志を持ってその道に進む。混沌の中にしか人の新たなものは見つからない/岩崎 裕美さん

アナウンサーとしての華麗な経歴から一転して、ご自身の壁にぶち当たる経験の度に志を立て、夢に向かっている岩崎さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:京都府
経歴:中学生時代にNHKアナウンサーコンクール優勝、大学卒業後KBS京都にアナウンサーとして入社。結婚を機にフリーアナウンサーとして活動を始める。40歳を期に京都への拘りを棄て、 全国を飛び回り、「まちおこし」に関わる。2004年着物振興・京都PR隊としての「NPO法人京小町踊り子隊」を立ち上げる。京小町の活動を通して、もっと簡単に着られる着物を作りたいという思いが大きくなり、3部式「driccoきもの」を開発。実用新案登録を済ませる。
現在の職業および活動:NPO法人京小町踊り子隊代表理事、(株)dricco(ドリッコ)会長、コミュニケーショントレーナー
座右の銘 : 「新しい世界にチャレンジすることで、新しい能力は目覚める」

Q1:岩崎さんのこれからの夢は何ですか?

岩崎裕美さん(以下、岩崎):①「新しい京のまちおこし 人おこし 着物おこし」を目的に立ち上げた京小町踊り子隊のメンバーには、組織の中で自分ができることは何か?を常に考え、自分の役割をきっちり生きられる人に育って欲しいし、私自身の立つ位置は、若い人たちにとってのガソリンスタンドのようなエネルギー補給の場であり続けたいと思っています。
 ②3部式「driccoきもの」を通して着物振興をし、簡単に着られて何処から見ても普通の着物と変わらない「driccoきもの」を世界の人たちにも試してもらう。
 ③2025年大阪万博まで元気でいる。

 2004年に京小町踊り子隊を立ち上げたキッカケは、5年間「北海道よさこいソーラン」の審査員をやっていて、もし京都で踊りのグループを組織するなら、本物の着物を着せて日本舞踊の基本を教え、若い女性たちがエネルギッシュに踊ったら、きっと見る人たちは元気をもらうことが出来、地場産業である着物振興に繋がるだろうと思ったからです。
 メンバーは15~30歳までの女性たちですが、自分で着物が着られるようになると、日本人らしい立居振舞が身に付き、背筋が伸びて姿勢が良くなり、凛とした大人の女性に変化していきます。これが「人おこしであり、まちおこし」にも繋がって行くのではと思っています。着物に関しては、世界へ出て行くと日本の着物への評価はたいへん高く、若い人たちに簡単に着られるdriccoきものを持ってドンドン世界へ飛び出して欲しいと願っています。

Q2:その夢に対してどのような目標を持っていますか?

岩崎:2025年大阪万博阪万博が開催されますが、この万博で「関西に大着物ブームが起きる!」と期待しています。
 まず京小町踊り子隊に関しては、少しずつメンバーを増やしながら、リーダーは立てず横繋がりの組織を目指し、依存でも自立でもない「相互依存」で組織が強化できるよう考えます。そのためには責任感とコミュニケーション能力が必要で、ミーティングを開いては方向性を指し示し、新しい言葉や考え方を伝えて行きたいと思っています。そしてオリンピックに向けて、京小町の踊りをたくさんの海外からのお客様に見て頂きたいです。

「苦しい、面倒くさい、着付け代が高い、着物は敷居が高い」と様々な理由で着物を敬遠していた人たちのために開発したdriccoきものを、昨年10月に起業化し、新たなる店舗でレンタル・販売を始めています。洗える着物から正絹まで、浴衣から振袖まで、あらゆる世代に着物をPRするた めに、大阪万博の各パピリオンで働く女性たちにdriccoきものを着て欲しいです。そして、タンスに眠っている着物を3部式に仕立て直す事業を来春の目標に掲げています。
 着物は、着付け代は高くこれでは次の世代に繋がらないと思いました。着やすくてどこから見ても普通の着物と変わらないものを作ろうと思い試行錯誤しながら今の形になるまでに4年ぐらいかかりました。
 実は以前縫製を任せていた会社に三部式をコピーされ、縫製を全てストップされました。それからはゼロからのスタートでした。縫製できる人をクチコミで集め、やっと15人集まったところです。
 今は女性の時代でもあるので働き方も支持していこうと思ってます。子育てのお母さんが家で仕事したいって言うならちょうどこれがいいなっていう働き方改革をしています。

Q3:その夢に対して日々の行動はどのようにされていますか?

岩崎:年とともにやることが多くなり、家に帰ったらエネルギーを使い果たした状態でグターとなるのですが、身体の疲れはぐっすり眠ることで快復します。精神的に健康でいるためには、本を読む勉強会をず―っと続けています。本から得た新しい言葉や考えを、入れては出し、インプット・アウトプットを繰り返すことで、身体の中に言葉がしみ込んで行き、前へ進むエネルギーになって行くのです。志を持って前に進むには、身心共に健康であることと、先人の知恵が必要です。日々前向きに夢を追いかけるために、私が続けていることです。

Q4:そもそもその夢を持つきっかけにはどのような出会いがあったのですか?

岩崎:35歳の時に大きな壁にぶつかりました。ようやくメーンキャスターとして番組を任されたのに、4回目に降ろされてしまったのです。意味が分らず周りを怨んでは悔し涙を流して、心が収まる場所が見つかりませんでした。その時に出会ったのが「学ぶことで精神を落ち着かせることが出来る。」という与謝野晶子の言葉でした。「学んでみよう!」私の志が決まった瞬間でした。
 そして出会った稲盛和夫さんがおっしゃったのは「人生は精神を高めるプロセスである。」「なるほど!」「学ぶことで精神が落ち着き、その精神を高めて行くのが人生なのか ! 」学ぶしか苦しみから抜け出す方法が無いことを知ったのです。

Q5:その夢を持つきっかけにはどのような背景があったのですか?

岩崎:「夢を持つ」というのは、志を立てることだとおもいます。自由すぎる心を多少不自由にするのが《こころざし》。人は不自由な制約の中での変化に、初めて自由を感じるようです。
 35歳で壁にぶつかってからは、学ぶだけではなく京都への拘りを棄てて全国のまちづくりの現場を見て回り、各地でまちづくりに関わっている人たちの話を聞いて回りました。そして51歳になった時に京都のために私が出来ることをやってみようと、NPO法人京小町踊り子隊を立ち上げました。
 踊り子隊を始めて10年目に、もっと簡単に着物が着られないと次世代に着物文化を伝えていくこ とは出来ないと3部式 driccoきものを開発しました。
答えはすぐに出てこないですが、宿題としていつも頭の片隅においていると、ある日突然答えが向こうからやってくるのです。「混沌の中に差し込む一条の光」くさらず、まじめにコツコツと積み重ねていると、次に進むべき道が見えてくると思っています。そして、混沌の中にしか新たな道は見つからないと思います。

記者:説得力があるお話で、本を読むより得した気分になりました。今日はありがとうございました。

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岩崎さんの詳細情報はこちら

driccoきものHP:https://dricco-kimono.com

京小町踊り子隊HP:http://kyokomachi.org/

【編集後記】

今回の記事を担当した平井、所です。岩崎さんの探究心の深さ、諦めない心が作った新しいきもの文化の始まりを感じました。これからどのような形で踊りと着物が融合した日本文化が発信されていくのか、とても楽しみになりました。

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