デザイナーが輝ける環境を第一に、社員がハッピーなデザイン会社をつくる 株式会社ディーゼロ代表取締役 ”矢野修作さん”
地元福岡から全国No.1のウェブデザイン会社を目指す、福岡愛が強い矢野修作さんにお話を伺いました。
矢野修作さんプロフィール
出身地:福岡
活動地域:福岡
経歴:Webデザイナーを目指し大学中退後、福岡の広告代理店に入社しWeb専門の部署を立ち上げる。現在副社長の今里光佐氏とデザインユニット「デザインZERO」を結成。23歳でフリーランスとして独立し、2000年の24歳でWeb専門の制作会社、株式会社ディーゼロを設立。
現在の職業及び活動:株式会社ディーゼロ 代表取締役、株式会社ashigaru Ejecutivo、baserCMS NPO法人ベーサー・ファウンデーション監事
全国No.1のデザイン会社をつくる
記者:矢野さんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?
矢野:一言で言うと、福岡から全国でNo.1のデザイン会社をつくることです。
さらに言えば、福岡をクリエイティブの拠点にしたいですし、全国で「デザインの仕事をお願いするなら福岡がいいらしいよ。」と言われるようにしたいです。
そのためには全国に通用するデザインを仕上げる、全国でNo.1のウェブデザイン会社を目指す必要があると思っています。会社の規模も大きくし、多様な価値が混在し、社員がハッピーなデザイン会社をつくっていきたいです。
お客さんに喜んで満足してもらい、ハッピーにしたければ、必然的にハッピーな社員が必要です。ハッピーでない人間が他の人をハッピーにできるはずがないですから。
記者:福岡を拠点とするのはどういう理由からでしょうか?
矢野:会社経営を続ける中で、地元愛が強くなってきたからです。また、福岡は移動にかかる時間が短くコンパクトな点など環境的なメリットがとても高いです。移動にかける時間を、技術的・知識的なことを学ぶ成長に使うことができます。
我々の会社はチームビルディング(チームでクリエイティブに取り組む)の要素が強く、生活上のストレスが低い福岡の街と、他人に気を配ることができる人が多い点は適しています。
チーム九州として仕事をしていく
記者:「全国でNo.1のウェブデザイン会社をつくる」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
矢野:福岡を拠点に考えるのであれば、九州という単位で考える必要があります。すでに大分に別会社をつくっていますが、それ以外の九州各県にも支社や別会社をつくる計画です。
九州の中で、福岡にはハブの要素があります。それぞれ会社のクリエイティブを活かしながら、福岡のディーゼロがハブとなって繋いでいき、”チーム九州”として仕事をしていきたいです。
会社運用に徹する
記者:「チーム九州として仕事をしていく」という目標に対して、現在どのような仕事をしていますか?
矢野:私自身の仕事は、会社運用を効率的に回すための、会社自体の設計、ブランディング、評価制度など、”後ろ支え”です。立場上、元々はデザイナーでしたが現在は現場に立っていませんし、デザインを自らすることもありません。お客さんと接することも少ないです。
社員が結婚した、子供ができた、車を買った、など日常の変化を見ることが私の喜びです。
20年間、会社としてやっていること自体は変わっていません。常に淡々と、”変化”でなく”進化”をしてきました。
大きな成長をするときはあえて止めるようにしています。売上が大きく上がるときはリスクでもあるからです。人を雇えば育てないといけませんし、育てあげると次は業務に活かすことで売上が上がります。
しかし、急に売上が上がりすぎると、対応する人がいなくなってしまい、誰かが辞めてしまいます。売上が上がった上に、教育もしなければいけなくなると、現場に負荷がかかりすぎて耐えられなくなるからです。ですから売上を大きく上げてはいけないのです。
淡々と進化してきたからこそ、離職率が高いといわれるデザイン業界でディーゼロの離職率は3%という低さなのでしょう。
デザイナーが働きやすい環境づくり
記者:そもそも、「全国でNo.1のウェブデザイン会社をつくる」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?
矢野:デザイナーの働く環境を大事にしたいと思ったからです。
徹夜で働くことが当たり前の時代に徹夜をしないようにしましたし、残業が当たり前の時代に残業を減らそうとしました。
デザイナーの環境を大事にするやり方の1つとして、「70名規模になっても未だ営業が1人もいない。」ということがあります。デザイナーに還元したいからこそ、営業がいないのです。
記者:どういうオフィス環境をつくろうとされているのでしょうか?
矢野:カフェスペースを設けたり、ギャラリーのように本を管理しています。またお菓子やジュースを自由に飲めるようにもしています。
他に、全員デュアルモニター環境を用意したり、パソコンの環境を最新にするなどもしています。
社員同士の飲み会の費用も一部会社が負担していたり、社員や社員の家族に誕生日プレゼントを贈ったりしています。
人の期待に応えたい
記者:「デザイナーの働く環境を大事にしたい」という背景には、何があったのですか?
矢野:21歳でデザイナーに憧れ就職しました。学校に通うわけでもなく、独学でデザイナーになりました。
しかし、いざデザイナーとして働いてみると、劣悪な環境であることに残念さを覚え、未来を感じませんでした。起業した20年前はバブルがはじけた後で、労働に対しては「頑張らなきゃ」「働かなきゃ」という要素が強く、会社はきついものだというイメージがあり、それが嫌だったんです。
どうせ働くなら楽しい方がよかったですし、自分のリズムで仕事をしたくてフリーランスとなり、法人化しました。社員を雇うようになり、当時掲げたのが「デザイナーがハッピーである会社」でした。
当時と今では労働環境も大きく変わりました。今は労働者のための時代になりました。
記者:なぜデザイナーに憧れるようになったのですか?
矢野:当時好きだった憧れた女性がデザイナーだったんですよ。少しでも共通話題としてデザインの話ができれば彼女と色々語れると思い独学で勉強し始めたら、はまったのです。
自分自身の夢を追いかけるよりも「人に力を貸す」「人に協力する」「人に興味を持つ」「人に乗っかる」ことで成長させてもらいました。そういう意味で昔から変わっていません。
私は人の期待に応えたくてがんばるタイプなんですよ。ディーゼロも私が引っ張っていく会社ではありません。みんなの思い、みんなの夢、みんなの未来を考えて設計しているだけです。
記者:20年間で一番大変だったのはどんな時ですか?
矢野:離職率が低いとは言え、社員に辞められると本当に辛いです。誰が辞めたとしても、辞めなくてよかった方法を後から考えてしまいます。
一番大変だったのは、社員が15人くらいのとき、年間で4,5人辞めたことです。それから社員のことをより大事にするようになりました。
記者:人の期待に応えたい自分を認識されたからこそ、自らにとっても、デザイナーにとっても劣悪な環境を改善したいと思うようになったのですね。その思いが、「全国No.1のデザイン会社をつくる」という夢へと繋がっているのだと、お話を伺う中で感じました。
矢野さん、今日は本当にありがとうございました。
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した吉田です。
インタビューを通して感じた矢野さんは「ディーゼロのお父さんであり、お母さん」でした。
社員を家族のように愛し、見守り、後ろ支えに徹するその姿勢態度、そしてそれを20年間一貫して保ち続けることができる人間力・人間関係力・組織力こそが矢野さんの魅力でもあると思いました。
今後の更なるご活躍を期待しています!