障がい者の人たちが自立して生きていける仕組みを残したい!「R101」代表取締役”宮﨑栄二”さん

九州最大の衣服のお直しチェーン「リフォーム三光サービス」「マルシェ」「リフォーム恵」+障がい者就労支援事業所「R101」創業者の宮﨑栄二代表71歳。約110店舗でグループ年商8億円。従業員200名以上。うち1/3が障がい者。波乱万丈の人生を送りながらも、利他の心を持ってイキイキと活躍されている宮﨑栄二さんのお話を伺いました

宮﨑栄二さんプロフィール

出身地:福岡

活動地:九州全域

経歴:どう見ても大成功人生!に見えますが、その人生は「就職・父の死・家業復活を決意・丁稚奉公・家業復活・小成功・倒産・借金5000万円・娘の死・離婚・再婚・サラリーマンしながら借金返済・二度目の起業・最初の社員は障がい者・小成功・まさかのピンチ・再建成功・後継者育成も成功・100店超えて大成功・ガンの告知・障がい者支援に奔走・・」と七転び八起き。

活動:創業した会社は息子たちに任せ、現在は障がい者の就労支援をする就労支援A型事業所「R101」の代表として活躍。「R101]は、「リフォーム&リメイクによって障がい者雇用100名にチャレンジしたい。そして100名を達成すれば、101人目から、また次の新たなreform(改革)へと歩き出したい」という思いを込めて、名付けられた。

座右の銘:物を大切に、人を大切に。

「障がい者の人たちが安心して学ぶことができ、就職して働くことができる仕組みを残したい」

Q:宮﨑さんが思い描くこれからの夢と、それに向かう計画を教えてください。 
 
 私が創ったグループ会社の中には、障がい者の雇用支援ができる、就労支援A型事業所「R101」があります。ここでは、現在約100名の障がい者の方を受け入れ、普通の職場で働けるようになるお手伝いをさせてもらっています。そして、その方たちを雇用することができる会社も、今まで3つ創ってきました。
 障がい者をお持ちのご家族と話すと、親御さんの多くは「自分たちが死んだらこの子はいったいどうなってしまうんだ?」という不安を抱えていらっしゃいます。でも、うちみたいなところがあれば、技術も身につくし、生活もできるようになって本人がちゃんと自立して生活していけるようになる。親御さんたちもすごく期待をしてくれているので、それに応えていきたいです。
 私は自分が死んだとしても、障がい者の人たちが安心して学ぶことができ、就職して働くことができる仕組みを残したいんです。グループ会社の経営が安定すればするほど、障がい者雇用ができるので、会社を伸ばしていきたいですね。
あと、この5、6年で福岡リフォーム事業共同組合というのをつくって、そこの理事長をやっているのですが、これからその組合の中で障がい者の方を雇えるような会社をつくっていきたいと考えています。
 どれだけお金を持っていても、死ぬ時はお金は持っていけません。だから、今の社会で弱い立場にある方たちを助ける仕組みを残したいと思っています。

 

「1日1日を大事にすること。一人ひとりの成長を見ること」

Q:宮﨑さんは普段、どのようなことを活動指針とされているのでしょうか? 

1日1日を大事にすることですね。
私はいつも5年目標のノートを使っています。今日は今の5年ノートを付け始めてから1164日目。毎日このノートに今日やるべきこととやったことを書いています。昔、会社が倒産して3000万円を5年間で返さなくてはいけない時がありました。なんとしてでも3000万円を返そうと思えば、逆算すれば1年、1か月、1日にいくら稼げば、というのが見えてきて、今日やるべきことがわかるんですね。倒産して再スタートの日から、ずっとこの5年目標のノートを付けるようにしてきました。5年は1800日。長いようであっという間です。でも、夢の達成まで逆算して具体的に階段をつくれば達成できるんです。

 あと、人に接する上で大事にしていることは、一人ひとりの成長を見ることですね。障がい者の方が伸びようとしているのをみると、私はそれが本当に心から楽しくて喜びなんです。
 以前、車いすの方がうちに来たんですけど、足が使えないからミシンが踏めない。そこで、足ではなく肘を使うミシンを作れないか業者に相談したら「作れます」と言うんで作ってもらいました。車いすの方2人に「肘で動かせるミシン入荷しましたよ」と伝えると、「よかったーーーー!!」と本当に喜んでもらえる。ミシン1台70万で、うちにとったらものすごい投資だけど、2人が喜ぶ姿をみることができる。これはお金とは比べられない喜びなんです。
 共にどう伸びていけるか?彼らに寄り添い、一緒に生きる。こちらが毎日感動をもらうんです。こんなに有難いことはないですね。 

