人の心を動かす仕事をしたい インサイドアウト株式会社 代表取締役”河津一郎さん”
インターネットを道具として活用し、顧客の問題解決を行う、河津一郎さんからお話を伺いました。
河津一郎さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県
経歴:福岡大学商学部卒業後、PCゲームソフト製作会社、飲食事業会社を経験したのち、地場の広告代理店に入社。その後、監査法人系コンサルティングファームに移り営業・販促戦略を中心としたコンサルティングサービスに従事。2010年4月起業しインサイドアウト株式会社を設立。
現在の職業および活動:ブランディング戦略・広告・販売促進、WEBマーケティング、WEBサイトの構築・運営組織作り、SEO対策、IT活用。
座右の銘:「昔、レコード回してました。今、ビジネス回してます。」
仲間をつくり、人の心を動かしたい
Q1.河津さんが思い描くこれからの夢・ビジョンを教えてください。
河津一郎さん(以下、河津):これからのAI時代を楽しみながら、仲間をつくり、人の心を動かす仕事をすることです。
例えるならば、潜水艦に乗り、同じ目的のもとに協力してくれる20人の仲間をつくるようなものです。
インターネットを使って、自分の事業の柱を作り、より多くの人に喜ばれるような仕事をしたいです。そして、周りの仲間も増やしていきたいですね。
記者:「人の心を動かす」というのは素敵な夢ですね!
人の心を動かす仕事をしたい
Q2.河津さんはどのような仕事をされているのでしょうか?
河津:問題解決です。顧客が困っていることを解決したり、人の心を動かす企画や仕組みを考え、具現化する仕事をしています。
道具としてインターネットを活用しています。どのようなWebサイトを作り、どのような人に伝えるのか、どのように伝えるのか、といったことを考えています。どのようなやり方で人々に伝えていけばよいかを模索している会社の道案内をするイメージです。道案内の1つの手段としてドローンを飛ばして映像を撮影・編集し、より多くの人々に届けるための武器にしていこうとしています。
誰かの頭の中にある、形が無いものを形にして伝えるという、通訳のような仕事でしょうか。
クライアント様との仕事の内容はあまりお話できないのですが、自分の会社で人の心を動かす具体例を挙げると、講演者を呼んで講演会を企画し、より多くの人に話を聞いてもらっています。去年は元中日ドラゴンズ監督の落合博満さん、一昨年は同じく元中日ドラゴンズの山本昌元投手を呼んで講演会を行いました。今は、3人目となる今年の講演者を探しているところです。
記者:落合さんを実際に呼べることがすごいです!(※1)今年の講演者がどなたなのか、とても楽しみです!
河津:それ以外では、Facebookを使った実験も行っています。福岡の警固にあるハイダルというバングラデッシュのカレー屋さんがあるのですが、そこのカレーを1か月毎日投稿し続けてみたところ、100人以上の客をハイダルへ送り込むことができました。
記者:100人以上とはすごいです!
コンピュータの可能性との出会い
Q3.河津さんが「仲間をつくり、人の心を動かす仕事をしたい!」という夢を持ったきっかけは何ですか?
河津:Macintosh(Mac)というコンピュータに出会い、コンピュータの可能性に気づいたことです。
私の今の仕事の原点は、大学生時代にクラブDJとしてレコードをかけて、大勢のお客さんの前で音楽を聴いてもらったことです。その時、自分の選曲した音楽によって、お客さんが踊る、盛り上がるということに、「人の心を動かす。」という魅力を感じました。
80年代後半、高校生のとき、「ヒップホップ」という音楽があまり知られていなかった時代に”Run-D.M.C.”というヒップホップグループの”Walk This Way”を聴いて、頭を殴られたような衝撃が走りました!
