チャレンジする人を応援する 株式会社エスアイホールディングス代表取締役会長 ”山田晃久さん”

時代の流れを読みながら、チャレンジする社員の応援を大事にされている山田晃久さんにお話を伺いました。

山田晃久さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県
経歴:高校卒業後、学習研究社に入社。ウィスコに転職後、23歳で販売会社を設立し独立・起業。34歳の時に社内で起きた内紛の結果、会社を清算。取扱製品のメーカーから営業部長として招かれて、1年余り勤務した後、1997年4月に株式会社エスアイホールディングスを設立、代表取締役に就任。
現在の職業及び活動:株式会社エスアイホールディングス代表取締役会長
座右の銘:「七転び八起き」

失敗を恐れずにやり続ける

記者:山田晃久さん(以下 山田 敬称略)現在どのような活動指針を持って活動していますか?

山田:失敗を恐れずにやり続けることが大事です。何事も面白くないうち、苦手なうちは前に進んでいきません。人生、諦めずにやり続けるこ人こそが成功します。

異業種交流会である「スクラム会」は5年ほど前にオーナーから引き継ぎました。苦手意識があったので3年間断り続けましたが、オーナーはお世話になった上司でもあり、その御恩に応えたくて引き継ぐことにしました。

日本スクラム会

原点にあるのは人脈づくりで、これまでもずっと大事にしてきました。なるべく人がいる場に出て名刺交換や情報交換してきたことがスクラム会にも繋がっています。

独立にチャレンジする人を応援し、成功させる

記者:山田さんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?

山田:自社からの独立にチャレンジする人を応援し、その人たちを成功させることです。

社内で人材育成をすることで、これから独立する人を増やしていきたいですし、それが私の役割だと思っています。

そのためには、社員同士が切磋琢磨し、社員たちが成長する環境を提供するようにしています。競争がないと成長はありませんから。

ただ、会社を守る上でも、みんながみんな独立すれば良いというわけではなく「こいつはやれるんじゃないか。」という社員の背中を押すようにしています。会社に残る人と独立した人とがお互いに協力体制を組める関係や環境作りを大事にしています。

独立すると、身銭を切って一生懸命に蓄えたお金が無くなる可能性が高いです。企業の存続率は10年で3%、20年で0.4%くらいしかありません。そのような中チャレンジしていくわけですから、独立するのは勇敢な人です。そういう勇敢な人を、取引やビジネスのやり方、売り上げの伸ばし方という面で応援します。

時代の流れを読み、時代の流れに乗る

記者:「自社からの独立にチャレンジする人を応援し、その人たちを成功させる。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

山田:時代の流れを読み、時代を先取りしていくことです。5つの事業に取り組むことで、その内の1つがダメでも倒れない経営をしています。

また「ベース」と「チャレンジ」の二本柱での事業も重要です。青汁という「ベース」となるロングラン商品ががあるからこそ「チャレンジ」ができます。

記者:今の時代の流れをどう見られていますか?

山田:みなさんご存知の通り、少子高齢化社会です。高齢化率は2035年にピークを迎えて、そこから減少していきます。そこで「健康」に着目しています。

マクソンギア・ブイ(腰ベルト)は骨盤のバランスを改善するベルトで、介護系、運送業者など腰が痛い方は姿勢がキュッと治ります。姿勢を治すベルトは世界を探してもありません。


「健康ゆすり」は、実は医療業界では有名です。

変形性股関節症と言って、軟骨がすり減って歩けなくなる病気があります。そうなるとアメリカ製の人工関節を入れなければならず、人工関節の手術にかかる費用が社会保険負担分も含めまして約600万円とバカになりません。その治療費が社会保険を通じて年間1000億円支払われているそうです。

久留米大学の先生が、貧乏ゆすりによって軟骨が再生することを発見されました。それをもとに研究開発してできたのが「健康ゆすり」です。食べたり飲んだりテレビを見ながら足を置いておくことで、自動で貧乏ゆすりができます。

ガラス張り経営のスタート

記者:そもそも「自社からの独立にチャレンジする人を応援し、その人たちを成功させる。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?

山田がむしゃらにワンマン経営をやりきって、伸び悩みの限界がありました。そこで、社員に委ねてみたところ「みんな考えればできるんだ!」ということに気づき、自分自身が楽になりました。

それからはガラス張り経営を大事にしていて、良いときも悪いときもオープンにしています。

リスクをやりがいに変えて

記者:その発見の背景には、何があったのですか?

山田母親が幼児教育をしていたのかもしれませんが、小学生の時「あんたは将来は会社の社長になるからね。」と言われて育ち、小学校の卒業文集にも「夢は会社の社長」と書いていました。

学校を卒業してから最初の半年で6社を転職し、その中で学習研究社(学研)の営業の仕事と出会いました。次にウィスコという、急成長しているステンレス鍋の販売会社に入りました。

佐世保(長崎県)の支店長をしていた時、急にクビになって、仕方なく23歳で独立したところ、それまで育て上げた社員30人が一気に私のところにきたんです。社員たちからは「独立したんですか!ついていきます!」と電話がかかってもきました。

「やればできる!」と思っていたからこそ、とことんワンマン経営をやりきって限界を感じたのだと思います。

倒産の経験

記者:これまで経営をされてきて、一番辛かったことは何ですか?

山田:34歳の時に経験した倒産が一番辛かったです。親友でもあったナンバー2と将来の考え方の違いでぶつかり、彼が仕事をボイコットしたことで一気に業績が落ち、半年間で1億円の赤字出してしまい会社を清算することになりました。

社長の荷をおろして雇われの身になりましたが、1か月で寂しくなりました。雇われではリスクが無く、つまらなかったのです。

リスクを背負うことが私の生きがいであり、やりがいです。リスクを背負うということは社員を背負うということでもあるので、社員の生活、社員の幸せ、社員の笑顔を見ることが一番の幸せです。

記者:山田さん、今日は本当にありがとうございました。

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山田さんについての詳細情報についてはこちら

↓↓↓

Webサイト:【公式】株式会社エスアイホールディングス(SIHD)

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編集後記

今回インタビューの記者を担当した吉田&岡山です。

ざっくばらんに、これまでの苦労話から成功話までいろいろと伺うことができました。若い頃から「やればできる!」の精神でとことん走りきるパワフルさと、ご自身の成功だけにとどまらず、次世代の育成も大事にされているのが素敵だと思いました。

今後の更なるご活躍を期待しています。

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