ジェットコースターのような人生 福岡大学経済学部教授 ”木下敏之さん”
官僚から政治家へ、そして今は大学教授という、様々な経歴を経ながら、一貫して世の中の役に立つ仕事をされている木下敏之さんにお話を伺いました。
木下敏之さんプロフィール
出身地:佐賀県
活動地域:福岡県
経歴:東京大学法学部卒業後、農林水産省に入省。1994年より栃木県農務部農業経済課長へ出向。1999年、佐賀市長選挙に無所属で出馬し、全国の県庁所在地の市長の中では最年少の39歳で初当選を果たした。2003年、佐賀市長再選。2012年、福岡大学経済学部産業経済学科教授に着任。
現在の職業及び活動:福岡大学経済学部教授
座右の銘:「感謝」
世の中に役に立つことをしたい
記者:木下敏之さん(以下、木下 敬称略)はどのような夢やビジョンをお持ちですか?
木下:来年2020年に還暦になります。あの世に還る前にもう1つ、世の中の役に立つことをしたいです。活躍されてきた周りの先輩方が亡くなる姿を見て、時間を意識するようになりました。
世の中の役に立つことが具体的に何なのかは試行錯誤中ですが、今、一番力を入れて取り組んでいるのは、文系シニアの仕事づくりです。文系シニアは60歳で退職した後、約5年間は会社で雇ってもらえますが、その後はほとんど仕事がありません。文系シニアを再教育することで、仕事をつくろうとしています。
しかし、なかなか難しい課題です。例えば、福岡県の地場企業には、人工知能(AI)やITの仕事がなかなかありません。仕事を文系シニアに教えたとしても地元には仕事がないのです。会社にAIやデータ分析を導入することによってどのように会社が良くなっていくのか、地元のオーナー経営者に対して教えていくしかありません。優良事例を探すための企業訪問を月に2か所くらいしています。
他には、福岡市を若い女性が結婚をし、子供がたくさん生まれる出生率が高い町にしたいです。
また、東峰村のふるさと納税を手伝っているので、その納税額を5億円くらいにしたいです。
何事も一生懸命に取り組む
記者:木下さんは現在どのような活動指針を持って活動していますか?
木下:「何事に対しても一生懸命に取り組むこと。」を活動指針としています。
自分のことだけでなく、世の中のためになることを一生懸命に取り組んでいれば、気に留めてくれる人はいますので、一生懸命にすることは大事にしています。
福岡大学では、講義で学生に教えることと研究活動を行っています。データをよく見るようになったのは、大学に来たおかげです。データを見て問題を掘り下げていくことで、初めて本当の問題に気付くことができます。
私を選考する時の福岡大学の教授会では、反対派と賛成派が同点決勝になったそうです。私のような、霞が関にいて、政治家をやって、韓国人のベンチャー企業にいて、という異色な経歴の人はなかなかいません。まさにジェットコースターのような人生です。
国のために働く
記者:そもそも「世の中の役に立つことをしたい。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような気づき・発見があったのですか?
木下:母方の叔父2人が陸軍少佐(日華事変で戦死)と学徒動員(ミャンマーで戦死)で、父も陸軍士官学校の軍人だったことから、幼い時、祖母から「叔父と父は国のお役に立ち、こんなに頑張ったんだ。」ということをよく聞かされていました。
また、父親の戦友だった軍医の所に夏休みの1か月間預けられたり、小学生の時には東京大学の本郷キャンパスに連れて行かれていました。そのこともあって、東大に行くのが自然な流れになっていき、実際にその後東大に入りました。
今思うと父親は、私が国のために働く方向へと上手に誘導していたのかもしれません。父親は戦争によって自分の組織である陸軍が無くなってしまったので、私に国のために働く仕事をさせたかったようです。
こういった背景があり、私は自然と国のために働くことを考えるようになりました。私は覚えていないのですが、友達いわく、中学校1年の時から「政治家になる。」「通商産業省に入る。」という話をしていたそうです。
東大を出て農林水産省に入り、その後佐賀市長として地元に戻ってきたのは、元々地域振興の仕事をしたかったからです。35歳の時、栃木県庁に出向していた当時の栃木県知事・渡辺文雄さんが農林水産省の先輩でした。渡辺さんから「農業だけでなく、教育・福祉・道路整備などの公共事業、あらゆることを全般的にやらないと地域は良くならない。」ということを教えてもらいました。それならば、次に行く道は市長や県知事、自治体の首長だと思っていた時「佐賀市の市長にならないか。」という声が掛かり、選挙に出馬することを決断し、当選することができました。
その後、佐賀市長選挙で3回目絶対勝つと言われ、勝ったら次は知事だと言われていましたが、負けて、さらには絶対大丈夫だと思っていた副市長にもなれず「何でチャンスを逃すのかな?」と考えました。昔は傲慢な男で人に感謝することがなく、うまくいかないときに他人のせいにしていました。
これまで色々なところへ学びに行きましたが、どこへ行っても「他人は変えられない。自分しか変えられない。」ということをよく言っていました。相手を変えようと思っても無理で「私が好きでやっているのだから、その評価を相手に求めても無理だ。」ということに気づき、今は自らが変化し、人へ感謝するようにしています。しかし、「感謝」というのも段々しっくりこなくなってきているので、これからさらに変化していくでしょう。
記者:幼い時から国のために仕事をすることが自然な環境で過ごされ、国のために仕事をすることにプライドを感じていらっしゃったことがお話の中で伺えました。
チャンスを逃すことが続いたことで、他人のせいにするのではなく自ら変化する方にベクトルの変化が起き、世の中のために一生懸命に取り組むという現在の夢・ビジョンに繋がっているのでしょう。
木下さん、今日は本当にありがとうございました。
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木下敏之さんについての詳細情報についてはこちら
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した吉田&草場&高村です。
インタビュー中、ご丁寧に質問に答えてくださっていたところが印象的でした。官僚という安定した職を手放し、自らや家族のお金も時間も投資して、茨の道を進み続けられる姿勢がすごいと思いました。(吉田)
木下さんのお話は多岐に渡る問題に関心があり、真摯に人の役に立つ事を”押し掛け女房的に”と仰っていましたが、一生懸命取り組まれながら楽しんでいらっしゃる姿勢が伝わってきました。自分を自由にさせてくれる奥様への感謝の思いがあることも重ねて美しいなと思いました。今後も鋭い視点での問題提起をされ、日本がさらなる飛躍をする為にも木下さんの様な方がいらっしゃるのが日本の誇りに感じます。(草場)
「国の為に働く」と幼い頃からとても意識が高く、どんな状況でも一生懸命に打ち込んで、乗り越えて来られたんだと感じました。
そして、これからも「世の中に役に立つ事」を貫き通されて行くのだと思い、ますますのご活躍が楽しみです。貴重なお話をありがとうございました。(高村)
今後の更なるご活躍を期待しています。