ヒップホップは、ターンテーブルに載せればロックでもソウルでも全部ヒップホップになるという、自由度がとてつもなく高いジャンルだと思います。この「圧倒的な自由度の高さ」に惹かれたのかもしれません。
DJとしての経験が、その後の人生へも大きな影響を及ぼしています。しかし、20代の時、DJだけでは食べていくことができないという、経済的な限界を感じていました。
そんな時に出会ったのがMacでした。DJ時代、仲間とクラブを借り切ってパーティーをしていたことがあります。当時はコンビニのコピー機を使って切り貼りでポスターを作っていました。知人から「コンピュータを使うことでカッコいいポスターを作ることができる。」と聞き、Macを持っているという知人の家に上がり込み、Macを使っているところを見せてもらいました。
それはそれは感動し、また、頭を殴られたような衝撃が走りました!感動しすぎて、一晩中触らせてもらった後、翌朝、電気屋に買いに行きました。当時、パソコンと白黒プリンタで30数万円くらいだったと思います。配達されるのを待ちきれず、大きな段ボールを抱えて電車で持ち帰りました。家に運んでから、何のソフトも入ってなかったのに一晩中、ずっとウィンドウを開いたり閉じたりしていました(笑)。その後、Macを使ってパーティーのフライヤーを作っていたところ、次第に他の人から「お金を払うからうちのフライヤーも作ってくれ。」と頼まれるようになりました。
記者:コンピュータとの出会いに何を見出したのでしょう?
河津:ヒップホップと同じで「自由度が高く、人が持つ才能を増幅してくれる装置である。」という魅力でしょうか。DJでは食べていくまでには至りませんでしたが、コンピュータを自由に使いこなすことができれば、仕事としてやっていけるのではないかと思えたのです。
そして、自分一人だけでできることはたかが知れていることも知り、同じような価値観や目標を持つ仲間と一緒にやりたいと思うようになりました。
何でも自由にできる自分!
Q4.「コンピュータの可能性」に気づくことができた背景には、何があったのですか?
河津:「何でも自由にできるんだ!」という自分を認識できたからです。
「できない。」と言ってしまったらそこで終わりです。自らで縛りを作る必要はありません。
例えば、以前は港での荷揚げ荷下ろしという仕事は、多くの作業員を要する肉体労働の仕事でした。各地の港湾が整備され、大型コンテナ船による輸送が主流になると、物流革命が起こり、ある日突然、彼らの仕事は消滅してしまいました。世の中の仕事は劇的に変化しますが、ものを運ぶ仕事が無くなるわけではありません。変化に対応して、コンテナを運ぶトラックの運転手になった人もいたでしょうし、運送業に転職した人もいたでしょう。一方で、変化に対応できなかった人達は「俺たちに仕事をくれ。」と、道でギター片手に叫んでいました。
仕事というものは、決して降ってくるものではなく、自分で取りに行くものだと思っています。自らの限界を決めてしまう人は変化に対応できません。そして、現代の情報化社会では変化に対応していくしか生き抜く術はありません。これからの時代は、過去の成功体験にしがみついていてはいけないと思います。自分の心の中でブレーキをかけてしまうことなく、新しい分野や未体験の仕事にも挑戦していきたいと考えています。
何でも自由にできる自分を認識できたからこそ、自分のちっぽけな才能を増幅させてくれるコンピュータというモノを道具としながら、仲間たちと共に人の心を動かすという、今の夢に繋がっています。
記者:以上でインタビューは終了です。
何でも自由にできることを大事にされているからこそ、ヒップホップやコンピュータの自由さに惹かれ、以来、一貫して人の心を動かす仕事をされているのですね。
本日は貴重なお話と楽しい時間を、ありがとうございました!
(※1):落合さんを講演に呼ぶまでの経緯は本記事には記載していませんが、とても感動するお話でした。詳しくはご本人まで。
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HP:
【編集後記】インタビューの記者を担当した吉田&平城&新原です。
「何でも自由にしたい!」という自己を認識できた瞬間に、自分の心も人の心も動かせる河津さんになることができたのでしょう。
今後の更なるご活躍を楽しみにしています。