「医」を届ける。明るく健やかにいきる未来へ。特定非営利活動法人ロシナンテス”川原 尚行”さん
社会インフラが十分ではないスーダンで、過酷な環境の中に身を置きながら、医者のいない村へ医療を届けるために、現地の人々とともに奮闘されている”川原 尚行”さんにインタビューさせて頂きました。
■プロフィール
出身地:福岡県北九州市
活動地域:スーダン・ノースコルドファン州
現在の職業及び活動:
1984年福岡県立小倉高等学校卒。
1992年九州大学医学部を卒業後、九州大学第二外科に入局し同外科および広島赤十字・原爆病院で研修を行う。
九州大学大学院修了ののち、1998年外務省入省。在タンザニア日本大使館に二等書記官兼医務官として着任。その後ロンドン大学(イギリス)で熱帯医学を履修し、2002年在スーダン日本大使館に一等書記官兼医務官として着任。2005年1月、外務省を辞職し同年4月よりスーダン国内での医療活動を開始。翌2006年5月、「NPO法人ロシナンテス」を設立し、同年8月スーダン共和国政府より国際NGOとして正式に登録される。
座右の銘:ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に
Q:川原さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
川原尚行さん(以下、川原敬称略):アフリカの電気や水道施設もないところに医療をどう届けるか?という課題解決に取り組んでいます。十分な医療資源やお金がない中で、日本から特別な医療機器等を持ってくるのではなく、現地にあるもので工夫しています。
今は携帯がどんどん普及し始め、10年もしたらネット社会が広がる可能性も高く、今まで持ち得ていなかった技術が逆にどんどん広がってきているので、ICTを活用してアフリカに医療を届けることが夢のひとつです。
上から下への援助や国際協力ではなく、我々がいなくなってもシステムがしっかりと残る形にするために、現地の方々にも勉強してもらい潜在能力を上げながら、今の生活スタイルの中ででも医療に対してアクセスできる仕組みを作っていきたいと思っています。
そして更にその先として、そういったアフリカでの地域医療を、日本の地域医療へ還元していけたらと考えています。
それそのままではないけど、日本の地域医療にも良いヒントは数限りなくあると思います。
記者:現地スタッフと一緒にやっていく中での難しさは何ですか?
川原:文化も宗教も違いますので色々ありますが、特にNGOのイメージが悪いということは大きいです。NGOの活動が反政府活動と結びついてネガティブキャンペーンをするのではないかという見られ方をしているので、私がNGOスタッフとして活動地に入る際も許可を取らないといけません。
そのような政治状況の中ですが、イスラム教の文化習慣を尊重して、新しい地域に入ります。まず村長に挨拶し、現地の食事をともにしながら笑顔で接しています。新たな事業を行う時には、「日本人としてはこう思いますが、どうですか?」と確認しながら折り合いをつけていくようにしています。
記者:日本の地域医療に対して、アフリカでの地域医療がどのようなヒントとなるとお考えですか?
川原:現代医療は、DNAレベルまでかなり解明され再生医療も含めて進歩していますが、逆にマクロの視野で見ると、病人の周りには家族や友人がいて地域社会があります。
人間は1人で生きていけないので、ミクロの視点とマクロの視点の両方をバランス良く持つことが大事ではないかと思います。
私は、共同体があった時代から科学の進歩で高度医療が発展し、進めば進む程バラバラになりがちな現状から、更にくるっと一周回って改めて共同体を取り戻し、”連帯し合う”ということが、最新端の医療ではないかと思います。
「one for all all for one」とロシナンテスでも掲げていますが、“ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に”という精神が必要だと思います。
私は、東日本大震災の時に現地に行きました。
その時は本当に何もなく、小学校に集まったみんながフラットにみんなで助け合うという理想的な共同体を見ました。徐々に貧富の格差が生まれていきましたが、震災直後の共同体にかなりヒントがあったと思います。
医者は医学の知識はありますが万能な訳ではないですし、医療は医療者だけではなく地域の人なども含めてチームでやっていくことが必要だと思います。地域住民の方達ももっと勉強する必要がありますし、そうしないと今の医療サービスは高度過ぎてお金ももたず、日本も立ちいかなくなると思います。
Q:そのビジョンを達成するために、どのような目標計画を立てておられますか?
