜や肉、果物をつくる生産者の利益を上げるために、生産者と消費者が直接関われる場所としてマルシェを始めました。消費者にとっては新たな価値に気付くことができ、生産者にとっては多くの人に知ってもらうキッカケづくりになります。このように人と人とを繋げて利益を生むのがマルシェです。

普段、鳥飼八幡宮の中でも使われていない「斎館」をフォトスタジオにしています。初宮詣や七五三に来られた方が写真を撮れるようにするためです。スタジオではInstagramに写真をアップしています。アップすることで鳥飼八幡宮の美しい風景が世界中に発信され、世界中の方が神社に参拝されます。スタジオが入ったことで祈願は3~4倍に増え、収益もそれに伴って増えました。

8年前から境内でフェスを始めました。「神社でなぜフェスをやるのか?」とよく聞かれますが、神社は元々が文化発祥の場所であり、歌舞伎や能は神様への奉納行事から始まったものです。それが民衆に降りて多くの方々が知るようになったのです。フェスという、新しいことをやっているように思われがちですが、実は神社が昔からやってきたことと変わりません。

神社でフェスを行うことで、神社に全く興味がない人でも一度は足を運んでくれます。フェスには3~5万人が参加され、そこで神社の良さを感じた方がまた足を運んでくれるという、興味を持ってもらうキッカケ作りになります。実際、フェスを始める前と今との正月参拝客を比べると10倍くらい増えています。

神社を支えてくれていた方々を知る

記者:そもそも「産業と歴史という両輪によって、福岡を住みやすい街にする。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?

山内:神職の免許を取るために皇學館大學へ行き、神社のことを学んでいました。卒業論文も鳥飼八幡宮について書き、そのためにいろいろと調べていく中で、神社は多くの偉大な方々に支えられてきたけれども、その方々が世の中に知られていない現状を知り、多くの方々に正しい歴史を知ってほしいと思うようになりました。

100年前に行われた鳥飼八幡宮の遷宮を支えた一人は、金子堅太郎さんという幕末の志士です。初代総理大臣である伊藤博文さんの懐刀であり、日本国憲法の草案を作った方でもあります。

遷宮を支えた方々には他に、三井財閥の総帥・團琢磨さん、安川財閥の総帥・安川敬一郎さん、息子で安川電機の創始者・安川大五郎さん、電力の鬼・松永安左衛門さんなど日本の経済を支えてこられた方々がいらっしゃいます。

だからこそ、いずれ宮司になったら、神社を支えてくれた偉人達を知る仕組みを作りたいと思うようになりました。

神社の理念を大事にしたい

記者:「神社は多くの偉大な方々に支えられてきたが、その方々が世の中に知られていない現状を知る。」という発見の背景には、何があったのですか?

山内:「世のため人のためになる。」という、神社の理念を大事にしたかったことです。

宮司は「自分でなりたい!」と思ったからなれるようなものではなく、責任役員たちから選んでもらわなければなれません。宮司を継ぐことで得るものは大きいですが、同時に大きな責任感も伴います。

宮司として常に一線に立ち続け、時代に合った手を打っていかなければなりません。そのレールから外れてしまったら鳥飼八幡宮の歴史は次へと繋がらず、無くなってしまいます。

神社の理念を大事にしてきたからこそ、境内にある古い道場を建て替えて保育園にすることができました。福岡市中央区は待機児童が多いことが問題となっていて、地域の方々の助けになれたという意味でとてもうれしかったです。

記者:1700年続く神社の家系に生まれたことは、想像を絶するほどの責任感の大きさなのでしょう。その責任感と向き合い続けてこられたことをお話伺う中で感じました。

長年に渡り神社を支えてきた偉人たちの存在を知ったことで、彼らの歴史を世界中の人に知ってもらい、福岡ファンを増やしていくという今の夢に繋がっていることが伺えました。

山内さん、今日は本当にありがとうございました。

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山内さんについての詳細情報についてはこちら

↓↓↓

Webサイト:鳥飼八幡宮

Facebook:山内さんのアカウント

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編集後記

今回インタビューの記者を担当した吉田&山口です。

若々しさと素敵な笑顔が印象的でした。神社に対して勝手に張り付けてしまっていたイメージを破壊されるお話を伺い、多くの日本人にぜひ知ってもらいたいと思いました。鳥飼八幡宮から新しい日本の文化が生まれる可能性をとても感じました。(吉田)

神社が古くから今にも続いているその背景には、支えてくれた偉人がいて、今となっては当たり前にある文化の発祥の場所となっていたことなど、とても貴重なお話を伺いました。その歴史を正しく紡いでいきながらも、今の時代に沿ったイノベーション溢れる神社を担っている山内さん。今後が益々楽しみです。(山口)

今後の更なるご活躍を期待しています。

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