「お前はダメな人間だ。絶対自分が一番だって思っちゃいかんぞ」と律してくれる自分以外の目があること

Q:宮﨑さんが今のような事業をするようになった、きっかけや気づきを教えてください。
 私は、高校時代に父を亡くし、家業を再興したくて26歳で紳士服テーラー業で独立してすぐに軌道に乗り、月給が同級生の10倍になりました。「俺は商売の天才だ」と浮かれ、云われるままに店舗を次々出店。銀行と喧嘩して、つい街金に手を出したら、あっという間に借金5000万円になって、不渡りを出し36歳の時に倒産し、その時、離婚も経験しました。倒産して再スタートする時、一か月間、自分を振り返って、「今までの自分じゃだめだ」ってことがぽんと腑に落ちました。
   倒産するまでは「自分が儲かりたい」とか、「いい服着たい」、とか見栄があったんですね。天狗になっていた。でも、倒産したら、今まで「社長、社長」って言われていたのが「あの野郎」って言われる。世の中の扱いがガラッと変わる。そんなものに固執しても意味がない、と思いました。それ以来、何千万、何億儲けることができたとしても、そんなものにはあまり興味がなくなりました。 

 人間は自分からしか物事を見れないと、傲慢になってしまうし判断もおかしくなるんですね。常に、そんな自分に、「お前はダメな人間だ。絶対自分が一番だって思っちゃいかんぞ」と律してくれる自分以外の目があること。それによって、周りから学ぶ姿勢ができるし、いい意見は取り入れようとする。すべてを有難いと思える。それが大事だと気付きました。

「何を観るにしても直美の目で観る」

Q:宮﨑さんの人生はずっと波乱万丈ながらチャレンジをし続けているように見えます。宮崎さんがチャレンジし続けることができる背景には何があるのですか?

 私には長男と次男2人の子どもがいますが、実は直美という長女がいて、その子が7歳の時に彼女を水の事故で亡くしました。
その時に「人間は死ぬんやな」って思ったんです。生きていることは普通じゃない。昨日まで隣にいた娘が、今日いない。取り返しがつかない。どれ程会いたくてもいない。
 直美が生きたのは7年で、彼女は80年近い人生を奪われている。でも、その7年に価値があるということを僕がやっていかないと、彼女が死んだ意味がない。亡くなった子に悔いるような生き方はしたくないと思いました。
だから、いろんなことはあるけど、常に前向きに生きていけるんです
何があっても、死ぬよりいいやろうって思う
 何を観るにしても直美の目で観るんです。綺麗な景色を見ても「わー!きれい!直美ちゃん観てる?」。いろんな人に接する時も、いつも、直美の目で観て接する。「お父さん、私の分まで生きてよ。そして、生きている限りは人にいいことをやっていってね」というのが、彼女が私に託したことじゃないのかな、と思っています。だから、「彼女が生きてたらこんなことやるんじゃないかな、やりたかったんじゃないかな」ということをやる。天国にいって会えた時に、直美に「お父さんこんなことやったよ」って言えるように生きたい。人生いろいろあったけど、直美を亡くしたこと以上の苦しいことはなかった。これが大きな発奮材料であり私の原点です。

記者:大切なお話を聞かせてくださてってありがとうございました。

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宮﨑さんの活動についてはこちらから↓↓
Homepage
■R101:https://www.r101reform.jp/
■洋服直しのリフォーム三光サービス:https://www.r3kou.jp/
■衣服のリフォーム専門店マルシェ:http://ww1.reform-marcher.com/

【編集後記】

インタビューの記者を担当した新原&堂本&池田です。身体の自分の目でしか物事をみれないと人間は傲慢になってしまうことを倒産によって悟り知り、亡くなった娘の目から世界を観ることを通し、多くの人を助ける美しい仕組みを創った宮﨑さん。
 お話を伺い、宮﨑さんが創りあげてきたものは、宮﨑さんと亡くなった直美ちゃんとの深い関係性によって生み出されたものなのだと感じました。
涙を浮かべながら直美ちゃんのことを語る宮﨑さんの姿に、直美ちゃんは宮﨑さんの中で生き続けていることを感じ、そして、たとえ身体が亡くなったとしても、お2人の意志から創られた仕組みはこの社会で弱い立場にある人たちをずっと助け続け、意志のバトンが後世へ引き継がれていくのだということに感動を覚え、心が振るわされるインタビューでした。

宮﨑さん、直美ちゃん、本当にありがとうございました。

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