川原:病院もなく電気もないような地域で医療をやっていますので、「こんなところでこんな医療ができるんだ!」と見せられるモデルを、スーダンのどこかで作りたいと思っています。
診療所を建てて医療だけやってもだめで、電気もきれいで安全な水も必要です。
子供達や親にも医療を学んでもらい、地域住民に衛生教育を行い、地域全体で健康に対しての意識や知識の底上げや人材育成を統合的に行っていく必要があります。まだ答えはありませんが、作り上げていこうとしています。
主に活動しているスーダンでは、ニュースにもなっているとおり、政権への抗議活動が活発化しており、上手く行けば民主化、下手したら内戦というギリギリな状況です。
3つ建てた診療所も2つはあまり稼働がしきれていない現状で、彼らが医療機器を揃え現地の人を雇用して育てていくと約束していましたが現状できていません。
ですが、民主化に向けて動いている現状を考えると、突き放さず手を差し伸べ、私たちが医療機器を揃えるなどもう少しできるところまでやり、現地の政府とも話し合って3つの診療所が活用できるようにしようと思います。
民主化を目指して、命をかけて座り込みなどをやっている姿を見ると心打たれますし、ここで民主化が起きたら本当に革命だと思うので、医療をやっていく上でも期待したいです。
Q:今は、どのような実践行動をされていますか?
川原:学校を建てたりきれいな水を供給したり、現地にある道具でどう可能にするか?を、今までの当たり前を外して現地の人達と一緒にゼロから考え、私たちがいなくなっても彼らだけでできる持続可能なシステムを作ろうとしています。
国によって必要なシステムは違うので、日本と同じものを使うのではなく、そのプロセスや仕組みから作り上げていきたいと思っています。
記者:他にも支援団体はたくさんある中で、自ら組織を立ち上げようと思われた理由は何だったのですか?
川原:それぞれの団体にはその団体のやり方があり、私がやろうとしていることはそのやり方とは違うと思ったからです。
私は、その地に腰を落ち着けて「こういうことをやりたい」という現地の意見に対して話し合って作り上げていく事がしたいと思っています。
NGOは枠組みに囚われず支援できますし、医療の分野だと受け入れられやすいと思います。
私たちは、日本のオリジナリティを持ったNGOでありたいと思っていますし、勝手に”日本のため”、日本の民を代表してやっていると思っています。
記者:日本オリジナリティを持つNGOとは、どういうものなのでしょうか?
川原:日本は江戸時代 鎖国をしていて、開国後西洋の文化を取り入れキリスト教のことを理解してきましたし、おそらくイスラム教のことも今後理解度を高めていくと思います。日本人は、敵対心を持つのではなくお互い分かり合う事ができると思っています。
日本からスーダンに来た若者に現地の人が、「あなたの宗教はなんですか」と問われると「無宗教です」と答える場面に出くわします。仏教も神道もあり、クリスマスもお祝いするような民族で自分の宗教がなんなのか分かりにくいですが、私はアニミズムと相手に説明しています。そして、信じるものはお天道様と答えるとスーダンの人達は納得しているようです。
日本の宗教観は言葉で上手く表現しにくいものですが、イスラムの土着宗教と似ているところもありますので、大事にしているものが分かり合えると思います。
Q:NGOを立ち上げて、スーダンの支援を始められたきっかけは何だったのですか?
川原:残念ながら亡くなってしまったのですが、外務省時代に出会い師匠と呼んでいたある写真家の方と出会いがきっかけです。彼の持っている思想や考え方・知識が凄く深く、物事の観方・真実を見つめる力を学んだと思います。
”世の中の報道は真実ではないこともある”
”報道でも写真でもどういう観方が入っているのか?を分かりなさい”
”真実はどのように見つめると分かるか?学びなさい”
などと教えてもらいました。
原因が何かを見つめ、現実はどうなっているのかを見つめ、背景となる歴史や文化などを知ることで、その行動の背景となった理由を理解することができます。
記者:師匠との出会いをきっかけとして、何をどのように観た事で、外務省を辞められてロシナンテスの立ち上げに繋がっていったのでしょうか?
川原:海外から帰国する度に師匠にお会いし、世界・日本の情勢から草木の話しまで、本当に多くのことを教えてもらいました。そんな話の中で自分を見つめなおすことができました。
その時私は外務省としてスーダンに滞在し、多くの子どもが亡くなるのを目の当たりにしながら、スーダンの人々を診察することが許されませんでした。その時の自分の限界を痛感する中で、一人の医者として何かができるはずと思い外務省辞職を決意しました。
師匠がいなかったら、たぶん私はこんなことはやってないと思います。
記者:型にはまったやり方から抜けたかったという感じなのでしょうか?
