誰もが同じスタートラインに立ち、夢を持てる平らな教育を NPO法人 SFD21JAPAN 代表 小野本道治さん
福岡市西区西都校区の不良少年たちを集め、アームレスリング(腕相撲)や農園造りといった斬新な更生活動を通じて、少年たちの社会復帰に取り組む小野本道治さんにお話を伺いました!
プロフィール
出身地:福岡県福岡市
活動地域:福岡市近辺and糸島市
経歴:当時では珍しい一人っ子で何不自由なく育つが保育園の頃から不登校ならず不登園になる。
時々不登校になりながらも高校は陸上特待で高校へ。
家庭を持ち地域ではPTAを9年間。現在は保護司をしながら地域の中学、高校ではサポーターとした不登校支援等をしてる。
現在の職業および活動:建築業をしなからNPO法人
座右の銘:いいかげんに生きろ。それが良い加減になる。
「安心できる居場所づくり」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
小野本さん(以下、小野本) 今は僕の夢を叶えるというより、若い人たちの夢を叶えることが夢になっています。今の社会は、家庭環境や地域によって学力の差が生まれていたり、母子家庭や経済的な問題で夢を諦める子もいます。
明治維新の時もそうでした。幕末から明治に変わる時には貧富の格差が激しく、農民と武士は全然違う環境で生活していました。明治維新の志士たちが海外とも定期的に関わりながら、日本を守ったことによって近代化を成功させ、格差のない平らな日本社会になったのだと思います。
今、何が平らになっていないのかというと教育だと思います。親の収入関係なしに勉強ができる社会になれば、子ども達は夢を持てるでしょう。僕は子どもたちに夢を与える仕事をしていきたいです。
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
小野本 今は不良少年と九州大学の学生とのトークバトルなどイベントを主催しています。このようなイベントを開催することによって、普段接することがないであろう、不良少年と九州大学の学生との、交流や繋がりの場を提供していきたいですね。
ご両親の方や不登校の学生から相談にのるのですが、その件数をどのくらい実施しているのかを、ちゃんと数値化していきたいです。
大まかに数えてみたところ、僕だけで月300件のメッセージのやり取りをしていたり、毎日電話がかかってきたり、面談も月20件以上はあります。他のスタッフもいるので、通信関係で月1000件、電話が月100件、面談が月50件ぐらいになるのではないかと思います。その数値化を明確にしていきたいですね。
Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?
小野本 農家の二階を改造したジムがあったり、警固公園でも腕大学といってアームレスリングを実施し、そこが少年たちの居場所になっています。警固公園ではアームレスリング台をおいていたら150人ぐらいの青少年が集まって交流が生まれています。
活動している中で大事にしているのは、「また来たい!」とリピートしてもらえるような、安心できる居場所をつくることです。あとは子ども達にもそれぞれにあった交流を心がけています。彼らのしていることを認めてあげて、正解ばかりを示すのではなく、一緒に間違えてもらえるような存在だったり、心に寄り添うような交流を意識していますね。
Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
小野本 PTAの会長をしていたことがあり、その時にはじめて青少年達の事情を知りました。例えば、自分の彼女が暴行されたとか、高価なプレゼントを彼氏からもらい、自分がどう返したらいいのかわからなくなって悩んでいた女子生徒など、青少年達も大人と同じように困っていたり悩んでいました。悩んだ結果、不登校やリストカットするような学生や、家庭の経済状況によって、夢を諦めている学生などたくさん出会いました。また大学生も在学している大学によって、地域から受けれる支援が変わってくるなど、扱い方の不平等さがあることも知りました。
もし平等な教育があり、同じスタートラインに立てるような環境や学校教育があれば、不平等なことは起こりにくいと思います。そうなると誰もが平等で対等な立場でもあるので、子ども達同士の交流や、先生や親との交流がもっと変わってくると思ったのがきっかけです。
Q.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
小野本 私が29歳の時に人生の壁にぶつかりました。その時には子どもが2人いましたが、それまでの人生は大変なことや辛いことがあっても歯を食いしばって頑張ればなんとかなると思っていました。
前職は西日本警備保障(現在のにしけい)の糸島支社機動隊隊長を勤めさせていただき、職場には同世代が多く、学生の延長みたいに夢を集りながら夜遅くまで会社に残ってました。プライベートも保育士の嫁と夫婦共働きでお互いに浪費家でもなく、結婚6年後にはマイホームを購入ができ、煙草も晩酌も博打も趣味ではなかったので、週5回ジムに通い、サーフィンや温泉巡りが趣味で、安定した生活はできていました。ですが、その延長を考えた時に自分の人生に上限がみえてきて、今までのような限界の突破の仕方ではどうしようもできない限界を感じました。自分はどう頑張ってもテレビや本にでてくるような成功者になれないことを知った時に、はじめて人生を今後どうしていくのかを真剣に考え悩みました。悩んでいたら鬱になってしまい、それから7年間の鬱との闘いがはじまり、酷い時は12錠もの薬を服用していました。それは地獄でした。
でもそんな地獄からでも周りの支援もあり、立ち直ることができたんです。立ち直り方を知っているので、知っているからこそ他の人も、私のように立ち直れたらと思って伝えています。
鬱の闘病中や鬱から立ち直った直後は、本当に多くの方から支えられて、ここまでやってこれました。私をPTA会長にしてくださった前会長や、アームレスリング大会で公民館を貸してくださった館長には本当に感謝していますし、私を支えて下さった方は他にもたくさんいます。
その人達への恩返しとして、今の活動を続けていけたらと考えています。
記者 お話を聴きながら小野本さん自身も限界を突破されたのは、多くの人の希望となるのではないかと感じました。貴重なお話、ありがとうございます!
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【編集後記】
今回、インタビューを担当した石橋、清水、山口です。
今の若者達の悩みは日本の悩みだと感じました。日々、社会や親からのプレッシャーに耐えている若者は、終戦後から今までの日本の姿と重なりました。
今からの日本は誰もが平等であり、そこから一人ひとりがワクワクして人生を楽しめる時代にしていきたいと感じました。
今後の活動も応援しています!!*******************************************************************