バングラデシュに平等社会を創る 株式会社HYDER代表取締役 ハイダルさん

20年前に来日。数えきれない苦労を乗り越え、福岡市でバングラデシュ雑貨とカレーのお店を経営されている、Md Zulfiqur Hyder(ハイダル)さんにお話を伺いました。

ハイダルさんプロフィール
出身地:
バングラデシュ
活動地域:福岡
経歴:ITを勉強するために20年前に来日、東海大学に入学・卒業。バングラデシュと日本の文化の違いに苦しみながらも、9年前にバングラデシュの雑貨とカレーの店「HYDER」を福岡市警固にオープン。
現在の職業及び活動:HYDERの経営、病院建設に向けた活動
座右の銘:「出会い」「コミュニケーション」「誇り」

平等社会を創る!

記者:ハイダルさんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?

ハイダル:バングラデシュに、貧富の格差がない、平等社会を創ることです。

記者:平等社会というのは具体的にどのような社会なのでしょう?

ハイダル:バングラデシュの先生と日本の先生は全てが違いました。バングラデシュの先生はお金を払ったとしても適当に教えています。私が出会った日本の先生の優しさに惚れました。

日本は電車でもバスでも平等でした。男でも女でも、金持ちでも金持ちでなくても、みんなが同じ電車やバスに乗るからです。

学校で勉強になったのは「譲ると許す。」です。譲ること、許すことを考えることができれば、世界はもっと平和になります。

このように、いろいろな場面、言葉から感じ取ったのが、日本の”平等社会”でした。

記者:「平等」というのは、ずっと日本に住んでいると、なかなか気づかないことだな、と感じました。

バングラデシュの無医村に病院をつくる

記者:「バングラデシュに平等社会を創る」夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

ハイダル:バングラデシュには、10万人が住む無医村(病院が無い村)があります。その村に病院をつくるという目標があります。

2010年に病院の建物ができ、2017年に初めて電気が通りました。2020年には医者が入る予定です。

病院を建てるためにはお金が必要であり、お店でモノを売ってお金を得るためにはコミュニケーションが必要です。そのために始めたのがカレーでした。食文化はコミュニケーションの道具になるからです。

記者:母国バングラデシュのことを長期的に深く考えていらっしゃるのですね。

出会い・コミュニケーション・続けること

記者:ハイダルさんは現在どのような活動指針を持って活動をしていますか?

ハイダル:主な活動としては、カレー店HYDERを経営していること、バングラデシュに病院をつくるためにチャリティコンサートを開いています。

カレーを通して人と出会って深く知り合い、協力者を得てきました。

例えば、河津一郎さん(以前、記者がインタビュー)という友達を大事にしています。彼は私のカレーを食べるために近所に引っ越してきて、たくさんのお客さんも呼んでくれています。私は彼にお金は払っていませんが、彼は私を助けてくれています。私の親友です。

HYDERは地域のコミュニケーションセンターだと思っています。店をつくるときにも、地域の方々が助けてくれました。コミュニケーションを取りながら仲良くなることが大事です。

バングラデシュの村にある病院の経営も行っています。運営も大変ですから、病院の支援Tシャツを売っています。

記者:寄付や支援はどのように集まってくるのでしょうか?

ハイダル:宣伝や口コミ、チャリティーコンサートを行うなどして、私のことを知ってもらっています。

平等社会を創るのは1人の力だけでは無理です。続けることが大事です。9年間続けてきて、まだ苦しいことがあります。それでも今までやってこれたのは、コミュニケーションを大切にしてきたからです。

私は病院をつくるというチャレンジに負けたくありません。いつも完全燃焼です。病院を建てることも、「本当にできるのか?」と自問しながら続けてきました。それでも、みんなが助けてくれました。

記者:ハイダルさんの姿勢・態度が多くの方からの協力を呼んだのでしょう。すごいことだと思いました!

文化の違いに対するカルチャーショック

記者:そもそも、「バングラデシュに平等社会を創る」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?

ハイダル:日本とバングラデシュの文化の違いに対するカルチャーショックがあったことです。

日本の電車やバスには、金持ちもそうでない人も、男でも女でも誰でもが一緒に乗っています。車両に乗ってしまえばみんな平等なのです。

20年前当時のバングラデシュには1日に1食しか食べられない人が50%いました。そこと比較すると、日本は全く貧富の格差が無いように見えました。

これだけでもバングラデシュと日本では大違いでした。

日本は豊かになり過ぎて、諦めやすく、ハングリー精神が無いのです。今は、夜中の3時であっても寿司を注文することができます。20年前と比べたらどれだけ豊かになったのでしょうか。もっとハングリー精神が必要です。

アジア人としては日本が一番だと思っていますが、当の日本人はそう思っていません。

記者:日本に来られて、強烈なカルチャーショックを体験されたのですね。

やればできる!

記者:「日本とバングラデシュとの文化の違いへのカルチャーショック」に気づいた背景には何があったのでしょうか?

ハイダル:「やればできる!」という自分を認識したことです。

私は想いを形にしてきた経験も、苦労してきた経験もたくさんあります。

6年間続けたバイトの送別会に50人くらいの同僚が来てくれました。その時マネージャーが「あなたならできる。」という手紙をくれました。暖かい気持ちに、思い出すと今でも涙が出ます。今でも彼らと連絡を取り合っています。

「やればできる!」という自分を認識したからこそ、「日本が平等社会をつくれるのであれば、バングラデシュもつくれる!」と思い、今の夢に繋がっています。

私はこれまでに経験してきたこと、形にしてきたことに対する誇りを持っています。決してその日に食べるご飯のためには苦労していません。

記者:ハイダルさん、今日は本当にありがとうございました。

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ハイダルさんについての詳細情報についてはこちら

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ハイダルさんのFacebook

カレーの店ハイダルのWebサイト

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編集後記

今回インタビューの記者を担当した吉田&岡山です。

日本でしか生活していないと、まず経験することがない苦労を経験し、乗り越えてこられたハイダルさん。

人脈も無い、言葉も話せない中で、20年間やり続けてきたハイダルさんのハングリー精神、本当にすごいと思いました。

今後のさらなるご活躍を期待しています!

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