川原:自らまず枠を飛び越え、国際医療協力団体として日本の立ち位置を見つめていく一つの材料になれば良いと思っています。
日本の中には、敗戦以降の今の日本の在り方に対して問題意識を持つ人は多いと思いますが、既存の組織ではなかなか今の枠組みから抜ける事はできません。ですが、日本の中の何人かでも枠を超える人が生まれたら、日本も変わるし世界にも良い影響を与えると思います。
スーダンで活動していると、苦しい中で民衆が団結して大統領を引きずり下ろし継続して戦っている姿を目にします。現状に甘んじない姿勢を日本にも学んで欲しいです。
記者:川原さんは日本のどういうところが変わる必要があると思われているのでしょうか?
川原:ゆでガエル理論(カエルをいきなり熱湯に入れると慌てて飛び出して逃げるが、水から入れてじわじわと温度を上げていくと、カエルは温度変化に気づかず、生命の危機を感じないまま茹で上がり死んでしまう)で言われるように、若者は今の時代の流れに従順に生きてきて、井の中で小さくなっている自分に気づくことでしょう。だけど、もっとはじけて良いし、これからの未来に対して積極的に生きて欲しいと思います。
SNSの普及によって、今まで届かなかった声が世界中に届くようになり、その声に刺激されてみんなが声を上げ始めています。
スーダンを見てみても、民衆の力でここまでやるとは誰も思ってなかったでしょうし、今回の革命がアフリカのあらゆる全ての問題を変えるリアルルネッサンスになる可能性があると思っています。
記者:師匠から教えを一言で言うと、どのような言葉になりますか?
川原:「石橋をぶっ壊して飛べ!」です。
橋から落ちる可能性やお金を失う可能性はあるかもしれないけど、死にはしない。そのくらいの生き方をしろ!というメッセージだと思って、私は外務省を辞めました。
記者:もともとそういう生き方をしたいと思われていたのですか?
川原:外務省にいながら、日本のやり方に対しての諦めなど、くすぶっていたものがありました。
スーダンへの援助も、欧米・アメリカがしないから、日本もしないという判断でしたが、独自で考えないといけないはずです。たまには「アメリカはこう言ったけど日本はこうだ!」という主張を持つべきだと思っています。
Q:人を助けたいと思って医者になられたと記事で拝見しましたが、今の活動をされている背景には何がありますか?
川原:背景は、シンプルに目の前に苦しんでいるスーダンの人達がいたからです。
私は、幼い頃に家に来ていた和尚さんに「人のために生きなさい」と言われていました。
高校時代に将来何をするか?を考え始めた時に、ずっと忘れていたその言葉を思い出し、人のために生きるのであれば医者になろうと思いました。
高校時代はラグビーに明け暮れ、勉強もろくにせず成績が悪かったので、医者になりたい!と言った時は周囲からは驚かれました。可能性って誰にでもあるわけで、勉強してないからできないのは当たり前だから難しいけどやろう!と思いました。
決めたからにはやり遂げようと思いました。私の家にはお地蔵さんがあり、いつも見つめられているので、恥じない生き方をしないといけないという意識があったのかもしれません。
Q:今から夢を抱いて生きていく人たちにメッセージをお願いします。
川原:これから生きていく中でおそらく色々な規則法律のような線が引かれ、「ここから先に行くな!」というようなことがあると思います。ですが、線が引かれていることを守る事も大事だけど、その線がなぜそこにあるのか?その線が正しいのか?を考え、本当にその線の先に行きたいのであれば、その線を消して新しい線を自ら引き直すことができる人間になって下さい!
記者:川原さん、今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。
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≪川原尚行さんの詳細情報について≫
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https://www.rocinantes.org/
■川原尚行さん Facebook ↓↓
https://www.facebook.com/naoyuki.kawahara.9
■Rocinantes / NPO法人ロシナンテス – Facebook ↓↓
https://www.facebook.com/rocinantes.japan/
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【編集後記】
今回インタビューを担当した波多江&村上です。
川原先生の医療者としての強い想いと、日本の心を深く感じました。
医療行為だけをみるのではなく、水も電気も診療所も、病気の予防からその人の未来まで、すべてを包括的に捉えて「医」と定義して活動されているその姿勢に、私たち自身も医療者として改めて気付かされる事がたくさんありました。
今後の川原さんのご活躍を心より応援しています。